国鉄木原線の写真 その3
昨日に続きまして、葛飾区の石田俊幸さんが送ってくれた国鉄時代の木原線の写真をご紹介します。 現在61歳になられた石田さんが中学生の時に撮影した昭和44年の木原線です。 当時はまだ新小岩や佐倉に蒸気機関車が残っ…
昨日に続きまして、葛飾区の石田俊幸さんが送ってくれた国鉄時代の木原線の写真をご紹介します。 現在61歳になられた石田さんが中学生の時に撮影した昭和44年の木原線です。 当時はまだ新小岩や佐倉に蒸気機関車が残っ…
先日、昭和の国鉄時代の木原線の写真をご紹介させていただきましたが、撮影者で葛飾区にお住いの石田俊幸さんが大多喜駅を訪ねてくれました。 (拡大) 先日のブログでは「Iさん」とお伝えいたしましたが、本名で掲載の御…
先日、江戸川区にお住いのIさんという方からお手紙と写真が届きました。 「社長ブログ楽しく読ませていただいております。私は昭和29年生まれで、昭和43年の中学2年生の時にヨン・サン・トー(昭和43年10月の白紙…
昭和48年5月号のJTB時刻表から、昨日の続きです。 福島県にあった国鉄日中線は1日3本しか列車が走っていませんでしたが、その3本の列車すべてが機関車が引く列車で、すでにディーゼルカーが一般化していた時代にあって、なかな…
昭和の時刻表の話は皆様方に大好評をいただいておりますが、今日は日中時間帯に列車が走らない「日中線」のお話です。 すでに廃止されて30年もの年月が流れていますので、日中線という路線は名前さえも忘れ去られてしまったと思います…
この季節になると、房総の夏ダイヤを思い出します。 7月20日前後からの約1か月間は、内房線、外房線共にダイヤが大きく変わって、断然にぎやかになったんです。 当時の国鉄は、東京地区は3つの鉄道管理局に分かれていました。 東…
昭和の喫茶店の話から派生して・・・ 今から40年前の1972年(昭和47年)7月に房総電化が完成し、東京地下駅が開業しました。 それまで、両国からキハ28のディーゼル急行に揺られていた外房への旅が、東京地下駅から183系…
昭和の鉄道写真を掘り返していて喫茶店のことを思い出しました。 今はスタバやドトールなどが一般的になりましたし、ファミレスのドリンクバーなんてのもあります。コンビニも街中にたくさんできていますし自動販売機もいたるところにあ…
はるか遠くからシャキシャキとしたドラフト音が聞こえてくる。 C56という機関車は体は小さい割には歯切れのよいドラフトが特徴のカマで、登ってくる音が数分も前から聞こえてくる。 声はすれども姿は見えず、とはこのことか。 八ヶ…
古いネガを見ていたら秋田県の矢島線(現由利高原鉄道)を初めて訪れた時の写真が出てきました。 昭和49年12月末 中学校2年生の時です。 当時は東北にも上越にも秋田にも新幹線などありませんから、私は上野から特急「とき」に乗…
今日は3月15日。 昭和47年(1972年)に新幹線が岡山まで開業した日。 「ディスカバー・ジャパン」 「ひかりは西へ」のコピーで、鉄道がどんどん発展していった。 発展するということは新しいものができるのはもちろんだけど…
高校生になって、ちょうど原付の免許を取った時、ラッタッタというバイクがホンダから発売されました。 同級生の家がバイク屋だったので、少し値引きしてもらい5万円ほどでさっそく購入して乗り始めました。 乗り始めるとすぐにバイク…
ちょうど高校生の頃、狩人という兄弟が歌う「あずさ2号」という曲が大ヒットしました。 鉄道をテーマにした歌謡曲は時々あったけれど、この「あずさ2号」の歌詞の中にある「8時ちょうどの、あずさ2号」というフレーズが、妙になじん…
ニュースで見ましたが、週末に秩父で夜祭が行われたようですね。 秩父の夜祭は毎年12月の初めに行われるお祭りですが、子供の頃は、東上線沿線で秩父が身近だったこともあり、良く耳にした言葉でした。 私はお祭りそのものには興味が…
津波で大きな被害を受けた岩手県の宮古市。 私が最初にこの町を訪れたのは、今から35年前の昭和51年(1976年)3月のことです。 高校受験が終わって卒業前に中学校の友達と3人で、ラサ工業の構内入換え用に残っていたC10と…
前回のブログでご紹介したこの写真について、せっかくですからもう一度、詳しくお話します。 国鉄形気動車は(特急用は別として)、急行形と一般形の各系列を混成して列車の編成を組むことが可能でした。 房総地区の列車も、電化前は、…
中学3年生の娘が勉強もしないでテレビばかり見ている。 うちには5人も子供がいて、上の3人は東京の大学に行って、何とか成人してくれて、彼女はその4番目だから、親ももう「勉強しろ」と言わない。 1人か2人の子供を一生懸命に育…
前回の循環急行「みさき」「なぎさ」に続いて電化当時の外房線の話。 房総電化が完成し、東京地下駅から「わかしお」 「さざなみ」が発着するようになったときに小学校6年生だった私の目から見ると、確かに新型の183系特急電車や、…
房総特急の陰に隠れてしまい、意外と知られていないのが急行列車の 「みさき」 と 「なぎさ」。 昭和47年7月の房総電化、東京地下駅開業で、「わかしお」「さざなみ」という特急列車が走り始めたのは皆さまもご存じのとおりですが…
夜汽車の中でほとんど眠れぬまま函館についた木村君と私は、もっと眠りたい、と2人の意見が一致し、とりあえず、また列車に乗ることにした。 乗車したのは松前行の急行「松前」。江差へ行く急行「えさし」と併結されていて、途中の木古…
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