お芋の思い出

スーパーへ行ったら小さなジャガイモを売ってた。

おっ、この大きさのお芋は確か昔・・・

あれは今から30数年前、私がまだ30歳だったころ。
ロンドンへ出張に行きました。

当時はモスクワ経由とアラスカのアンカレッジ経由だったかな。
でもって、アンカレッジ経由の飛行機はB747ジャンボジェットの100型という当時としても骨董品のような初期型ジャンボで、とにかくボロで故障ばかりしていましたが、ある時、土曜日発のアンカレッジ経由ロンドン行の飛行機が壊れたのです。
そう、アンカレッジ経由の便は夜の9時に出ていくんですが、その飛行機が故障しまして、成田の門限は11時。
「もう無理ですね。」
となってお客様をホテルにご案内したのです。

でもって、私は夜通しの勤務となって、翌日の午前便でロンドンへ出張に出るはずだったのが行けなくなって、「さて、どうしましょうか?」と思っていたら、前の晩に壊れた飛行機が直ったので今夜出るから乗って行くか? ということになりました。

前の晩は夜通しの仕事になってしまって家に帰っていなかった私は、当時住んでいた葛飾の家にいったん戻って、出張の準備をしてスーツケースを持って京成電車でもう一度空港へ戻りまして、夜の9時頃だったかな。クラッシックと呼ばれる100型ジャンボに乗ったのであります。

でもって、当然その便には乗客は私だけ。
あとはクルーが10数名、バラバラに機内の好きなところに乗って成田を出発しました。

で、アンカレッジを経由してロンドンへ向かう朝、飛行機の中でみんなでBBCのニュースを聞いていたのです。コックピットから機内のスピーカーに音声が流れるようにして。
そうしたらそのラジオの中で、タイのバンコックからオーストリアのウイーンへ向かうラウダエアという会社の飛行機が墜落したというニュースが流れまして、機内は騒然となりました。

「うわぁ~!」

私は体が震えました。
飛行機に乗っている最中に飛行機の墜落事故のニュースを聞くというのもなかなか衝撃的ですが、実は土曜日の夜、壊れた便に乗るはずだった団体の目的地がウイーンで、飛行機が飛ばないとなった時に添乗員さんから詰め寄られたのです。

「どうしてくれるんですか? ウイーンの劇場を予約しているんで、何とか間に合わないと困るんですけど。」

という感じ。

で、他社を含めて空き状況をチェックしたのですが、その時に成田からバンコックに飛んで、ラウダエアに乗り継いでウィーンに行けば間に合うことが分かったので、添乗員さんに「いかがですか? このコースなら間に合いますけど。」と尋ねました。
添乗員さんは会社に連絡を取って、しばらくして戻ってきて、「ウイーンの観劇は会社が変更してくれることになりましたので、予定通りロンドン経由で行きます。」となって、皆さん成田のホテルにお泊りになられて翌日の便で出発されたのですが、もし、あの時、バンコック経由でウィーンという便を添乗員さんが選んでいたとしたら、その便がまさに墜落した便だったのです。

確か「ラウダエアですか? 聞いたことがない会社には乗りたくありません。」というような返事だったような気がしますが、ラウダエアって、あのカーレーサーのニキ・ラウダが経営していた会社でした。


▲この飛行機はB747-400。既に過去の飛行機になってしまいました。

ということを飛行機の中で経験した私は、ロンドンに到着してホテルへ入りました。
ヒースロー空港の近くの、昔、野戦病院だった建物を改装したというホテルで、先輩たちから「お前、あそこのホテルは幽霊が出るぞ」などと脅かされていました。
でも、私はあまり幽霊とかお化けとか怖くない性格なので、気にもしませんし、だいたい、外国のお化けって実感ないから怖いとも思いませんしね。

ホテルに到着して、夕飯は近くのパブへ行きました。

ロンドンですから、あちらこちらにパブがありますが、その1つのパブに入って、ビールとステーキを注文したのです。

さあ、ここからがお芋の話。

そう、ステーキのお皿の上に、小さなジャガイモの茹でたやつがたくさん盛られていたんです。
個数にしたら20個ぐらいかな。

パブのおばちゃん、ニコニコしながら、「あんた若いんだから、いっぱい食べてね。」と言って、てんこ盛りのジャガイモのお皿を目の前に置きました。

「うひょ~」ですよ。

いくら小さいとはいえジャガイモ20個。
それに茹でたグリンピースがどっさり。

なんじゃこりゃ~ の世界です。

いまならスマホで写真撮りますが、当時、ご飯食べに行くのにいちいちカメラなど持って行きませんから写真はありませんが、そのてんこ盛りに盛られたジャガイモのシーンを今日、スーパーで売っているジャガイモを見て思い出したのであります。

でもって、その20個のジャガイモのうち、努力に努力を重ねて、半分の10個ぐらいはビールで流し込んだのですが、もう半分はとても無理。
でも、おばちゃんニコニコで「いっぱい食べてね」と言われた手前、残すのも気が引ける。
で、テーブルの上にあった紙ナプキンを数枚広げて、おばちゃんが見ていないところでジャガイモを紙ナプキンで包んで、着ていた革ジャンのポケットに入れて、

「あぁ、おいしかった。ご馳走様」

と言ってお店を出たのであります。

でもって、その晩は日本人スチュワーデスの滞在ホテルへ忍び込んだかどうかは記憶にないのですが、ぐっすりと寝た翌朝、私は会社へ行きました。
もちろん、革ジャンではなくスーツのジャケットを着て。

で、一日お仕事をして夜ホテルに帰ってきたのですが、なんだか部屋の中が臭い。

何だろう? 何だろう?

あっ! そうだ! 昨日の芋だ!

すっかり忘れていた革ジャンのポケットにしまった芋。

プ~ンと匂っていて、つまり、腐っている。
当時のロンドンのホテルには冷房なんてありません。
茹でた小芋が紙にくるまれ、革ジャンのポケットの中でさらに蒸されて、程よく腐っていたのであります。

おえっ!

部屋の中に置いておくわけにはいきません。
廊下に出しておくのも無理。

私は野戦病院の部屋の窓を開けて、もしかしたら兵士たちが埋められているかもしれない植え込みめがけて全部投げ捨てたのであります。

あとは野となれ山となれ。
古いホテルなので窓が開いたのが幸いでした。

幽霊よりも腐ったお芋の方がはるかに恐ろしい1991年5月の思い出でした。

いやだねえ。
スーパーの売り場で小芋が売られているのを見て、一瞬でそんなことを思い出すのですから。

その時、3男が生まれて2か月。
私が毎日抱っこして寝かしつけていたのですが、一週間の出張を終えて家に帰って3男を抱っこしたらいきなり泣いたのです。

こいつ、たった一週間で父親のことを忘れやがったな。

そう、襟裳岬でアイスを落とした彼です。

その3男も今ではお父さん。
まもなく2人目が生まれるのですから、人生あっという間でございますよ。

と、まあ、スーパーで芋を売っているのを見てこんなことを思い出した私は、思わずその芋を手に取って、かごに入れて買って来てしまったのであります。

はて、どうするかな。

ということで、お芋の話とは全く関係ございませんが、雪月花は運行開始から8周年。
本日15時より発売開始いたしました6月8・9日の雪月花只見線乗り入れコースですが、発売開始から10分ほどで往復70席が完売したと日本旅行から連絡が入りました。

お申込みいただきましてありがとうございました。

皆様引き続きどうぞよろしくお願いいたします。