日帰り北海道旅行  その2

浜松町からモノレールの始発に乗って羽田空港に着いた私は、他の乗客の流れにしたがって階段を上がって地上に出た。
当時の羽田は国際線が大きなスペースを占めていた空港だったが、モノレールの駅は狭くて暗く、今とは比べ物にならないほど小さかった。
始発のモノレールは思ったよりも混んでいて、羽田空港について人に押されながらホームに吐き出されると、国内線への流れに任せて歩いて行ったのだ。
そして、その先にあったのは日本航空ではなく、全日空のカウンターだった。
飛行機の乗り方はレクチャーを受けた。
羽田空港も何度も見学に来たことがある。
ところが、飛行機に乗るという目的で羽田空港に来たことは初めてなので、目的の日本航空のカウンターにはたどり着けなかったのである。
ふと見ると、「札幌行 51便 700発 空席」と書かれている全日空便があった。
飛行機は手段であって目的ではないから、「まあ、いいか」と、全日空のカウンターでスカイメイトの手続きをした。
羽田―札幌間の航空券は9100円。
そして、この全日空51便が私の人生で初フライトとなったのである。
飛行機まではバスで向かった。
見えてきた飛行機はトライスターで、機体番号JA8509。
この機体は、ずっと後になって、私が航空会社で働いているときに全日空の成田発香港行としてよく使われていた機体で、成田空港ではよく見かけたし、鹿児島から羽田まで最後のトライスターに乗った時もこの機体だったから、縁があった機体と言えるかもしれない。
トライスターは当時の全日空の最新鋭機だったからピカピカ光っていて、こちらもご機嫌である。
最初に乗る予定だった日本航空の501便は年季が入ったDC-8-61だったから、ひょんなことから新しい飛行機に乗ることになって、それまでの不安も忘れてご機嫌になったのである。
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夢のような1時間半が過ぎて、午前8時半に千歳空港に着陸。
当時の千歳空港は鉄道と接続していなかったので、タクシーで国鉄千歳駅に。そこから急行「ちとせ」に乗って苫小牧に到着した。
苫小牧の駅構内にはD51が貨物列車の先頭で停まっていて、シュルシュルと音を立てて蒸気を吐いている姿を見た時に、「やった! ついに来たぞ!」と実感がわいた。
向こうから室蘭発の岩見沢行225列車がD51に引かれてやってきた。
この列車は苫小牧で約10分間停車して、機関車への給水と火床の整備を行う。
停車した列車の先頭の客車からカメラを持った柴山君が下りてきた。
一緒に旅行する予定で計画を立てたから、彼がたどるコースは私にはお見通しだったのだ。
数日前に上野駅に見送りに行った私が、苫小牧のホームにいるのに気づいた彼は大そう驚いた様子だったが、お互いにどれだけ汽車好きかをよく知っていたので、大した会話もないまま、機関車に向けて夢中でシャッターを切り続けた。
この岩見沢行225列車には追分まで乗車した。
追分に着くと、柴山君は栗山まで、私は夕張方面へということで、「じゃあな」と言って別れた。
わずか数十分の汽車旅だったけど、二人の友情を確認する貴重な時間を持てたことは、今でもありがたいと思っている。
そして、この日の225列車が私が乗った国鉄の現役蒸気機関車が引く最後の列車となった。
追分で柴山君の乗った225列車を見送った後、私は追分機関区を訪ねた。
扇形の機関庫が特徴の大きな機関区で、構内のあちらこちらで10台以上のSLが煙を吐いていた。
機関区の事務所で受け付けをして、ヘルメットを貸してもらうと、「気を付けるように」と言われただけで、あとは自由だった。
D51や9600の運転室に入れてもらって、石炭をくべさせてもらったりした。
石炭が燃える匂いは何ともいえず良い匂いで、今でも息をしている蒸気機関車の石炭と油の匂いはくらくらするほど悩ましく感じるけれど、この時は、この匂いをかぐのももうこれで最後だと思った。
職員の人に断わって、キャブの中のこぼれている石炭をいくつかもらってカバンに詰めた。
こうすれば、家に帰ってからも、ずっと蒸気機関車の匂いをかぐことができると思ったのである。
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この日の北海道旅行は何しろ日帰り旅行だから忙しい。
機関区ですべての機関車をカメラに収め、夕張線の石炭列車を撮影すると、もう帰路につかなければならない時間だった。
当時は追分から千歳まで石勝ルートの短絡線などない時代だったから、DD51の引く列車で沼ノ端へ出て、そこから千歳線に乗り換えて千歳に向かった。
沼ノ端で乗り換えた千歳線の列車は、勇払原野をひた走るとやがて室蘭本線と分岐する。
小高い丘の上から室蘭本線の線路を見渡せるその場所は、おそらく当時、日本で一番有名な撮影場所で、私は今でもその場所を通過するとき、室蘭本線の線路をオーバークロスする千歳線の橋げたを見てしまう。
当時、下の室蘭本線をひっきりなしに石炭列車が通過していたので、SLの煙りで真っ黒にいぶされていた橋げたが、今ではきれいに塗装されて汚れもない姿を見るにつけ、36年という年月が流れ去ったことを感じるのである。
帰路は予定通り、日本航空のジャンボジェット。
機体番号はJA8117。
夕暮れの羽田空港に滑るように着陸した。
こうして私の完全犯罪ともいえる日帰り北海道旅行は、口うるさい両親にばれることもなく、無事に完結したのであった。

室蘭本線追分駅に着いた225列車。先頭の機関車はD511120。柴山君がシャッターを押した。

愛読書のSLダイヤ情報。これを持って渡道した。
私の著書 いすみ鉄道公募社長 危機を乗り越える夢と戦略
には、つれづれなるままに、少年時代のことも書いております。
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