40年前のゴールデンウィーク

はるか遠くからシャキシャキとしたドラフト音が聞こえてくる。
C56という機関車は体は小さい割には歯切れのよいドラフトが特徴のカマで、登ってくる音が数分も前から聞こえてくる。
声はすれども姿は見えず、とはこのことか。
八ヶ岳のC56は「高原のポニー」と呼ばれていたけれど、客車を3両も引いたら精一杯で、いまにも止まりそうなほどゆっくりと急勾配を登る姿は「ポニー」と呼ぶにはふさわしくないと僕は思っていた。


そして目の前を通り過ぎる列車。
前の晩に新宿を出た列車には八ヶ岳へ向かう観光客がたくさん乗っていて、客車の中には立っている人もいる。
これでは列車も重いはずだ。
ふと見上げると、通り過ぎる客車の窓からこっちを見ているお姉さんと目が合った。
今思えば、このころから八ヶ岳は山男たちばかりでなく、若い女性のあこがれの場所になりつつあった。
そういえば、僕の人生は、きれいなお姉さんにいろいろと助けてもらってきた人生だった気がする。
電車遊びをしていてお金がなくなって、青山一丁目の駅で途方に暮れていた時に助けてくれたのもきれいなお姉さんだったし・・・
これ以上言うといろいろ差し障りが出そうだからやめとこう。
一つだけ言えることは、この八ヶ岳の汽車の窓のお姉さんも、青山一丁目のお姉さんも、今頃はどこかできっとおばあさんになっているということ。
そう言っては夢がない、というべきか、それとも、だから人生は面白いというべきか。
「社長さん、いつも応援してます。がんばってください。」
昨日、国吉駅で声を掛けてくれた女性も、昭和のきれいなお姉さんだった。
僕の昭和は、すぐそこにあるのか、それともずっと遠くへ行ってしまったのか、何だか日によって距離感が違っているのは年を取った証拠かもしれないな。
みんなでしあわせになるまつり in 夷隅
良かったなあ。
団長、駅長、みんな、ありがとう。
来年も「昭和」、やろうね。
キハ2両編成にするからさ。
よろしく。