駅のホームの洗面台

先日会社の若い人たちと話をしていた時に、「洗面台」の話になりました。

そういえば国鉄の頃は駅のホームに洗面台がありました。

私がそういうと、皆さん「????」

まず、洗面台というのが多分聞いたことがない言葉。
洗面台というのは顔を洗う台、というのを理解して、でも、なぜそれが駅のホームにあるのか?
新宿にも渋谷にもあったのか?

まぁ、そう思われるでしょうね。

新宿や渋谷にあったかどうかは知りませんが、(多分なかったと思いますが)
地方都市の玄関口のようなちょっと大きめな駅には必ずありました。

多分というか、絶対というか、直江津駅にもあったと思います。
妙高高原にもあったでしょうね。

この写真は日豊線の延岡駅のホームにある洗面台。
7~8年前に撮影したものですが、まだあるかなあ。
この他、九州だと日田彦山線の田川伊田駅で最近見たような記憶があるのですが。

今の時代、必要が無いものですし、水回りの管理はお金がかかりますからどんどん潰されて行ってるかもしれません。

では、こういった大きめな駅のホームにどうして洗面台があったのか。
皆さんちょっと想像力を働かせてみてください。

長距離列車に揺られるとどういうことが起きるか。

昔は蒸気機関車でしたね。
冷房もありません。
窓は開けっぱなし。
トンネルに入ると、一斉に窓を閉めす。
「むわっ」とした空気が車内に漂い、皆さん汗びっしょり。
トンネルを出るを窓を開けて、でも、汽車の煙が車内に入って来る。

こういうことの繰り返しが長旅だったのです。

で、蒸気機関車は区間にもよりますが、だいたい50kmごとに水を補給します。
石炭は途中の駅では補給はしませんが、水は1時間か1時間半走るごとに給水します。
例えば、信越線だと、新津、長岡、柏崎、直江津といったところでしょうか。
本州で一番最後まで蒸気機関車が走っていた山陰本線だと、下関を出ると長門市、益田、浜田といったところで水を補給します。

だから、そういう駅では短くて5分。長ければ10数分間停車して、機関車に水を飲ませる。あるいは石炭も少なくなってくるような駅では、機関車そのものを交換するのです。
新潟から走ってきた信越線の列車の場合、長岡、柏崎あたりで水を補給して、直江津では機関車そのものを交換して、長野や富山方面に向かっていたのだと思います。


▲1970年の直江津駅(撮影:鈴木幹夫氏)
新潟色の電車と旧型客車。
このころはさぞかしにぎやかだったんだろうなあと思います。

だから、そういう駅では乗客もホームに降りて、ホームの洗面台で煤煙で汚れた顔を洗って、口もすすいで、手ぬぐいをゆすぐのです。
もちろん駅弁売りのおじさんから駅弁を買ったりジュースを買ったり。

大きな駅ではそういう停車時間が必ず設けられていて、列車には乗客ばかりでなく郵便や新聞、小荷物なども積んでいましたから、まぁ停車時間中のホームはにぎやかだったのです。

その時代を物語っているのが駅のホームの洗面台ということなのであります。

洗面台だけでなく、長距離を走る列車にはトイレの脇に洗面所が付いていて、つまり、用足しの後に手を洗うだけではなかったのですね。

ということで、その時代からずっと走り続けてきたトキめき鉄道の455には今でもトイレの隣りに洗面所があるということで、この洗面所は長距離を走る前提で設計された急行形車両の証でもあるわけですから、115系には洗面所がないのは、そういうことなのです。
つまり、それが急行形の風格ということなのです。

ホームの洗面台、今も残ってる駅って、どこかにあるのでしょうか?