現在窮乏、将来有望

現在窮乏、将来有望(げんざいきゅうぼう、しょうらいゆうぼう)

今から40年近く前の私のキャッチコピー。

とにかく苦しかったことを思い出します。

基本的に若者というのはいつの時代でもその時は苦しい。
木々が芽吹いて大きくなっていく時ですから、やっぱりいつの世も苦しいのです。

会社の中もそうですが、若い人たちを見ていると、「ああ、そういえば私もそうだったなあ。」と思い出すことしきりです。

最近では記憶もあやふやになって来ていますので、いちいち細かいことは覚えていない。
いや、覚えているつもりになっているんですが、それがあやふやでだんだん自信が無くなってくる。
だから、覚えていると思っていることが、実は覚えていないことかもしれないなどと不安になる。

たとえば30年ぶりぐらいに降り立った駅。
え~と、確かこっちだったなあと改札口を出て右の方へ歩いていくと、「おかしいなあ。すっかり変わってしまって。」と思いながら見覚えのない町を歩いていくことになるのですが、実は改札口を出て右だと思っていたところが左だったというただそれだけのことだったりします。

う~ん。

おかしいなあ。

そういうことが3回も続くとだんだん自分に自信が持てなくなってくる。
だったら、最初から記憶を頼りになどせずに、思い込みもせずに、あらかじめ調べて行こう。
60を迎えるということはだんだんとそうなることなんだと自分に言い聞かせるようにするわけです。

昔の友達に会って、「お前、あの時こう言ったよな。」とか言われても、そもそも覚えていない。
そういう時はたいていはその友達に一生忘れられないようなひどいことを言ったり、あるいはしたりしたのでしょうね。
言われた方は覚えているけど、言った方は覚えていない。

本当に覚えていないのだから、いくら問い詰められても返事のしようがないわけです。

そういう時に、さらりと流してくれる友達はありがたい。
でも、きっとその友達も、そういうことが何度もあるのかもしれません。

そういう私でも、昭和50年4月2日の室蘭本線の225列車の先頭に立っていた機関車はカマボコドームのD511120だとか、昭和49年4月5日の山陰本線の828列車の機関車はD51837で、片方の徐煙板が戦時設計の武骨な機関車だったというようなことははっきりと覚えているのですから、正直言って始末が悪い。
つまり、まだらボケが始まっているとしか思えないのであります。

さて、昨今の世界情勢。
パンデミックだと大騒ぎになります。

こういう時は例えば前例主義の公務員のような人たちは大変だろうなあと思います。
何しろ、人類始まって以来の経験をしているのでありますから前例主義の人たちには手も足も出ない。
だから、厚生労働省のお役人さんたちがやっていることはすべて後手後手に回っている。
でも、だからといって彼らが怠けているかというとそうでもない。
彼らは彼らなりに過去の経験と少ない情報で、正しいと思っていることをやっているのだと私は思いますが、ということは改札口を出てたぶん右だと思って、それを信じて一生懸命歩いているのと同じですから、私は責める気にはならないのです。

つまり、そう信じている人には何を言っても無駄であって、願うのは一刻も早く間違っていることを気付いてほしいという以外の何物でもないのです。

では、35年も40年も昔の自分はどうだったかというと、最初の話に戻りますが、「現在窮乏、将来有望」。
女房子供を抱えてとにかく苦しかった思い出しかない。

どのぐらい苦しかったのかというと、のたうちまわって歩けない。
会社に行こうと思っても電車に乗ることもできない。

「え~」っと意外に思うかもしれませんが、そうだったのであります。

今なら「馬鹿野郎、ふざけるな!」と総理大臣に向かっても平気で言えますが、それは年を食ったから言えるのでありまして、20代の頃は、とにかく、もがき苦しんでいました。

だから、今、若い人たちはいろいろ苦しんでいるかもしれませんが、そんなに悲観することはありません。
パンデミックでビョーキが広がっているかもしれませんが、そんなに悲観することもない。

それが、なんとなく今夜思うことであります。

そう思って、昔のブログを読みかえしてみたら、いろいろ出てきましたので、週末の夜のお供にでもどうぞご一読ください。

今から8年ちょっと前、2011年12月14日のブログです。

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【君、それは病気だよ、の頃】

私の著書 いすみ鉄道公募社長、危機を乗り越える夢と戦略 の中に書いていますが、私は学生結婚をしました。

学生結婚というのは、親の言うことを聞かず、自分たちの狭い見識の中で意志を貫いた結果ですから、当然のようにとても障害が多く、生活もたいへんでした。
いま思い返せば、よくまあここまで続いたものだと、家内と二人で感心することしきりです。

私の場合は学校を卒業しても国鉄には入れず、航空会社の募集もない状態で、女房子供を抱えていましたから、とりあえず食っていくために、当時の知り合いから紹介されて、歯科矯正材料のセールスマンをやることになりました。
社会に出て初めての仕事です。

当時、小型機の操縦資格を持っている人の中には歯医者さんがけっこういて、そういう人の紹介で入ったわけですが、セールスマンなんて経験がありませんから、毎日、自尊心を傷つけられることの連続の日々でした。

当時、私にセールスマンをやるように勧めた人は、「社会に出て初めてやる仕事で、モノを売り込むという経験をしておけば、後になって必ず役に立つ。」と言っていて、私もそれに素直に従ったのですが、今思えば、この時のセールスマンの経験は、その人の言葉通り、私の中でとても大きなウエイトを占めているのがわかります。
でも、当時は、「馬鹿」とか「阿呆」とか言われる毎日で、クタクタになっていました。

私は生まれてすぐに腸捻転という病気をしたため、子どもの頃から腸が弱く、すぐにお腹を下す子供時代でしたが、20代前半も、精神的に追い詰められて、毎日おなかが痛くて、家を出て駅まで歩くのもやっとの思いでした。

当時私は小岩に住んでいて、会社は恵比寿。
小岩から総武線の黄色い電車に乗るのですが、電車がホームに入ってくる気配がすると、おなかが痛くなります。
次の駅まで、トイレに行けない!
そう思うからです。

電車に乗り込んでドアが閉まると、おなかの痛さはピークに達します。脂汗をかいて、心臓はドキドキ。
でも、次の駅が近づくと、スーッと気持ちが楽になるのです。

ひと駅ごとにそんな状態ですから、黄色い電車で秋葉原へ出て山手線の外回りに乗り換えるコースは、気が遠くなるほど。
これは駄目だと思って、ある時から快速電車で品川まで行くことにしました。
快速電車にはトイレが付いていて安心だからです。

小岩から新小岩までのひと駅を何とか持ちこたえて、快速のホームへ行くと、並ぶ乗車口は決まってクハかサハのところ。トイレが付いている1両目か4両目になるわけです。

これなら、途中で電車が立ち往生しても全然平気。
安心してぎゅうぎゅう詰めの車内に入った私の目の前でドアが閉まります。

新小岩を出た快速電車はすぐに長い鉄橋を渡ります。
ところが、朝の時間帯は前の電車が錦糸町の手前でつかえているために、私の乗った電車は、その長い鉄橋のちょうど真ん中で止まってしまいます。
すし詰めの電車のドア窓から下を見ると、荒川の流れが目に入ります。
その川の流れを見ていると、
「ああ、今、この電車が何かの事情で脱線したら、あの川に転落するなあ。」
とか、
「そういえば昔、中央線の63型電車が満員の乗客の圧力に耐えられず、走行中にドアが外れて乗客が転落死した事故があったなあ」
などと、よせばいいのに、そんなことが頭をかすめます。
そうすると、また脂汗が出てきて、心臓がバクバクになる。

次に、錦糸町を出た電車は両国から地下に入ると、またノロノロ運転。
すると
「隅田川の下あたりだ。今、大地震が来て、川底が決壊したら、このトンネルも水没する。そしたら皆死ぬんだ。」
なんてことが頭をよぎる。

ひと駅ごとにそんなことの繰り返しですから、会社に着いた時にはクタクタです。

「念のために」という言葉が私の思考回路の中ですべての行動に求められます。

地下鉄に乗っていて何かあるといけないから、かばんの中にはいつも小型の懐中電灯を持って乗る。
懐中電灯さえ持っていれば、途中で停電になっても大丈夫、と考えてほっとするのもつかの間、
「待てよ、大地震が来てトンネルが崩れたらどうするんだ。」
と考えて、次の不安が頭をよぎるのです。

「そうだ、崩れたトンネルから脱出するためにはスコップが必要だ。」
地下鉄に乗るときには、懐中電灯とスコップを持って乗らなければ・・・
でも、懐中電灯はともかく、スコップはどうするか。
まさか背広を着て大きなスコップを持って乗るわけにはいかない。
折り畳み式のスコップはないのか。
真剣にそんなことを考えていました。

高速道路を車で走っていても、「もし、急に渋滞になって、そのときおなかが痛くなったらどうしよう。」
こんなことが頭をよぎります。

そう考えた瞬間に、本当におなかが痛くなるし、脂汗は出るし、心臓はバクバク。
そのうちパーキングエリアが近づいてくると、何だか気持ちがスーッと楽になります。

「この分だと、次のパーキングエリアまでなら大丈夫だろう」
そう思って目の前のパーキングエリアを通過した途端、急に不安になって再び心臓がドキドキ。
おなかが痛くなって脂汗が出ます。
でも、しばらく走って次のパーキングエリアまであと数キロの表示が見えてくると、またスーッと気持ちが楽になって口笛を吹きたくなるような気分になるのです。

毎日毎日そんな状態だから、ついに、どうしても会社へ行くことができなくなりました。
今から30年近く前ですから、心療内科や過敏性大腸炎、パニック症候群などという言葉もなく、誰に聞いても、「ああ、それは漢方のセンブリがいいよ」とか、「腸の中に酵母が足りないから、エビオスだね。」などという程度の時代です。
まだまだ、心の病ということが、一般に知られる以前の、「根性だ!」「頑張りが足りない!」と言われていた時代でした。
(つづく)

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2011年12月15日

【君、それは病気だよ の頃 その2】

おなかが痛くて、ついに歩けなくなってしまった私は、休んだ会社へ診断書を出さなければならないので、駅前の医院に、情けないことに女房に付き添われて行きました。
一通り私の話と体の症状を聞いたドクターは、ひと言、
「君、それは病気だよ。」
と言いました。

「はい、子どもの頃から腸が悪くて」と答えると、
「そうじゃないんだ、君の場合、腸は悪くないんだ。神経が悪さをしていると考えてごらん。」
そう言ってドクターは
「この薬を飲めば治るよ。」とすごく小さな粒の薬をくれました。

「こんな小粒の薬で、本当に大丈夫なのか?」と思いつつも、今はその小さな薬に頼るしかありません。
家に帰って、さっそくその薬を飲みました。
するとどうでしょう。
しばらくするとスーッと不安が消えてなくなり、心が軽くなりました。
今まで、「おなかが痛くなったらどうしよう」と考えていた自分はどこへ行ったのだろう。
そう思えるほど、鼻歌を歌いたくなるような気分です。

いったい何の薬だろうか。
当時はインターネットなどない時代でしたから、家にあった「医者からもらった薬がわかる本」というタイトルの本を開きました。
小粒の薬の表面に書かれている記号を頼りに調べたところ、自分がもらった薬が「抗うつ剤」だったことがわかりました。
「えっ、俺ってうつ病なんだ」
そう思ったのをはっきりと覚えています。

さて、そうなると心配なのが、「この薬がなくなったらどうしよう。また、元の症状に戻るのか」ということ。
この薬から離れることができなくなるんじゃないか、という不安な毎日になります。
でも、しばらく通っていると、ドクターは徐々に薬を変えて、何だか、最後は知らない間に薬がなくても大丈夫になっていました。

ただ、これは、自分の内面との闘いですから、どういう精神状態になったら、症状が出る、ということを自分が理解して、できるだけそういうような考え方で自分を追い詰めないようにすることが大事なことだ、ということをドクターに言われました。
自分で自分の心のトレーニングをしろということです。

30年前の私は、このような状態でしたから、今からは想像もつかないほどのガリガリ君でしたが、心の持ち方を変える自己トレーニング術を身につけた結果、何も気にせずに電車に乗れるようになりましたし、その副産物として、体にお肉もたっぷりついて、30キロも太ってしまったのです。
30年で30キロ。
バブル崩壊後も私だけは確実に右肩上がりなのです。

どうです、若い皆さん。
こんなオヤジにも、こういう時期があったのです。
そして、いつの間にか乗り越えて、今はいすみ鉄道の社長をやっているのです。
だから、若い今、少しぐらい体調が悪くても、気にすることはありません。
ひとつだけ注意が必要なことは、自分の価値判断や常識が必ずしも正しくはないということ。
20代や30代の人間の価値判断や常識は、それまでの自分の人生期間だけに基づく経験や、親から教えられたことからきている極めて狭い了見です。
そんなものは社会に出たらほとんど通用しないということを、できるだけ早い段階で知って、早い時期に乗り越えておくべきものなのです。

「どうして上司は自分のことをわかってくれないのだろう。」と考えていては、物事は先に進みません。
「俺のような人材を埋もれさせておく会社は間違っている。」
そう考える気持ちもわかりますが、ではなぜ、会社はあなたのような人材を活用しないのだろうか、と考えてみることです。
それが自分の価値判断から一歩離れて考えるということです。

「自分が上司だったらどうするだろう。」
そういう観点から物事を見ることができるようになれば、きっと次の道が見えてくるものです。
少なくとも、私はそうやって生きてきましたから。

「空でミスをすると命がなくなります。地上の仕事でミスをしても命を取られることはないです。だから、大したことないですから、人生なんて。」

のた打ち回っている私を見て、そう言ってくれた航空学生時代の教官の声が、今でも私の耳に残っています。

今、悩んでいるあなたは、何も考えず、なんとなく生きている人に比べたら、ずっと可能性があることだけは確かですから。
(おわり)

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まあ、人生、こんなことの繰り返しではないでしょうか。

悩むことは大事なことです。
悩まない奴よりもはるかに可能性がある。

そう、悩んで苦しんでもがいている人は、「現在窮乏、将来有望」なのであります。

私が言うんですから、間違いありませんよ。


若いころねえ。
いや、若いって素晴らしい!