チョコレート電車の頃

前回の循環急行「みさき」「なぎさ」に続いて電化当時の外房線の話。
房総電化が完成し、東京地下駅から「わかしお」 「さざなみ」が発着するようになったときに小学校6年生だった私の目から見ると、確かに新型の183系特急電車や、165系で運転されていた急行電車は格好良く見えたものの、私としては、もっと低学年だった頃に、総武線の緩行電車や京浜東北線、常磐線など、東京中のあらゆるところで走っていたチョコレート色した旧型国電が気になった。
大都市の通勤輸送という第一線を退き、都落ちしたチョコレート電車が、外房線ではまだまだ地元の足として活躍している姿を見るのがうれしかった。
チョコレート電車は車内のほとんどが木でできていて、ドアを入ると目の前に1本の棒が立っていた。
手すりとしては便利なこの棒は、実は屋根の強度を支えるための支柱であると友達の兄貴から聞いて、車両の構造に興味を持ちだした。
チョコレート電車は走り出すとき、ウ~ンとうなるモーターの音がして、高速の域に達すると、ヒューンとかすれる音に変わるのを、子供はみんな、電車ごっこの時に口で音マネをした。
72・73系と呼ばれるチョコレート電車は、戦前から改良に改良を重ねた経緯があったため、車両のバラエティーがたくさんあって、編成の顔である先頭のクハ79も、作られた年代によって、ヘッドライトが飛び出ていたり、埋め込まれていたり、行き先表示板の取り付け位置が違ったりとさまざまで、来る電車来る電車、「今度はどんなのが来るだろう」とカメラを構えて列車を待つのが楽しかった。
今、いすみ鉄道でハンドルを握るベテラン運転士さんたちが、20代だったころ。
やっと一人前になって、颯爽と電車を運転し始めたころ、私は線路わきに立って、カメラを構えながら、彼らが運転するその列車を見送っていたのだった。



昭和48年1月 上総興津にて