私がジャニーズ系だったころ

中学3年生の娘が勉強もしないでテレビばかり見ている。
うちには5人も子供がいて、上の3人は東京の大学に行って、何とか成人してくれて、彼女はその4番目だから、親ももう「勉強しろ」と言わない。
1人か2人の子供を一生懸命に育てている皆さんから見ると常識が問われそうだけど、わたくし的には娘がこのまんま勉強しないでいたら、どんな人間になるのか、行く末を見てみるのも悪くない。
本人がその気にならないのなら、無理に高校生にならなくても、いろいろな人生があることだけは確かだから、そう考えると、別に腹も立たないのである。
彼女が見ているテレビはいつも嵐か関ジャニ∞。
録画して、同じのを何度も見ていたりする。
ふと、そのテレビの画面を覗きこむと、中にどこかで見たような姿の奴が出ている。
そうそう、思い出した。
昔の俺は確かにこんな感じだった。
賢明なる読者の皆様はすでにお気づきのことと思いますが、昔の私はジャニーズ系だったのであります。(!!!)
そこで、テレビを見ている娘に「俺の昔はこんな感じだったよ。」と言ってみた。
すると、
「ちょっと、やめてよ。 の訳ないじゃない。」
と、予想通りの答え。
そりゃそうだよね。
タノキンのよっちゃんだって、今じゃ全然違う。
「昔は俺も・・・」ということ自体が、アホらしいし、言ってる自分が情けない。
昔はここに蒸気機関車が走っていたんだ、と言っても今の若い人には誰もわからないのと同じ。
でも、JRなんか、時々、本当に昔どおりに蒸気機関車を走らせてくれたりするからね。
だから、私も、私がジャニーズ系だったころの写真ぐらいお見せしても罰は当たらないよね。
高校時代は現像代を安く上げるために写真部に籍をおいていたので、とにかく白黒写真がたくさんあって、その中には何を間違ったのか、自分が写っているのがときどきある。
小学校4年生からカメラを持って写真を写してきた私の人生は、どこを切っても鉄道が存在するということもお分かりいただけるでしょう。
「今では信じられない本当にあった話?」
なんとでも言ってくれ。
おじさんは、こういう時代を経て、今に至っているのだ。


[:up:] 1977年9月 西武山口線にて。
可愛い小さな列車が走っていた西武鉄道の山口線は、東京近郊でSLが走る路線として人気があった。オートバイ仲間の木原君(右)と、原付バイクでよく通った。
上の写真で私が連結器の上に乗っているのは、「おとぎ電車」用のバッテリー式の機関車。
下の写真で後ろに写っている蒸気機関車は、台湾の製糖工場でサトウキビを運んでいた軽便(けいべん)鉄道用の機関車。
この西武山口線は今では新交通システムになっている。
滝野川のオートバイ仲間の木原君、北海道へいっしょに行ってくれた池袋の木村君、今どうしてる?
関係者を含んでこのブログを見てくれていたら、乞連絡。
30年の時空間を飛び越えて一杯飲みましょうよ。
ホームページのTOPから会社あてにメールをくださいな。
早くしないと肝臓がやばそうだから・・・