地域サービスを支える法人という考え方

 今、人口減少と急激な高齢化が叫ばれる中、日本の田舎では、いろいろな問題が起こっています。
通常、経済的な組織である株式会社は、地域にメリットを与えるということは目的ではなく、自分の会社が収益を上げて、自分の会社の株主や従業員に利益を還元するということが第一義的な目的です。
だから、株式会社組織というものは営業形態的には人口が減っている地方や山間部の過疎地と呼ばれるところでは、成り立つことができません。
その代表である地方鉄道や路線バスは、ここ十数年を見るだけでも、不採算路線からどんどん撤退し、地域を支える基本的なサービスが提供されなくなってきています。
これ以外にも、例えばスーパーマーケットが地域から撤退し、個人商店もが採算割れで営業を継続することができなくなるなど、地域の仕組みそのものを変えていかなければ、直面する経済的課題を克服できなくなっているのが地域の現状です・
ところが、財政的な制約や人口減少の中で、地域社会においては、自分の地域の課題を行政が経済的に解決することが難しくなってきていて、今までのやり方を継続することすら難しくなってきている現状があります。
例えば、地域交通を考えた場合、いすみ鉄道をはじめとする地域鉄道の多くは上下分離という考え方で成り立っています。これは、線路の上の部分である列車が走る「営業」部分と、線路を含めた下の部分である設備の維持管理に当たる部分とを分けて考えることによって、鉄道が路線バスと対等な土俵で勝負できるようにとする行政による支援の代表的なものです。
この上下分離というのは日本独特の考え方というよりも、世界の趨勢という方が正しいもので、アメリカ最大の鉄道会社であるアムトラックや、ヨーロッパの各鉄道会社なども以前から上下分離されていて、線路は国や公的機関が所有し、走る列車だけを担当するのが欧米での鉄道事業の一般的な姿で、これを「公有民営」と呼ばれています。
さて、日本における上下分離の考え方はまだまだ歴史が浅く、2009年3月に鳥取県の若桜鉄道が、線路を地元自治体が所有する第3種事業者、若桜鉄道が車両の運営を行う第2種事業者になったのが、日本における公有民営の上下分離のはじめと言われています。
当時の国交省や行政担当者、交通学者などは、若桜鉄道が上下分離し、多額の費用が掛かる線路の維持管理の負担をしなくてよくなったことで、「これで地方鉄道の未来は明るい。」という上下分離万能論に支配されていましたが、私がいすみ鉄道の就任した時がちょうどその時期だったわけです。
ところが、私は、この「上下分離万能論」には当初からいささか懐疑的で、「本当にこれで鉄道は安泰なのだろうか?」という疑問を持っていました。
なぜならば、線路の維持管理をしなくて良くなって営業的に安泰だというのであれば、路線バスだって安泰のはずです。路線バスは行政が維持管理する道路を走っていて、鉄道よりもきめ細かな路線サービスや運行ができるわけですから、上下分離の究極を行っているわけで、でも、日本全国の地方の路線バスを見ると、どこも経営が成り立たず、撤退を余儀なくされているわけです。
鉄道だって全く同じで、コストが低くフレキシブルに動ける路線バスが立ちいかなくなる地域に、上下分離をしたとは言え、鉄道が安泰だとは私は最初から思っていなかったわけです。
なぜなら、その根本にあるのは人口減少、少子化など、地方からこの国の国力は衰え始めてきていることが明白だったからで、いくら上下分離をしたところで、バスですら立ちいかなくなっているわけですから、鉄道など成り立つわけはないということは最初から分かっていたのです。
ところが、2009年当時は、上下分離万能論に支配されていたわけで、そういう時代背景をバックにいすみ鉄道の公募社長になった私の口からは、「上下分離は万能ではありませんよ。いずれダメになりますよ。」などということは口が裂けても言えることではありませんから、私は、表題にある「地域に公的サービスを提供する法人」の一つのあり方として、「地域の広告塔になって地域を全国区にし、地域に経済を呼び込むきっかけづくりをする。」ということを念頭に、この6年間事業展開をしてきたのです。
私は、完全上下分離の路線バスを見ていて、経営的に成り立たないから撤退する。でも、それじゃあ地域交通が成り立たないから、行政が営業部分の補助金を出す。こういうことの繰り返しで、田舎の路線バスが多額の営業補助を受けながら運行している実態があって、でも、鉄道に対しては、「上下分離で下部を補てんしているのだから、お前は赤字を出さないようにしろ。」という上からの考え方には最初から異議を唱えていましたが、その上下分離第1号となった鳥取県の若桜鉄道が、わずか4年で立ちいかなくなる可能性が出てきて、上下分離万能論はもろくも崩れ去ったわけですが、昨年、若桜鉄道に公募社長として選任された山田社長さんは、上下分離ということをやっても鉄道存続は難しいという状況の中で、それを引き受けて社長をやるわけですから、私は公有民営という地域鉄道に対する考え方が、上下分離万能論から第2段階に入ったと思っています。
さて、株式会社というのは、第1義的には利益を出して、従業員と株主にその利益を還元することが目的であると申し上げましたが、同じ株式会社でも、いすみ鉄道をはじめとする「地域サービスを支える法人」というものは、収益を第一に考えた場合、成り立ちません。
例えば、夜間や早朝時間帯の列車には誰も乗りません。そういう誰も乗らない列車というのは、営業的に見れば「走らせるべきではない列車」です。
過疎地の商店が午前5時から夜10時まで、いつ来るかもしれないお客様を待っている必要がないのと同じように、鉄道だって「営業最優先」で考えれば、誰も乗らないような時間帯に列車を走らせることは、一刻も早く止めるべきです。なぜなら、その分、損出が出るからで、損失が出るということは株主の利益、従業員の利益が確保できませんから、やってはいけないことなのです。
ところが、鉄道会社が一般の株式会社と違うところは、「地域に公的なサービスを提供する会社」であって、株式会社と名乗っていたとしても、収益最優先では成り立たない性格があり、第3セクターの場合、株主が地域行政ですから、株主の利益に応えるということは、利便性を重視して、たとえ誰も乗らなくたって、早朝や深夜に空気を運ぶ列車を走らせなければならない「義務」を求められるのです。
朝5時台の列車は、ほとんど利用客がいません。いても1~2人ぐらいがほとんどです。個人商店や一般の会社であれば、そういう時間帯に店を開ける必要はありませんが、公的サービスを提供する鉄道会社は、たとえ1~2人のお客様とはいえ、きちんと列車を運行することが求められるわけで、この時間帯の列車の運転は収益性から言って無駄だから、削減した方が良いのではないかという話になると、「上下分離で下の部分を補助しているんだから、きちんと運転しろ。」いう話になるのです。
私としては、「いえ、それは下の部分であって、今は上の部分の話ですよ。」と言ってみるのですが、税金を使って補助を出しているのだから、走らせなければだめだという、上下を一緒にした議論になってしまうわけで、「それでは現状通り運転しましょう。」と時刻設定して、誰も乗らない時間帯に列車を走らせていると、1年に一度、経営見直しの時に、「どうして赤字になるんだ。」という話になるわけで、「収益が出てないじゃないか。」「上下分離しているのに、収益が出ないのはなぜだ。」「お前は経営者として不適格なのではないか。」というような話になるわけです。
今、おそらく日本全体で、地域鉄道やバス事業者、介護施設、保育園、はてはガソリンスタンドに至るまで、地域に公的サービスを提供する「株式会社」が、株式会社の体面では立ちいかなくなってきて、地域住民に必要な公的サービスが提供されなくなってきていると思います。日本全体がこういう事態に直面している中で、財政的制約から行政がこれ以上支援することは、鉄道会社だけでなく、すべての公的サービスを提供する会社に対して無理な状況にあります。
そういう中で、地域でどんなに頑張ったとしても、収益性だけで判断されるようなことが続けば、日本全体に於いて、地域住民の生活を支えるサービスが提供されなくなる恐れがあって、そんな事態になれば、日本の田舎は本当に消えてなくなってしまうわけです。
そして、人間の体が頭と胴体だけで成り立つわけではないのと同じように、日本の国は新幹線と高速道路と飛行場だけで成り立つわけありませんから、国の力そのものが衰えるのは目に見えていて、そうなれば、他国が攻めてきて国の存立が危ぶまれる事態を想定する以前の問題として、国の内部から、両手両足が壊疽して機能しなくなるように、この国の存立が危ぶまれる事態になるわけですから、私は、国土防衛論の一つとして、いすみ鉄道を何とかしなければならないということを、国会で論じていただく必要があると、常に考えているのであります。
(つづく)