流山電鉄の彼女

お前の昭和の思い出は電車しかないのか?
もう少し色気のある話をしろ。
そういう声が聞こえてくる昨今であるが、「青春イコール鉄道」と思われるのも癪だから、そうでないという証拠をお話せねばなるまい。
これは本には書いていないことであるが・・・
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クラスメートと言うのはありがたいもので、「しらけ鳥 飛んでゆく~」を地で行っていた私にも、クラスの仲間たちは温かく接してくれた。
仲良くなるにつれ、皆それぞれに事情があることがわかってきた。
不本意ながらもこの学校に通っているのは、何も私だけではなかったのである。
そして、それが義務教育を卒業した人間が通う高等学校というものだった。
昭和52年、高校2年生になると、クラスが変わって、同じクラスにスラリと背筋を伸ばした清楚な感じの女の子と一緒になった。
制服のブラウスから石鹸の香りがしてきそうな、清潔感あふれる印象の彼女は、松戸市から通っていた。
都立高校だから、生徒の通学時間は皆だいたい30~40分程度。
怠け者だった私の場合、朝は7時40分に起きて、自宅から徒歩2分の板橋区役所前駅を8時5分に乗れば間に合った。
ところが、松戸の彼女は、私が起きるはるか以前に家を出て、電車を4つ乗り継いで学校に通っていた。
長距離通学はたいへんなはずだったが、私にとっては未知の世界を生きていた彼女を、私はうらやましいと思った。
なぜならば、毎日毎日たくさんの電車に乗れるからである。
特に親しくしていたわけではなかったが、あるとき、クラスの中で、同じ当番になった彼女と話をした。
「松戸って、どこから来てるの?」
「流山線って知ってる? とっても古い電車なの。」
その会話で私はピンときた。
常磐線の馬橋から分岐する総武流山電鉄(現:流鉄)は、大手私鉄払い下げの古い電車が走っていて、ちょうどそのころ、私は、HOゲージのペーパークラフトで、その流山線の古い電車を作る準備をしていた。
国鉄や私鉄など、東京近郊から古い電車が次々と消えていく時代だった。
鉄道模型は子供のおもちゃではなく、実物の80分の1のスケールという精密なモデルであるから、模型を作るためには正確な資料が必要だ。
ところが、インターネットなどない当時は、そう簡単に資料など手に入らない。
鉄道模型趣味(TMS)という雑誌が唯一の情報源だったが、尾小屋鉄道や加悦鉄道ならともかく、大都市近郊の小さな私鉄など特集するはずもない。
だから、私は実際に流山線に出向いて、車両の写真を撮影しようと考えていたところだったのだ。
「鳥塚君、うちへ遊びにおいでよ。」
「えっ、良いの?」
「だって、流山線に来るんでしょ?」
そして次の日曜日、私は流山線に出かけた。
常磐線にはEF80型電気機関車が引く古い客車列車が残っていたし、朱色に白帯を巻いた小さな車体がモーター音をうならせて走る流山線の旧型電車は、とても魅力的だった。
ひとしきり撮影を済ませて、私は彼女の家を訪ねた。
2階の彼女の部屋に通されて、内容は覚えてないけれど、多分とりとめもない会話をした。
ちょうど今頃の季節。暑い日曜日の午後、西日が入る部屋。
家並みの向こうを、2両編成の古い電車が何度も通り過ぎて行った。
割烹着を着たお母さんが、部屋にラーメンを運んできてくれた。
彼女には確か大学生のお兄さんがいたはずで、部屋の棚の上には、そのお兄さんが作ったという旧型国電の茶色い電車の模型が1両、ぽつんと置いてあった。
彼女が鉄道趣味と言うものを理解している理由はこれだったのか、と思いながら、2人でラーメンを食べた。
私は、ラーメンという食べ物はあまり好きではなかったけれど、その時食べたラーメンはとてもうまく感じた。
さて、私の記憶はここまでである。
日が暮れるころには彼女の家を出て帰路についたはずだが、松戸からどうやって(何に乗って)帰ってきたかも記憶がない。
そしてその後、石鹸の香りがしてきそうな清潔感あふれる彼女とは、毎日クラスで顔を合わせたものの、残念ながらボーイフレンド・ガールフレンドと呼ばれるような間柄に発展することはなく、したがって彼女が本当に石鹸の香りがしたのかどうかは、私は知る由もなかったし、写真は撮ったものの、台車など部品作りで行き詰った私は、結局流山線のペーパークラフトを完成させることもなかったのである。
やはり、皆様方が思われる通り、色気よりも食い気ならぬ、色気よりも電車だった私であるが、今思えば、石鹸の香りの彼女に対して、あの時もう少し積極的になっていたら、違った人生があったかもしれない。
ということもまた、世の常なのである。(笑)
彼女からしてみれば、電車の話ばかりで、何ともはっきりしない、なさけない男だったことだけは確かだ。
17歳の夏。
今から34年前のチョットだけ甘酸っぱい夏の日の思い出である。
今日は七夕。
皆さまも10代の頃の初恋を思い出してみてはいかがでしょうか。
(きれいにまとまったぞ!)

[:up:] 1977年7月、小金城趾駅に停まる流山行の木造電車。撮った本人としてはつい先日のことのような気がするけれど、改めて見ると昭和ですねえ。

[:up:]馬橋では常磐線の旧型客車と流山電車のツーショットが撮れたし、終点の流山は模型化したいような典型的なローカル私鉄の終端駅だった。

[:up:]模型製作の資料用として撮影した流山線。
扉や台車、パンタグラフなど、しょうもないものばかり写していた。