地域を応援する理由

東京生まれの東京育ちの私には故郷というものがありません。

もちろん東京は故郷ですよ。
ただ、ビルの街、高速道路の下のふるさとに愛着というものは今一つです。

というのも子供のころから蒸気機関車に夢中で、蒸気機関車が走る景色というのにあこがれていて、私が子供だった昭和40年代には蒸気機関車は都会から地方へ送られてしまっていて、蒸気機関車の走る景色イコール田舎の景色というイメージですから、都会には愛着がないのです。

でもって、私が子供のころ旅行した行き先と言えば蒸気機関車が走っているところ。
昭和50年に国鉄線上から最後のSL列車が消えたのが室蘭本線。
高校受験が終わって、やっと思う存分汽車旅ができると思ったら、その汽車がなくなっちゃったんですから本当にしらけましたね。

そんな時に、「まだ走ってるぞ!」という情報を得て出かけたのが岩手県宮古市。
ラサ工業という工場の専用線でC10という機関車が走っているということで出かけたのです。

中学3年生。
宮古のラサ工場で機関車によじ登ってナンバープレートの拓本を取る私です。

岩手県宮古市には縁もゆかりもありませんでした。
ただ、蒸気機関車が走っているというだけで出かけたのです。

でも、これが私にとってかけがえのない大事な思い出です。

あれから45年もの歳月が経過しましたが、東日本大震災で大きな被害を受けたと聞いていてもたってもいられなくなりました。一生懸命三陸鉄道さんを応援してきました。

どうして?

それは子供の頃行っている私にとっては大切な思い出の場所だからです。

縁もゆかりもない場所でも、たまたま最後に蒸気機関車が走っていたという理由で、汽車目当てに出かけただけなんですが、私にとっては三陸の宮古というとかけがえのない場所なんです。

7月から走り始めた413系電車は大変な人気です。
たくさんの皆様方にご乗車いただいていますが、その大半が若い人たちです。
かれらにとって国鉄形車両は私たちの時代で言えば蒸気機関車と同じです。
だんだんと数を減らして、最後の最後にトキ鉄に残っている。

だから、今、トキ鉄の413系電車に乗りに来てくれている人たちは上越地域には縁もゆかりもない人たちが多く、413系が走らなければここには来なかった人たちです。
でも、そういう若い人たちにとってみたら、多分、将来、私と同じように子供の頃の思い出に鉄道車両があって、その沿線を懐かしく思い出してくれるのではないでしょうか。

そういうことが、恐らくこの地域にとって新規顧客の獲得になると思います。

おそらくその時には私たちおじさん、お爺さんはもういませんが、何人か何十人かの人たちが、将来的にトキ鉄沿線を大事な地域に思ってくれれば、鉄道が地域に貢献できるのではないかと考えるのです。

413系が走ることで、本当ならこの地域に見向きもしなかった人たちが、この地域に関心を持っていただいて、やって来て、思い出の場所になるということは、私は大事なことだと思います。

なぜなら、私たちの世代で、地域に貢献したいと思っている人たちは、皆さんそんな思い出を持っているからです。

時代はどんどん進んでいきますが、週末にトキ鉄で出会う若者たちがこの国の将来を作っていくことは間違いないのですから。