今日で11年。

今日で東日本大震災から11年ですね。

あの日私は15時から千葉県庁で会議があって、県庁の駐車場に車を入れようと信号待ちをしていました。
いきなり車が揺れ始めて、最初は車が故障したと思ったんです。
エンジンが変なうなりをあげてタイヤがきしんでるとか。

でも、隣の車を見たら、その運転士さんと目が合って、周囲を見たらみんな逃げ始めている。
建物からたくさんの人が表に出てきて、電信柱も電線も波打っている。

こりゃ、大きな地震だ。

信号が青になっても揺れが治まるまで、どの車も動こうとしない。

凄いことになったなあ、と思って、とりあえず揺れが治まったので県庁の立体駐車場に車を止めて、エレベーターが動いてなかったんで階段で県庁の交通課へ行ったんです。

部屋に入ると中は騒然としていて、情報収集を始めたところ。
私の顔を見て、「大丈夫でしたか?」と皆さん声をかけてくれたんですが、そこへ第2波が到来して、事務所の中の棚が左右に揺れ始めました。

そのうち、津波が来るという話になって、テレビでは銚子漁港の漁船が黒い煙を上げながら押し寄せる津波を乗り切ろうとエンジンを吹かしたり止めたりしながらグルグル回転している映像が出て、「社長、今日の会議は中止だから、もう帰ってください。」ということで、自宅へ向かいました。

そのころ、地震発生後1時間ぐらいの時点ではそれほど混乱していませんでしたが、家に帰っても電気ガスが使えない可能性があると思い、コンビニに立ち寄って、残っていた弁当を5~6個買って(当時、子供がたくさんいたものですから)自宅に戻りました。

そして、自宅が無事なのを確認すると、近所に住んでいる知り合いの足の悪いおばちゃんのことが気になりまして、近所と言っても駅前のマンションの28階なので、とりあえず水が必要だと思って2リットルの水を2本リュックに入れて、エレベーターが止まっていたので、息ぜーぜーで28階まで階段で登り、おばちゃんの無事を確認。でも家の中、食器棚とかが倒れていたので、それを直して、割れた食器の破片を片付けて、テレビを見たら津波が押し寄せてきて大変なことになっているということを知りました。

そのニュースで、東北の日本海側が壊滅的な被害を受けたことを初めて知ったのです。

私の大好きな三陸鉄道も、「あぁ、だめかもしれない。」と思いました。

翌日、三陸鉄道にメールをしましたが、返事はありません。
もちろん電話も通じません。

気をもんでいたところ、数日たって、「電気が復旧した。」ということで連絡が入りました。

そんな状況でした。

今の日本で、こういうことが発生するんだと、信じられない思いでした。

5月に入り、出版社の計らいで三陸鉄道を訪ねました。
被害を受けた閉伊川橋梁です。

この時は女優の村井美樹さんと三陸鉄道を訪問しました。
左は当時の望月社長さんです。

望月社長さんからは、「鳥塚さんが一番先に連絡をくれて、一番先に訪ねてきてくれました。」と後々感謝されましたが、それでも私がお伺いできたのは5月に入ってから。震災から2か月たってからでした。


島越駅のあったところです。
震災前はこんな駅でした。▼

そこが大きな被害を受けたのですが、3年後の2014年に何とか復旧できました。▼

▼こちらは震災前の釜石駅に入るところです。

▼2014年に復旧した同じ場所です。

津波でみんな流されてしまった場所を、3年で列車の運転を復旧させたんですね。

本当に大変だったと思いますが、東北人の底力を感じますね。

東北地方の復興はまだまだ道半ばです。
そして11年前から今日まで、災害を受けたのは東日本大震災の地域だけではありません。
地球温暖化と言われていますが、日本全国で大規模災害が発生する時代になってきました。

日本全国、どこが安全かということは言えない時代になりました。

多分、と言うか、必ず、明日以降の未来に大きな災害が発生すると思います。
それは日本じゃなくても、海の向こうの地震や火山の噴火などでも日本に被害を及ぼす事象が現実に発生しています。

とりとめのない文章になってしまいましたが、私たちはそういう国に住んでいるんだということを忘れてはいけないと、11年目の今日、あらためて思ったのであります。