高2の夏 小海線

総武流山電鉄に出かけてしばらくすると、夏休みに入った。
高校2年生の夏休みは部活に文化祭の準備、そして北海道旅行と実に多忙を極めた。
秋の文化祭の行事にクラスで何かやらなければいけないという課題があって、同級生の高瀬君と私で面白半分に「8ミリ映画を作ろう」という提案をしたら、それがホームルームで通ってしまった。
高瀬君は、その後、日本テレビに入社し、報道局勤務になったし、私は、航空会社に勤務しながら鉄道のビデオを制作する会社を興したので、今思えば、あの時が映像関係の 「ことの始まり」 だったのかもしれない。
先生が、カメラを借りてきて、チームを決めて、3つにわかれて競作しようという話になった。
高瀬君たちは、湘南海岸へ撮影に出かけ、私たちは小海線の清里へ行くことになった。
まだサザンオールスターズがデビューする前だったけど、湘南海岸はすでに若者たちのメッカになっていたし、小海線で行く清里は、当時は若い女性に大人気の場所として、原宿並みに沸騰していたあこがれの聖地だった。
いま思い出せば、クラスの女子の意見を取り入れるためには、そういう場所を舞台に選ぶ必要があったのだろう。
清里が女性の人気スポットになっていたことは、私にとっても好都合だった。
私が企画したのは国鉄最高地点を走る高原列車をテーマにしたショートストーリー(はっきり覚えていないけど、そうだったような気がする)で、撮影には私たちの班の中の女子2人を含めた4人で出かけることになった。(残念ながら流山電鉄の彼女は違う班になってしまった。)
当時の小海線は、新宿から夜行列車に乗っていく場所で、新宿を深夜に出る急行「アルプス」に乗って、超早朝の小渕沢で小海線に乗り換える夜行日帰り強行軍だった。
まだ若者にマイカーが普及する前の時代だったので、清里のような観光地に向かう列車はとにかく混んでいて、新宿からの夜行列車は通路やデッキにまで人があふれていたし、3両編成の小海線のディーゼルカーは、お客さんが多くて重くなりすぎたのか、車体を震わせながら、いまにも止まりそうな速度で高原を登って行った。
清里について、貸自転車を借りて、野辺山への途中にある国鉄最高地点を目指して走り、八ヶ岳を望むポイントで列車に向かってムービーカメラを回した。
もう一人の男子が運転する自転車の荷台に私が反対向きに座り、列車と並走しながら、走行シーンを写したりした。
そのころの8ミリカメラは、シングル8とスーパー8の2種類があり、カメラによって入れるフィルムが異なっていたが、どちらも1本のフィルムで3分間しか撮影することができず、もちろん撮り直しもきかない一発勝負の撮影行で、その日持って行った3本の8ミリフィルム(合計9分間分)は、午前中にすべて撮りきってしまった。
当時、フィルム代と現像代を合わせると1本(3分)で3000円近くかかったので、何本も持っていくことは無理な話だったのだ。
動画の撮影が終わり、野辺山で自転車を返却すると、もう少しすいているところを探そうと、少し先にある佐久海ノ口まで列車で行った。
僅か3駅だけど、佐久海ノ口は野辺山から比べると田舎の雰囲気がそのまま残っていて、観光客の姿は皆無だった。
当日は雲ひとつないよい天気で、八ヶ岳を望む高原の空気はとてもすがすがしかったし、キハ52、17、55などさまざまな形式が連結されたディーゼルカーの編成を撮影できた私は大満足した。
もちろん同行した女子もあこがれの清里、野辺山に行かれたことはうれしかったようだ。
ところで、その後の文化祭であるが、我々清里野辺山組と高瀬君たちの湘南茅ヶ崎組、そして、どこかに出かけるのが億劫だった都内地元組の3つの班が作り上げた8ミリ映像は、今では信じられないことだが、当時は映像に音声を入れることができなかったため、文化祭での上映は活動弁士ならぬ生ナレーターで行うといういい加減極まりないもので、編集担当班も8ミリフィルムを切ったり貼ったりしてつなげるだけで、エフェクトやトランディッションなどの映像効果をかけることもできなかったから、上映会は惨憺たる結果に終わったのであった。
高2の夏 つづく・・・

[:up:]佐久海ノ口駅で記念撮影。左端が当時の鳥塚君。
だから、当時の友達は今の私とすれ違っても私に気がつかないし、今の友達は、当時の写真を見ても私とは思わないのである。
昭和52年の高校生はこんなファッションだったのだ。(本人の名誉のために他の3人の顔は隠してあります。)

[:up:]佐久海ノ口駅前。当時は木材の積み出しが行われていたようだ。右奥の屋根下に見える段ボール箱は高原野菜の山。パカパカという音に駅前を見ると、馬車がのんびりと歩いていた。(地面が濡れているのは夕立の後)

[:up:]佐久海ノ口駅に着く列車。こんな山の中にも駅員さんがいた。

[:up:]帰りに乗った小海線は4両編成。前からキハ10、55、そして3両目はキハ52。乗車した4両目もキハ52だった。

このときの旅行に使ったのは国鉄が夏に売り出した八ヶ岳への往復割引切符。せっかく旅行に行っても女子と記念日を作るのでなく、こんなものを記念にするぐらいだから、私という男は本当に阿呆だったのである。(笑)