国鉄矢島線

古いネガを見ていたら秋田県の矢島線(現由利高原鉄道)を初めて訪れた時の写真が出てきました。
昭和49年12月末
中学校2年生の時です。
当時は東北にも上越にも秋田にも新幹線などありませんから、私は上野から特急「とき」に乗り新潟へ。
新潟からは急行「しらゆき」に乗り継ぎました。
上野からは羽越線経由で秋田へ行くのは特急「いなほ」に乗るのが通常のコースでしたが、わざわざボンネットの181系に乗って、金沢から青森へ向かう急行「しらゆき」を新潟で捕まえたのですから、今思ってもマニアックです。
中学2年生の時刻表読みらしいと言えばそういえるかもしれません。
朝上野を出たものの、キハ2858の「しらゆき」で羽越本線を延々と走って羽後本荘に着いた時にはすっかり日が落ちた後でした。
夜の矢島線に乗って羽後矢島から国鉄バスで山の上の国民宿舎へ行きました。
そしてそこでスキーをしながらお正月を迎えたのです。
昭和50年1月1日。
国民宿舎の食堂でニュースを見ていた私の目に飛び込んできたのは長野県の青木湖にスキーバスが落ちたニュース。
鳥海山の国民宿舎も雪景色の中をバスでかなり険しい道を走って行きましたから、帰りのバスは大丈夫かなあと思って怖くなったことを覚えています。


この写真は羽後矢島からやってきた矢島線の列車が羽後本荘駅に到着したところ。
1月2日だったと思いますが、帰省客でにぎわっていたため、4両編成です。
記録していないので記憶に頼るしかありませんが、先頭からキハ22、10系気動車2両、そしてキハ58。
キハ58だけは車体番号が525と読めます。
当時の58はピカピカでした。

[:up:] 旧型客車の窓を開けて「いなほ」をパチリ。  秋田駅で
この後、私は旧型客車の普通列車で秋田へ出て男鹿線を男鹿まで往復。秋田駅前で夕ご飯を食べて、上野行の寝台急行「天の川」に乗りました。
同じ秋田からの夜行急行列車には「鳥海」もありましたが、自由席や指定席などの座席車が連結されている「鳥海」は全車両寝台車の「天の川」に比べると見劣りがしました。
かといって同じ全車両寝台の「あけぼの」は特急ですから、特急料金に二の足を踏んで結局のところ急行「天の川」を選んだのだと思います。
10系客車の「天の川」は一番後ろの車両だったためか、客室内にもすきま風がピューピューで(当時はデッキが開けっ放しでしたから)寒くて寝られず、ずっと通路で外を見ていましたが、新潟から隣に増結編成が連結されて寝台に入ったことを覚えています。
「天の川」の寝台券は確か1400円(急行料金300円、寝台料金1100円)だったと記憶していますが、ずいぶん奮発したものですね。
秋田空港は今の秋田空港ではなく、海辺の小さな空港で、全日空のYS11が飛んでいましたが、「飛行機」という選択肢は全くありませんでした。
ちなみに当時の東京―秋田の航空運賃は片道8400円。
この時使用した「秋田・男鹿ミニ周遊券」は学割で3500円。新潟で買ったとんかつ弁当は300円でした。
写真を見るだけで忘れていたいろいろな汽車旅の記憶がよみがえるのも鉄道ファンの特権だと思います。
今、いすみ鉄道に遊びに来てくれる若い人たちも、30年40年後に、そんな思い出を持っていただけたら良いなあ、と私は考えます。