迷ったら基本に戻る。

いすみ鉄道の社長に就任して5年がすでに経過し、6年目。
思い起こせばいろいろなことがありました。
このあいだ取材にいらした雑誌記者の方が、「最初からうまくいくと思ってましたか?」と聞いてきましたので、
「今でもうまくいっているとは考えていませんよ。」と答えました。
私はいすみ鉄道の経営が、今、うまくいってるなんてこれっぽっちも思っていませんし、この冬をどうやって乗り切ろうか、キャッシュフローは大丈夫だろうかと、小さな会社の社長が抱える苦労や悩みは毎日尽きることはありませんから。
そんな時、私は、世の中の原理原則や、商売の基本、果ては人間関係の基本に立ち返って物事を考え、判断することにしています。
そんな私が、5年以上やっていて、やっぱり変だな、これはおかしいよ、と思うことが鉄道ビジネスにはいくつかあります。
交通機関としての鉄道輸送はいくつかのジャンルに分かれていて、それぞれに特徴というか、商売のやり方があると思います。
新幹線に代表されるような中長距離の都市間輸送。
いすみ鉄道などのローカル線が受け持つ地域輸送。
JR各線、地下鉄や大手私鉄が受け持つ都市輸送や、通勤輸送などの都市圏輸送など、同じ鉄道輸送といっても、ひとからげにできないということはご理解いただけると思いますが、私がおかしいなあと思うのは、例えば都市間輸送について。
高速バスと特急列車が勝負をして高速バスに軍配が上がるというのがどうも解せないんです。
例えば、30~40人のお客様を運ぶためにはバス1台に運転士が1人必要です。
この人数であれば、鉄道でも、いすみ鉄道と同じように1両のワンマンで事足りますから、車両1台に運転士1人です。
ところが、お客様が増えて行くとどうなるか。
お客様が100人になれば、バス輸送では1台に40人乗るとしてバス3台に運転士は3人必要ですが、鉄道なら3両編成にしても運転士は1人で済みます。
400人運ぶとすれば、バスは10台、運転士は10人必要ですが、鉄道の場合は5両編成でも10両編成でも、運転士は1人で済むわけです。
こういうことを何と言うかというと、「バスは労働集約的である。」と言って、売り上げを上げるためにはそれに比例した人件費がかかる仕事ということで、今の時代、こういう労働集約的な仕事というのは、利益が出にくい商売の代表と言われています。
これに対して、鉄道業は資本集約的と言われていますから、労働生産性が高い仕事であって、本来であれば、人件費が一番のコストと言われている今の世の中では、労働生産性が高い商売の方に軍配が上がるはず。
これが、商売の原理原則です。
ところが、特急列車と高速バスを比べて見た場合、軍配が上がるのは特急列車ではなくて労働集約的な高速バスの方だと言います。
実際に特急列車がガラガラと言うわけではなくて、私が見る限り、例えば今話題のJR北海道の「スーパー北斗」や「スーパーおおぞら」などはほぼ満席の列車が多く、自由席で座るのは至難の業という状況にある。
ということは、基本的には満席以上営業的に伸びシロがない状況になるというのに、鉄道は勝てない。
逆に、バスは労働集約的な商売であるにもかかわらず、労働生産性が高い特急列車よりも安価にサービスを提供していて、それでも勝てる。
ということは、商売をする土俵において、何かフェアでないことがあるという証拠なんです。
銚子電鉄というローカル線があります。
いすみ鉄道と同じ千葉県のローカル線で、我々は仲間同士でいろいろ生き残っていく術を模索していますが、この銚子電鉄は皆様ご存じのように「ぬれせんべい」を一生懸命売ることで、鉄道の赤字を埋めて、路線を存続させようと血が出るような努力をしている会社です。
私が血が出るような努力と言うのは、いすみ鉄道では売店売り上げなどの物販収入が1億円に届くか届かない数字なんですが、その数字は、いろいろな商品を開発して、職員がイベントなどに出かけて一生懸命販売した数字です。
ところが、銚子電鉄は「ぬれせんべい」の売り上げが年間3億円とも4億円とも言われているほど、たくさんのおせんべいを売っている。
いすみ鉄道が、これだけ一生懸命頑張って1億円ですから、それから見ると、銚子電鉄がぬれせんべいを売っている金額というのは天文学的金額で、これだけの金額をほぼおせんべい単品で稼いでいるということは、それこそ血が出るような努力をしているはずなんです。
ところが、もっと驚くのは、これだけ血が出るような努力をしておせんべいを売ってお金を稼いでも、鉄道会社の維持が困難な状況にあるということ。
正確な金額はわかりませんが、3億円も4億円もおせんべいを売って努力をしているのに、わずか数キロの鉄道路線が維持できないんだったら、私だったら鉄道屋なんてやめてしまって、最初からおせんべい屋さんになった方がずっと良いのではないかと思ってしまいますが、これだけおせんべいを売って努力しても鉄道が維持できないということは、何かそこに、商売としての基本的な原理原則ではない、何か違った力というか構造的なものが存在しているのではないかと考えるわけです。
それは具体的には何かというと、例えば、高速バスは国が建設し、維持管理している高速道路を、オンデマンドでその時の利用料だけを払うことで通行できるのに対して、鉄道会社は延々と続く何百キロの線路設備を自前で維持管理しなければならないといった、バスとフェアな土俵で勝負できない何かがあるわけで、そういう基本原則が通用しない構造を放置しておいて、「もっと頑張りなさい。」では、商売をする側にとってはなかなか納得できることではありませんから、鉄道屋なんてやめて、煎餅屋になった方が良いですよ、と言いたくなるのです。
私が、そういうことを言いたくなるぐらいですから、他の鉄道会社の幹部の人たちは私より先にこのことに気づいているはずで、例えば駅ナカなどで一生懸命商売をすることの方が、ローカル線の列車を走らせて地味に小銭を稼ぐよりもずっと効率的ですから、さりげなく、誰も気づかないうちに、そっと方針転換をすることで、10年後には大都市近郊の電車と新幹線しか残らない物販会社になってしまう所も出てくるのではないかと思うわけです。
国は、輸送ということをもっと複合的に考えて、銚子電鉄のような血の出る努力をしている弱小鉄道会社が、その努力に見合った成果や報酬が得られるようなシステムを作ることをしないと、ローカル線だけじゃなく、JR北海道のような大会社だって左前になってしまうということが誰の目にも明らかになったのですから、地域輸送、都市間輸送が崩壊しないように、今までのやり方、考え方を変えなければならないのです。
ところが、お役人さんと呼ばれる人たちは、今までのやり方を変えるということが大の苦手な人種だと言われていますから、いつまでたっても地域や東京から遠いところの都市間の鉄道輸送が良くならないわけで、じゃあどうすればよいかというと、そういう時には、基本に戻って、世の中の原理原則に忠実になるのが一番だと私は思うのです。
いすみ鉄道だって、そのうち限界がやってくることはわかっているし、そうなったら、今までの努力は何だったんだろうということになる。
頑張っている人が、それに見合う報酬や評価を受けられない世の中は、良くないということも、世の中の原理原則の一つなんですからね。
私が言いたいのは、ローカル線で働くスタッフが正しく評価されないような世の中にはしたくないということなんです。
それじゃないと、ローカル線で働きたいと思う人は出てこなくなります。
そうではなくて、優秀な人が「ローカル線で働いてみたい。」と思えるような仕組みを作らないと、やっぱり、ローカル線は続きませんから、ということは、沿線地域にも優秀な人が集まらなくなるし、鉄道が無くなって、衰退するようになっても、それを食い止めることができる人たちがいないということになるのです。
おかしいな。
どうしようか。
そう思ったら、いま一度原理原則に立ち返って考えて見る必要がある。
これが私の考え方です。
なぜなら、水は高いところから低いところへ流れるからで、その逆をいくらやっても、その努力は報われることはないからなのです。
そして、ローカル線はお荷物だ、ローカル線なんていらないと考えている地域の人たちだって、日本全体から見ればその地域そのものがお荷物なわけで、田舎なんていらないと都会の人から言われないようにしないといけないわけですが、じゃあどうしたらよいかというと、ローカル線を守って育てていくことが、その地域の知名度を上げて、「田舎なんていらない」と言わせないようにするための最短手段であるというのも、私は今の日本の原理原則のような気がするのです。
いすみ鉄道がお荷物だと地域の人たちは思っているかもしれないけれど、そういう地域だって千葉県全体から見ればお荷物になることは間違いないし、そんなことを言ったら日本全国に田舎は不要なものになってしまいますから、とりあえずローカル線を上手に使いましょうよ。
私はそれが言いたいわけですが、そんなことができるぐらいだったら、今、この地域はこんなに疲弊しているわけありませんから、やっぱり、ローカル線をうまく使えない地域は、その地域そのものが2040年には消えてなくなる運命にあるというのも、原則論としては正しいと思わざるを得ないのです。
残念ではありますが、すべての地域が残れるわけではありませんから。
一つだけ言えることは、ローカル線というのは、今のように地域に任せていたのでは必ずダメになる、いや、ダメにされるということで、そろそろ国が本腰を入れて何とかしないと、煎餅や饅頭を売ったお金で鉄道会社が維持できるほど世の中甘くはありませんから、近い将来、煎餅屋や饅頭屋になることを選択する鉄道会社が出てくるということです。
でも、たぶん、国交省にはできるはずないので、なぜなら、できるぐらいなら地域鉄道は今のように疲弊していないというのも、田舎の現状と全く同じですから、縦割りを止めて他の役所も参加してやらないと、日本の地域は鉄道とともに全部消えてなくなることになると私は確信しているのです。
「地域創生」
掛け声だけか、本当にやる気があるのか、あと1~2か月が勝負どころでしょう。