昭和の残照 その2 「ある日曜日」
時間があるときに子供の頃に写した膨大なネガをひも解いています。 スキャナーにかけると結構時間がかかるもので、写っている物を確認しながら36枚撮り1本をスキャンすると1時間以上が経過しています。 そして、不思議なもので、ス…
昭和の思い出話
時間があるときに子供の頃に写した膨大なネガをひも解いています。 スキャナーにかけると結構時間がかかるもので、写っている物を確認しながら36枚撮り1本をスキャンすると1時間以上が経過しています。 そして、不思議なもので、ス…
昭和の思い出話
5月6日のブログで、新宿駅に停車している「あずさ2号」の写真を掲載させていただきました。 それがなかなかご好評をいただきましたので、ここ数日、私のFACEBOOKページで、「昭和の時間」として1970年代に撮影した写真を…
昭和の思い出話
ちょっと中休み。 1日だけの平日ですが、いすみ鉄道沿線地域は今日は少し穏やかでした。 先ほど、4日ぶりに帰宅しました。 明日もまた泊りの予定です。 今朝は4時半に起きてラジオの生出演に備えました。 さすがに少し疲れました…
昭和の思い出話
今日はなんだか疲労しています。 花粉の飛散が本格化して、薬のおかげで症状は治まっているけど、その薬で頭がふらふらになっているからかもしれません。 こういう時は、余計なことを考えてはいけません。 ということで、ボーっとする…
昭和の思い出話
Facebookでも数名の方が書かれていましたが、昨日12月14日は日本の国鉄から蒸気機関車が引く旅客列車が消えた日でした。 1975年(昭和50年)12月14日。 この日は室蘭本線で最後まで残っていたC57がけん引する…
昭和の思い出話
昨日までずっと連続仕事だったので、今日は久々の休み。 でも、外は秋の雨。 太田裕美の「September Rain」でも聞こうかと思ったけれど、だとするとやはり必要なのは昭和の時刻表ですね。 ということで、昭和の時刻表の…
昭和の思い出話
おとといは私の大好きな宮崎県の日豊本線の話をしました。 電化前の日豊本線は、今、JR東日本で復活したC6120をはじめとする大型蒸機機関車がたくさん走っていて、それはそれは、東京の少年にとっては憧れの場所でした。 だから…
昭和の思い出話
本日は久しぶりのお休み。 佐倉の自宅で朝からFACEBOOKをやって、ブログを書いておりますが、おっと、これから大多喜へ行かなければなりません。そしてその後は錦糸町のイベント会場へ。せっかく錦糸町まで行くのですから、夜は…
昭和の思い出話
昨日に続きまして、葛飾区の石田俊幸さんが送ってくれた国鉄時代の木原線の写真をご紹介します。 現在61歳になられた石田さんが中学生の時に撮影した昭和44年の木原線です。 当時はまだ新小岩や佐倉に蒸気機関車が残っ…
昭和の思い出話
先日、昭和の国鉄時代の木原線の写真をご紹介させていただきましたが、撮影者で葛飾区にお住いの石田俊幸さんが大多喜駅を訪ねてくれました。 (拡大) 先日のブログでは「Iさん」とお伝えいたしましたが、本名で掲載の御…
昭和の思い出話
先日、江戸川区にお住いのIさんという方からお手紙と写真が届きました。 「社長ブログ楽しく読ませていただいております。私は昭和29年生まれで、昭和43年の中学2年生の時にヨン・サン・トー(昭和43年10月の白紙…
昭和の思い出話
昭和48年5月号のJTB時刻表から、昨日の続きです。 福島県にあった国鉄日中線は1日3本しか列車が走っていませんでしたが、その3本の列車すべてが機関車が引く列車で、すでにディーゼルカーが一般化していた時代にあって、なかな…
昭和の思い出話
昭和の時刻表の話は皆様方に大好評をいただいておりますが、今日は日中時間帯に列車が走らない「日中線」のお話です。 すでに廃止されて30年もの年月が流れていますので、日中線という路線は名前さえも忘れ去られてしまったと思います…
昭和の思い出話
この季節になると、房総の夏ダイヤを思い出します。 7月20日前後からの約1か月間は、内房線、外房線共にダイヤが大きく変わって、断然にぎやかになったんです。 当時の国鉄は、東京地区は3つの鉄道管理局に分かれていました。 東…
昭和の思い出話
昭和の喫茶店の話から派生して・・・ 今から40年前の1972年(昭和47年)7月に房総電化が完成し、東京地下駅が開業しました。 それまで、両国からキハ28のディーゼル急行に揺られていた外房への旅が、東京地下駅から183系…
昭和の思い出話
昭和の鉄道写真を掘り返していて喫茶店のことを思い出しました。 今はスタバやドトールなどが一般的になりましたし、ファミレスのドリンクバーなんてのもあります。コンビニも街中にたくさんできていますし自動販売機もいたるところにあ…
昭和の思い出話
はるか遠くからシャキシャキとしたドラフト音が聞こえてくる。 C56という機関車は体は小さい割には歯切れのよいドラフトが特徴のカマで、登ってくる音が数分も前から聞こえてくる。 声はすれども姿は見えず、とはこのことか。 八ヶ…
昭和の思い出話
古いネガを見ていたら秋田県の矢島線(現由利高原鉄道)を初めて訪れた時の写真が出てきました。 昭和49年12月末 中学校2年生の時です。 当時は東北にも上越にも秋田にも新幹線などありませんから、私は上野から特急「とき」に乗…
昭和の思い出話
今日は3月15日。 昭和47年(1972年)に新幹線が岡山まで開業した日。 「ディスカバー・ジャパン」 「ひかりは西へ」のコピーで、鉄道がどんどん発展していった。 発展するということは新しいものができるのはもちろんだけど…
昭和の思い出話
高校生になって、ちょうど原付の免許を取った時、ラッタッタというバイクがホンダから発売されました。 同級生の家がバイク屋だったので、少し値引きしてもらい5万円ほどでさっそく購入して乗り始めました。 乗り始めるとすぐにバイク…
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