あれから40年!

Facebookでも数名の方が書かれていましたが、昨日12月14日は日本の国鉄から蒸気機関車が引く旅客列車が消えた日でした。
1975年(昭和50年)12月14日。
この日は室蘭本線で最後まで残っていたC57がけん引する旅客列車が最終運転をした日で、この日を最後に日本の国鉄線上から蒸気機関車がけん引する旅客列車が消え、その10日後の12月24日には夕張線に残っていた蒸気機関車がけん引する貨物列車が消え、1975年の年末は事実上、現役蒸気機関車が日本から引退した時期なのです。
私はこの時中学3年生で、受験を間近に控えた身でしたので、間違ってもこの列車に乗りに行くなどということは口に出して言うことはできませんでしたが、この時本当に思ったのは、あと1年早く生まれていれば高校1年生でしたから、昭和50年という蒸気機関車最後の年を、思う存分楽しめたはずなのに、ということでした。
当時の偏差値教育真っただ中の受験生というのはそんなもんでしたが、今思えば、蒸気機関車を見送ることができず、不完全燃焼で青春時代を過ごしたことが、今でも鉄道に絡んで仕事をしている原動力になったのだろうと思いますし、だから同年代を走り続けてきたキハ52やキハ28が今でもいすみ鉄道で現役で走っているということになるのでしょう。
人生何がきっかけになるかはわかりませんが、一つだけ言えることは、「あれから40年!」という月日が流れたという事実なのであります。
この昭和50年12月14日の最終列車をけん引した機関車は、今、大宮の鉄道博物館で保存展示されているC57-135で、当時の姿そのままに保存されています。
C57という機関車は貴婦人の愛称で親しまれていますが、全国で201両製造された同形式でも、初期型と後期型では大きく形が異なっていて、素人が見たのでは同じ形式だと思えないぐらい違いがあるのですが、鉄道博物館に保存されている135号機は除煙板が切り詰められた北海道スタイルで、キャブも密閉式、煙突にはクルクルパーと呼ばれる回転式火の粉止めが取り付けられていますからマニア的にはかなり不恰好で、こういう機関車を「貴婦人」と呼ぶことに私はかなりの抵抗があるわけで、私としてはライトパシのC57よりも、同じパシフィックでいうならばC59の方が優雅で風格があって、ちょっとグラマラスな貴婦人であると昔から思っています。でも、C59という機関車はSLブームが来る前に廃車されたり改造されてC60になってしまいましたから、やっぱり最後まで活躍したC57に軍配が上がるわけで、それも最後まで残ったC57-135が貴婦人ということになるのでしょうかね。
C57をあえて貴婦人と言うとすれば、私は羽越線時代、梅小路入りする直前にお召列車をけん引したC57-1の姿こそ貴婦人であると思いますが、今の山口線を走る集煙装置付のC57-1は、どうもいただけません。
集煙装置というのは山岳線区でトンネルが多い区間を走る機関車に取り付けられていたもので、C57としては播但線や山陰本線のものが有名ですが、山岳線区を「ナンダサカ、コンナサカ」と力を振り絞って登って行く姿は、とてもじゃないけど「貴婦人」とは言えないのであります。
もっとも、C57-1は新製配置が水戸で、その後に千葉機関区に配属されて房総半島を走った機関車ですから、千葉にはとても縁があるカマなのです。


最終列車をけん引するC57-135が表紙の鉄道ピクトリアル1976年4月号。
この12月14日の運転は私の記憶では、本当は12月7日に予定されていましたが、当日の悪天候で一週間伸びて14日になったもので、「一週間命が伸びた」と思ったものです。
当時の室蘭本線(苫小牧―岩見沢)の時刻表。
最終列車は室蘭を7:50に出て岩見沢に11:42に到着する225列車。
空撮のヘリコプターとかも出て当時は大変な賑わいでした。
しかし、私は当時からとても不思議だったんです。
蒸気機関車はあれだけ大人気だったのに、みんな廃車にしてしまいました。
動力近代化の名の下に、まるで親の仇のように、潰していきました。
田舎の人たちも、あれだけ地域に人が来ていたのに、「こんな前近代的なものは早く廃車にして、ディーゼルにしろ! 電化しろ!」と言っていました。
関係者や地元は、温かい目で見ていなかったし、ツールとしても考えることができなかったんです。
その結果としてローカル鉄道や地域はどうなったかは言うまでもないことですね。
鳥取県の倉吉線や、福島県の日中線など、線路そのものが消えてしまいましたが、もしかしてSLを残しておいたら、大都市からの距離感を考えると、いろいろ使い道があったでしょうし、そうすれば線路も残っていたのではないかと思います。
そう考えると、実にもったいないことをしましたねえ。
そして、あれから40年。
今、ローカル鉄道をどうやって使っていくかということが、全国の地域に問われていると私は確信しています。