ラッタッタでお散歩していた時代

高校生になって、ちょうど原付の免許を取った時、ラッタッタというバイクがホンダから発売されました。
同級生の家がバイク屋だったので、少し値引きしてもらい5万円ほどでさっそく購入して乗り始めました。
乗り始めるとすぐにバイクに夢中。
それまでは自転車を漕いで坂道を登るのがしんどかったけれど、右手首をひねるだけで、ブーンと走る快適さは一度乗ったらやめられない快感でした。
夏も冬も、とにかく毎日ラッタッタでお散歩。
滝野川のガールフレンドのところに顔を出して、王子から明治通りで尾久へ。
ここに来ると、夕方にかけて、次から次へと無数の長距離列車を見ることができたのです。
便利なことにラッタッタにはハンドルの前にカゴが付いているので、そのカゴにカメラバックを入れて、尾久へは何度も足を運びました。バイク小僧にはちょうどよいお散歩コースです。
あれから35年。
尾久(車両基地)の役割もすっかり変わってしまいましたね。
でも、日常のお散歩コースに東北本線の線路があったことは、良かったなあと思います。
片手間に撮った写真ですから、こんなのしかありませんが・・・


16時発の青森行「はつかり5号」が583系でやってきた。
そのすぐ後を追うように、上野16:14発の福島行普通列車。
この日のカマはゴハチだった。私としてはEF57を待っていたのに・・・(たぶん1977年 秋頃の撮影)
少ない小遣いをやりくりしていたのは「あずさ2号」を撮影していた小学生の時と同じ。カラーなんてめったに使えず、相変わらず白黒のネオパンSSが愛用のフィルムだったのです。
どうです、今の20代~30代の鉄男君たちには逆立ちしてもかなわないだろうという青春を私はすごしているのです。
そして、今となっては、そういう時代を過ごすことができたという、それだけでありがたいと思うのであります。
だから、キハ52がいすみ鉄道で走っているのだということをお解りいただけるでしょうか?