循環急行 みさき なぎさ

房総特急の陰に隠れてしまい、意外と知られていないのが急行列車の 「みさき」 と 「なぎさ」。
昭和47年7月の房総電化、東京地下駅開業で、「わかしお」「さざなみ」という特急列車が走り始めたのは皆さまもご存じのとおりですが、当時から言われていたのは、そもそもこの距離で特急列車が必要かどうか、ということ。
国鉄が増収のために(急行料金200円から特急料金500円を払わせるために)、急行を特急にしたと、皆から言われていたが、東京から安房鴨川を結ぶ外房線に、特急、急行、快速の3種類の優等列車が走り始めたのだから、当初は混乱した。
快速は上総一ノ宮より南に来るのは海水浴臨時列車で、夏期のみの運転だったけど、急行と特急がほとんど同じ区間を、ほとんど同じ停車駅で走ったのだから、所要時間で差がないとすれば、あとは車両の違いだけ。
特急は窓が開かない2人掛けのシート、急行は窓が開く4人掛けのシートなのだと思った。
特急の運転開始で房総半島を走る急行列車「そと房」「うち房」はその名前が廃止され、「みさき」「なぎさ」に変わった。
特急が東京地下駅発着なのに対し、この急行列車は、昔ながらの両国、新宿発着だった。
「みさき」も「なぎさ」も165系電車で、新宿を出た列車は房総半島をぐるりと回って両国行。
両国始発の列車は房総半島をぐるりと回って新宿行。
いわゆる循環急行列車というやつで、当時の国鉄には全国的に見てこのような列車がいくつかあった。
千葉から外房線→安房鴨川→内房線と時計回りに回る列車を「みさき」。
内房線→安房鴨川→外房線と反時計回りに回る列車を「なぎさ」といった。
「みさき」にも「なぎさ」にもそれぞれ両国発新宿行と新宿発両国行の列車があって、勝浦へ行く場合は、行きは両国発も新宿発も「みさき」、帰りは両国行も新宿行も「なぎさ」だったから、何だか知らないけれどややこしかった。
そして、この循環急行は勝浦から館山までの区間はそのまま各駅停車として運転されていたから、列車名で判断しようとすると、鉄道ファンじゃなければ区別がつかないような、何だかわからない列車だったのだ。
勝浦のおばあちゃんちからの帰りに、館山を回る「みさき」で帰った。
「両国からの急行みさきは新宿行で、板橋へ帰るのに便利だし、勝浦から館山まで急行券なしで乗れるから、明日は安房鴨川方面の急行に乗って帰ります。」などと言っても家人は理解できず、「アキラがそう言うのなら、間違いないから、それで帰りなさい。」と言われたのだった。
皆からすれば、訳が分からない列車だったかもしれないけれど、どれに乗っても都内へ帰れるのだから、気にすることはない。
どうせ乗るなら、長く乗ってられる「みさき」に乗って、鴨川、千倉、館山、木更津を回って帰ろうと思ったのである。


[:up:]165系で運転されていた「なぎさ」 この写真は昭和48年1月の撮影。電化後まだ半年しかたっていなかったころ。私は小学6年生だった。


[:up:] 電化の翌年、昭和48年8月。夏休みになると、特急も急行も、どの列車もいつも混んでいた。後ろのバスも懐かしい。私は中学1年生だった。
写真はすべて上総興津にて。