秩父夜祭

ニュースで見ましたが、週末に秩父で夜祭が行われたようですね。
秩父の夜祭は毎年12月の初めに行われるお祭りですが、子供の頃は、東上線沿線で秩父が身近だったこともあり、良く耳にした言葉でした。
私はお祭りそのものには興味がなかったのですが、このお祭りの日に合わせて1年に1度だけ運転される東上線の臨時列車を見るためによく線路際に出かけました。
あまりはっきりした記憶はないのですが、確か夕方17時か18時ごろに池袋を出るダイヤで、急行よりも停車駅が少ない特急のようなダイヤだったような気がします。
特急のようなというのは、確かその頃は東上線には特急が走ってなくて、準急と急行だけだった気がするからで、特急はあったとしても週末などの臨時列車だったように記憶しています。
この「秩父夜祭号」は毎年きまって旧型の7800型が使用されていました。
こちらも正確には記憶していませんが、当時は8000系が主流だったものの、まだ旧型も幅を利かせていて、7800型よりもさらに古い7300型もときどき見かけましたが、連結面の形状が違っていたことを思い出します。
残念ながら冬の夕方の電車のため、特製のマークを付けた78の秩父夜祭号の写真は撮影しないままでしたが、まあ、あまりにも身近で、記録しておこうと思うほどの電車でもなかったからかもしれません。
書いているうちに思いだしてきましたが、日曜日の朝8時か9時ごろに池袋を出る寄居方面への観光用の特急があって、この電車は78の4両編成でした。
緑色の札を付けていたような気がします。
当時は大山駅がホームの両端に踏切があることから延長できず、各駅停車の車両は6両編成でしたが、有楽町線への乗り入れもないのにそれで需要がまかなえたのですね。
その後、78は越生(おごせ)線に追いやられ、1980年代半ばまで活躍していましたので、時々乗りに行きましたが、気づいたら無くなっていました。
ニス塗りの車内の独特な香りが何とも言えない電車で、当時は志木を出ると柳瀬川もみずほ台もなく、延々と走って鶴瀬でしたので、フルノッチで高速運転する時の釣りかけモーターのかすれるような音が今でも耳に残っています。
電車と言えば釣りかけ音じゃないと、という年代なのです。
最近では東上線にも乗らなくなりましたので、どんな車両が走っているのかも知りませんが、8000系も車体更新車以外はもう走っていないようですね。
8000だって昭和40年ごろにはすでに走っていた車両ですから、考えてみれば昭和の鉄道車両は丈夫で長持ちしたと思います。
ネガを整理していたら出てきた写真を見て思い出しました。


1977年ごろ。 1時間に1本の寄居行には78が結構入っていました。田舎へ行くから古い電車なんだ、と思ったものです。