文化の日に思うこと。

昭和の喫茶店の話から派生して・・・
今から40年前の1972年(昭和47年)7月に房総電化が完成し、東京地下駅が開業しました。
それまで、両国からキハ28のディーゼル急行に揺られていた外房への旅が、東京地下駅から183系特急電車に変わり、房総もずいぶん近代化したんだなあと思いました。
勝浦の人たちも紫煙を吐いて走るディーゼルカーよりも近代的な特急電車の方が良いわけで、(良いと思い込んでいたわけで)、みんな喜んでいましたが、急行「そと房」から特急「わかしお」に変わって近代化したと思ったのもつかの間、今までよりもずいぶんと汽車賃が値上げされたことに気が付きました。
それまで、東京から勝浦までの運賃は470円。それに急行料金200円の計670円だったものが、急行列車が特急列車に変わっただけで、200円だった急行料金が自由席特急料金500円と、実に2.5倍も値上がりしたのですから、当時の大人たちは皆国鉄に対して怒っていました。
急行が特急になって料金は高くなりましたが、所要時間では15分か20分程度しか短縮されませんでしたから、田舎の人が怒るのもなおさらですね。
国鉄もその辺は考えていて、わざとゆっくり走るような急行列車を並行してダイヤに入り込ませていましたので、一応、値上げではないというのが建前でしたが、列車が混んでた当時は、乗客側には選択の余地がなく、駅の切符売り場で「東京まで」といえば、特に何も言わなければ特急の切符が出てきた時代でした。
では、500円の自由席特急料金がどのくらいの価値観だったのかというと、同じときに千葉駅のやきはま弁当が200円、勝浦駅のあわびちらしも200円でした。
1日30円の私の小遣いでは駅弁は高くて買えませんでしたが、駅構内の立ち食いそばならば40円か50円でおなか一杯になりましたし、スイッチバック時代の大網駅のアイスクリームは確か20円でした。
房総の列車にはありませんでしたが、長距離特急列車にはたいてい食堂車が連結されていて、「高い、まずい」の代名詞のように言われていましたが、それでも子供心にいつかは食堂車で食べて見たいと思っていました。
その食堂車のメニュー(新幹線)から一例
ビーフシチュー定食 420円
うなぎご飯 450円
カレーライス 180円
エビフライ 380円
ポークカツレツ 250円
スパゲッティ 200円
ビール 200円
コーヒー 100円
ジュース 80円
とまあこんな値段でしたから200円の急行料金が特急になっただけで500円に値上がりしたのはとても大きな出来事だったのです。
(現在あるとして食堂車でのコーヒー1杯500円と考えれば、今のお金の価値でいえばだいたい5倍ぐらいでしょうか。当時500円の自由席特急料金は2500円ということになります。)
1972年といえば、明治5年の鉄道開業からちょうど100年の年。
ということは今年の12月に100周年を迎える千葉県営夷隅人車軌道の開業からは60年だったわけです。
開業60年ということは、当時の老人たちは夷隅人車軌道のことを記憶していた人もたくさんいたはずで、今思えば、いろいろ話を聞いておけばよかったなあと思います。
勝浦のおばあちゃんが私を寝かしつけるときによく汽車の話をしてくれたのを覚えていますが、明治30年生まれだったおばあちゃんが言うには、外房線は勝浦止まりだった時期が長く、東京からのお客さんは勝浦で降りるとそこからは汽船に乗り換えて鴨川方面へ行っていたんだと話してくれました。
汽船は興津や行川、小湊、天津などの港に寄港しながら、たっぷり時間をかけて走っていたわけです。
やがて線路は興津まで伸び、その後、さらに小湊方面へと敷かれたそうですが、おせんころがしが難所で、工事がはかどらなかったことも話してくれました。
そんなことを考えると、いすみ鉄道が今回導入したキハ28は、高度経済成長真っ只中の時代に東京から千葉への輸送を担っていた車両ですから、私にしてみれば、この車両は歴史の生き証人であり、産業遺産であり、文化財だと思うわけです。
私の友人で勝浦市議の戸坂健一さんが、先日面白いサイトを紹介してくれました。
江戸時代の通貨の価値が記されていますので、ご興味のおありの方はご覧ください。
江戸時代の物価基準と現在の価値換算
こういう資料を見ると、文化というものは、何も特別なものではなくて、私たちの生活そのものなんだなあと感じる次第でございます。


1972年、房総電化完成時の時刻表 250円
下段の時刻は電化直前の房総東線(外房線)
手あかが染みついているのは当時小学校6年生だった私が、いかに勉強もしないで時刻表ばかり見ていたという証拠です。
こういうものを捨てられずに40年も保管してあるということは、偉いのは私ではなくて私の家内である、というのも我が家の文化なのであります。