お墓について考える。 その3

分譲中のお墓の区画番号がC57とC58だったというただそれだけで、百万円以上の墓地を衝動買いしてしまう私が言うのも何なのですが、今までのような石でできたお墓って、今の世の中、特に都会の核家族の皆さんにとって必要なのかどうかと問われると、要らないのではないかと考えてしまいます。

お墓が要らないのではなくて、石造りの、個人の家庭のお墓を作る必要があるのかなあと思うわけで、骨になった自分を何とかしなければならないという課題はあるのですが、それさえできれば、その後、20年も30年も、自分の子供たちに供養という名の墓の維持管理を任せて負担をかけるのはどうなのかなあと思うのです。

まして今の世の中、地元を中心に生きて行く人がどれだけいるのかと考えた場合、うちの子供たちしかりで、実家から離れたところで仕事をして生活をしている人たちがたくさんいるわけですから、年に2~3回の墓参りとはいえ、かなり負担になることは間違いないし、テレビでやっているような墓掃除や墓参りの代行業者を頼んで、代わりにお墓の管理をしてもらうような世界は、私は違うんじゃないかなあと考えるのです。

 

私が墓参りを趣味としているのは、自分の祖先を敬うからでありますが、だとしたら命はみな同じなわけですから、自分の先祖じゃなくても、かつてこの国を作ってきた先人たちに感謝しなければならないというのは同じである気がしていて、例えば、鉄道で言えば、十分な設備がない時代に、安全正確な運転を心がけ、立派に使命を全うした機関車の運転士さんたちは、素晴らしい仕事をしてきたわけですから、そういう人に対しては、敬意を表したいと思いますし、自分の身内じゃなくても、その人のお墓の前で手を合わせて供養したいなあと思うのです。

ところが、そういう人たちの息子や娘が、立派だったお父さんのお墓参りをきちんとしているかといえば、それぞれの事情があってできない人もいるだろうし、なかなかお墓の管理もできていないかもしれない状況がありますから、私は、ある一定の場所に、例えば鉄道業界に貢献した先人たちや、趣味を同じにする人たちがお墓を作って、あるいは共同墓地のように納骨されて、いちいち家族が維持管理しなくても、その人の偉業を理解する人たちが、毎年きちんと供養できるようなシステムを作ったらよいのではないかと思うわけです。

芸能人や著名人であれば、お墓の場所も知られている場合が多いですから、故人を偲んで訪ねて供養してくれる人も多いと思いますが、一般の人の場合はなかなかそうはいきませんから、一般人のためのそういう霊園があって、そこに石のお墓以外の「何か」を作って納骨するだけで、後は同じ趣味の人たちが集まってきて、手を合わせてくれるようなシステムはできないのかと考えていたのです。

 

そうしたら、いすみ鉄道沿線には樹木葬などの自然葬を行っているお寺さんがいくつかあって、そういう樹木葬を希望するような皆さんは、志が同じような方が多いでしょうから、後々残された家族が義理でお墓参りに来る必要がなくても、安らかに眠れるのではないかと考えたんですが、じゃあ自分だったらどうして欲しいかなと考えたら、私だったらここに眠りたいなあと思うようになったのです。

 

 

それがここ。

いすみ市にある東漸寺さんです。

こういうローカル線の線路の近くで、汽笛の音や汽車の音を聞きながら眠ることができれば、自分的にはきっと安らかに眠れるのではないか、と思ったのです。

でも、こういう昔からのお寺には地域の檀家さんがたくさんいらして、檀家じゃない私のような人間がここにお墓を買って、埋葬してもらいたいと言っても難しいのですが、まあ、撮影地としてもやはりお墓は魅力があるので、去年、このお寺を訪ねて行って、「いすみ鉄道に来る鉄道ファンのために、境内への立ち入りを許可してもらえませんか?」とご住職にお願いをしました。

 

ローカル線というのは日本の原風景だと私は考えていますから、道祖神やお寺の山門、墓地だってローカル線の風景には必要だと思います。私が小学生中学生の頃、全国にSLブームというのがあって、東京の小学生だった私が憧れたのは、そういう道祖神や墓地の向こうを煙を吐いて走る蒸気機関車を撮影した先生方の写真の情景で、今、昭和のディーゼルカーを走らせているいすみ鉄道は、当然当時のイメージを再現する必要があるわけですから、沿線のお寺さんを訪ねて、「ここで撮影させていただいても良いでしょうか?」と聞いたわけですが、そうやってご住職と仲良くなっていろいろ話をしてみると、やっぱりご多分に漏れず、檀家さんの数が減って、どんどん厳しくなっているということに気づいたのです。

ところが、私のように都会育ちで田舎にあこがれて育った人間にとって見たら、こういうお寺さんに埋葬してもらえれば、ローカル線のファンの皆様方が入れ代わり立ち代わりやってきて、私が眠る場所で良い作品を撮っていただいて、ご満足していただければ、私自身の供養にもつながると思うわけです。

まして、檀家さんになって石造りのお墓を建てて、永年維持管理にお金を払うようなことはできないけれど、境内の片隅に樹木葬のように穴を掘って自分の骨を埋めてくれれば、後々子供たちに世話をかけることはないし、ローカル線に思いを馳せる人たちが、いすみ鉄道を話題にしてくれるだけで、私の供養にもつながるわけで、その骨を埋めるだけで、一括でお寺さんと契約すれば、後々維持費も何もかからないわけですから、この世にいなくなった後のことを思い残すこともなくなります。

私はご住職にそんな話をしたんですが、そうしたらご住職が、「いいですよ。このお寺で33年後までちゃんとお経を上げますから。私は毎日お経をあげていますから。」とおっしゃっていただいたんです。

 

その時私はピンときました。

これはビジネスマッチングできるのではないかと。

 

つまり、後々お墓の維持管理を心配するんだったら、このお寺の敷地の一角に骨を埋めてもらって、家族じゃなくても、鉄道ファンや趣味を同じくする人、またはこの地域に思いを寄せる人たちが、春の菜の花の季節や、秋の稲刈りの季節に家族で来てもらって、みんなで楽しそうに過ごしてくれれば、仏様は浮かばれるのではないかと。そして、そういうことがビジネスになれば、檀家さんが減少して維持が厳しくなっているお寺さんだって助かるのではないだろうか。そうすればローカル線と同じように、都会の人たちの協力によって、田舎のお寺を維持することができて、日本の田舎が守られるのではないか。なぜならば、ローカル線が走る風景と同じように、田舎の風景にはお寺や墓地が必要であって、それは日本人として守らなければならない日本の原風景だからです。

 

人間もそろそろ60に手が届く年齢を迎えるころになってみると、お彼岸にはこんなことを考えるようになってくるものです。

春の菜の花や桜を見るたびに、来年は見られるだろうか。あと何回桜を見られるだろうか。というようなことを考えるんですね。

自分がこの年になってみて、初めてわかることなんです。

 

だからビジネスモデルとして、田舎のお寺を守るようなシステムを考えなければならない。

そうすることで、都会の皆様の力を田舎に集めて、田舎のお寺や神社、そして日本の風習を守っていかなければならない。

なぜか、そんなことを考えた今年の春のお彼岸だったのであります。

 

こんなことを考えるようになるとは、どうやら、私もそろそろかもしれませんね。

その時はその時として、後のことは皆様よろしくお願いいたします、よ。

 

(おわり)