わたしの池袋

最近、池袋が話題になっていますね。

西武デパートの労働組合がストライキをやったとか。
ここ数日、そんなニュースが全国を駆け巡っていました。

マスコミが報じるニュースというのは、昔から何となく「労働組合がストライキをやるのはけしからん。」という風潮があるように私は思うのですが、今回のような労使紛争には2つの面があって、1つが労働組合側から見た会社であり、もう1つは会社側から見た労働組合ということになるのでしょう。

だから、一方的な意見だけではどうにもならないとは思いますが、では今回の場合はどうかというと、会社を外資に売却されちゃうんだから労働者はたまったもんじゃないと第一義的には思います。

日本人は会社に忠誠を尽くしてきたというのが昭和のサラリーマンで、百貨店というのは昭和の残像みたいなものですから、まぁ、そういう職員の人たちが多いのかもしれません。
「会社もひどいことをするなあ。」
と、昭和の労働者の気持ちを知る人間としては思わなくもない。

では、この売却話が急に持ち上がったのかというと実はそうでもなさそうで、だいたい百貨店の倒産や閉店、あるいは統合なんて話は昨日今日の話ではありません。

そごう・西武も実は2006年にイトーヨーカドーのグループに買収されていて、すでに17年も経過しているのです。
イトーヨーカドーと言えばスーパーマーケットで大成功した企業で、傘下にコンビニもある。
そういう会社が百貨店を欲しがっていたというのは容易に理解できます。

何しろ小売業の頂点が百貨店ですから、コンビニ、スーパーといった草の根から始まったような企業であれば頂点を手に入れるというのは一つの夢であり目標だったのでしょう。

バス会社やタクシー会社が鉄道会社に進出したいとか、鉄道会社が航空会社に進出したいとか、そういう上を目指すというのは気持ちとしてはわからなくはありません。

鉄道会社から見たら、航空会社ってきっと素晴らしく見えるんでしょうね。
だから、もう今から30年以上も前に成田エクスプレスが登場した時には網棚じゃなくてハットラックなんかつけちゃって、いかにも「飛行機の真似をしてます」的なデザインで一世を風靡したつもりになっていましたし。

それって当時、航空会社の人たちからは冷ややかな目で見られていて、ある種笑いものだったんですよ。
だって、JRが華々しくデビューさせた空港専用特急の色が、まるでノースウエストでしたから、「なんでノースなの?」ってね。

イトーヨーカ堂も今から20年ぐらい前はたぶん百貨店が頂点で素晴らしいと思っていて、手に入れたかったんでしょう。そして、そごう・西武を手に入れた。

そこまではよかったんです。
労働者にとっても。
なぜならば当時はそごうも西武も経営難で人員整理をしていたところにイトーヨーカドーがやってきて救ってくれたんですからね。

で、その後どうなったかというと、そごう西武は全然ダメだったんじゃないですか?

他にも統合した大丸・松坂屋とか、三越・伊勢丹とか、その後一生懸命努力してこのところ過去最高益を出してるようですが、そごう・西武だけは鳴かず飛ばずで連続赤字。
つまり、救いの手を差し伸べてもらってから17年間も鳴かず飛ばずだったんだから、そりゃ、イトーヨーカドーだって「もういいや」ってなるんじゃないですかね。

つまり、変化に対応できなかったんでしょう。
あらゆる意味で。

西武って、私が学生時代は飛ぶ鳥を落とす勢いの憧れの企業で、就職希望の学生の人気も高かったんですよ。
それがついにこんなになっちゃった。
確かに経営者は悪いかもしれません。
でも、経営者は17年前の2006年に総入れ替えしてるんです。
入れ替えしてないのは昔からいる従業員じゃないんでしょうか。
そして、世の中の変化についていくことができなかった。
だから、とうとう会社が無くなる。

結果として、自分たちの雇用を自分たちで守れなかった。

世間はそう見るのではないかと思います。


豊島区長が、「ヨドバシカメラになるのは嫌だ」と言ってるようですが、そんなことを言うのであればちゃんと手を差し伸べるべきではないでしょうか。

何しろ、ストライキをやられてわかったことは、人々の通路も閉鎖されてしまったということ。
どういうことかというと、百貨店の店内が地域のインフラになってるんですから、豊島区としても「街のイメージが崩れる」とか言ってる場合ではないのではないかと私は思います。

ご存じの通り池袋は私のふるさとであります。
私のふるさとだからよくわかるんですよ。
治安が良くなったってことが。

そのために豊島区がどれだけ努力してきたかということもよくわかる。
いつだったか、東京23区内で消滅の危機にあるとして豊島区が名指しされたのも記憶にありますが、とにかく池袋は安心して歩ける街になりました。
その一翼を担ってきたのが西武デパートであることは確かです。

だから、それが無くなるのは悲しいことだとは思いますが、では反対側の東武百貨店はどうかというと、ちゃんと賑わっているのですから、やっぱり西武というデパートは時代の変化に対応できなかったんだなあと、一言で片づけられてしまうのかもしれません。

50年前の池袋東口です。
よく見ると銀行ばかりですね。
東海銀行、三和銀行、協和銀行、富士銀行、第一勧業銀行。
そうそうたる銀行が駅前に店舗を出すということは、駅前が一等地だった時代の話です。
今、駅前が一等地だと思っているのは、駅前に土地を持っている人たちだけで、駅前は必ずしも一等地ではありません。
駅前を一等地にするためには、人が集まる仕組みや賑わいを作るための施設が必要ですが、昭和の旧態依然とした百貨店というのはすでにその役割を果たしていないということに気づくべきだと私は思います。

なぜなら、この写真に写っている昭和の大銀行は今どうなっていますか?
すべて駅前の一等地から消えてしまっているのです。
駅前の一等地から消えてしまっただけではなく、すべての銀行の名前が消えてしまっているのです。

第一勧業銀行って若い人は知らないと思いますが、みずほ銀行です。
東海はUFJ、三和もUFJ、富士銀行はみずほで協和はりそなです。

大手の銀行だってこれだけ変わっている。
それが世の中の変化というものですから、そう考えると、昔ながらの百貨店が変わる努力、前へ進む努力をせずに残れるはずもないと、私は思います。

わが故郷ですから、変わってほしくはありませんけど、変わらなければ生き残れないのです。
池袋でさえもね。

だとしたら、田舎の町や田舎の企業で変化を拒んでいたら消えてなくなる運命にあることは明白でしょう。
町も会社も生き物なのですから。

ということで、40年以上前に当時花形だった西武セゾングループのCMソングになったピエールバルーの「花粉(le pollen)」をどうぞ。

今、昭和ブームと言われてはいますが、こんなおしゃれな曲をCMで流していた時代は、とうに過ぎ去っているのです。

Pierre Barouh – Le pollen