機関車が引く列車しか走らない路線

昭和48年5月号のJTB時刻表から、昨日の続きです。
福島県にあった国鉄日中線は1日3本しか列車が走っていませんでしたが、その3本の列車すべてが機関車が引く列車で、すでにディーゼルカーが一般化していた時代にあって、なかなか興味深い路線として、中学生の私にとっては行ってみたい、乗ってみたい憧れのローカル線でした。
当時は今と違って情報を得るツールがほとんどありませんでしたから、毎日毎日学校へ時刻表を持って行って、時刻表を見ながら、「今頃、あの駅を発車した頃だなあ。」などと想像を膨らませることしかできなかったのですが、今思えば、そういう時代に育ったからこそ、今でも鉄道に夢中でいられるのかもしれません。
ということで、本日は日中線以外にあった機関車が引く列車しか走らない路線をご紹介します。

これは北九州にあった室木線と香月線です。
どちらも国鉄の末期に廃止されましたが、鹿児島本線の遠賀川から分岐していた室木線は1日6往復の列車が全て機関車がけん引する列車で、昭和48年当時は8620型蒸気機関車が引いていました。
室木線は11kmあまりの短い路線でしたが、この時刻表を見ると下り831列車が21:08に終着駅の室木に到着した後、そのまま一晩停泊して翌朝6:04に発車する820列車になっていることがわかります。
「山の中の終着駅で列車も乗務員も一晩泊まるんだなあ。」と、この時刻表を見ながら中学生の私はこんなことを考えていたのですが、実際の室木線の機関車運用は最終の831列車が室木に到着後、回送列車となって若松機関区へ帰り、翌早朝に始発列車のために、また別の機関車が若松機関区からやってきていたのです。
でも、情報の少ない当時は、そういうことは東京の中学生には知る由もないことでした。
もう一つ、1日の列車の全部が機関車の引く列車だった路線としては、山口県の美祢線の大嶺支線があります。

この大嶺支線はJR化後も引き継がれ、1990年代まで線路が存在していましたのでご存知の方もいらっしゃると思いますが、当時はD51がわずか1両の客車を引いて1日8往復、行ったり来たりしていました。
なぜ力持ちのD51がわずか1両の客車を引いていたのかというと、美祢線の貨物列車との共通運用だったからで、この大嶺支線は石炭輸送のために明治時代に線路が敷設された由緒ある路線ですが、当時も貨物輸送が残っていたからなんですね。
日中線、室木線、そしてこの大嶺支線も、貨物の取り扱いをしていたので、旅客列車に貨物をつないだ混合列車や、貨物列車の合間に旅客列車を走らせる必要があったことから、ディーゼルカーではなくて、機関車が引く列車が残っていたということなんです。
旅客のついでに貨物を運んでいたのか、貨物のついでに旅客を運んでいたのかは知りませんが、いずれにしても少ない輸送量だったことがわかります。
当時もバスはありましたが、バスは鉄道を補完する輸送としての色合いが濃く、今のように中長距離を走ることはできなかった時代は、短距離輸送にも鉄道が主役だったんですね。

最後は皆さまご存じの肥薩線の人吉―吉松間。現在、観光列車「いさぶろう・しんぺい」が走る区間も、普通列車はすべて機関車が引く列車でした。
肥薩線の山越え区間である人吉から吉松までの区間は、スイッチバック2駅とループ線があることで有名ですが、当時はD51が列車の先頭と一番後ろについて、前引き後押しで急こう配を登る区間として有名でした。
急行列車はディーゼルカーでしたが、区間運転の各駅停車は全て機関車が引く列車で、1日に5本の普通列車が運転されていましたが、ほとんどの列車が貨物と客車を連結した混合列車で、D51からDD51に切り替えられた後でも客車列車として残っていましたので、肥薩線内各駅発着の貨物需要がある程度あったことがわかります。
急行列車は「えびの」、「やたけ」など何本も走っていましたが、いすみ鉄道で今でも走っているキハ28と同じタイプの車両が長編成で使われていた区間ですが、そう考えるといすみ鉄道で国鉄形車両が今でも走っているということの意義がよくお分かりいただけるのではないでしょうか。
人吉とか吉松というところは、東京の時刻表少年としては、心からあこがれたローカル線の聖地のようなところだったのです。
そして、いすみ鉄道の観光列車は、この肥薩線の人吉~吉松間をお手本にさせていただいているのです。
地域需要が見込めない路線でも、やり方によっては全国から、そして世界からも観光客を集めて活性化することができるんだ、という点で、大変勉強になるところですが、かつての時代を知ってるからこそ、今の対策が立てられると思うのです。
そういう意味で、私が中学生の頃、勉強もせずに時刻表ばかり読んでいたということは、決して無駄にはなっていないと、私は胸を張って言いたいのです。
そして、今の若い人たちにも、好きなことをとことんやることをお勧めしたいと思います。
ただし、やりたいことをやるためには、やらなければならないことだってあるし、目を背けたり逃げたりしてはいけないこともあるということも大切ですから、がんばって欲しいと思うのです。
(おわり)