めんどくさいの意味

今日は珍しくうちの夫婦の話。

我が家はカミさんも私も東京生まれの東京育ち。
江戸っ子です。

カミさんが王子で私が板橋。
王子と板橋が江戸かどうかは別として、両方とも祖父母の代からですから、親戚一同皆江戸っ子。

てやんでえ、しゃらくせえ。
親戚にはそういうべらんめえなおじさん、おばさんが一人や二人は居た。

火事と喧嘩は江戸の華
宵越しの銭は持たねえ
てやんでえ、しゃらくせえ、すっとこどっこい。

そういう世界で育った。

ということは、つまりは日本語で言うところの莫迦であります。
江戸っ子は莫迦の代名詞ですから。

カミさんの口癖は「バカヤロー」。
何か気に障ることがあると二言目には「バカヤロー」
もっと言うと、BAじゃなくてVA。
「ヴァカヤロー」と言ってます。

私は千葉が長いので口癖は「おいねえよ。」(房州弁で「だめだこりゃ。」)

つまり夫婦そろって莫迦なのであります。

そういう人間が40年も夫婦をやっていると莫迦が加速すると言いますか、莫迦の相乗効果と言いますか。

でもって二人に共通するのは「めんどくさい。」の意味。

てやんでえ、べらぼうめの人間にとってみると、「めんどくせえ」というのは「四の五の言わずにさっさとやってしまいなさい。」ということ。

べらんめえ→べらぼうめは、「どうだマイッタカ。悔しかったらやってみろ。」という意味でありますから、めんどくせえことはさっさと片付けるのであります。

これは我が家の共通言語でして、さっきから言ってるけど40年も夫婦をやっていると子供たちも皆そういうもんだと思ってますから、家じゅうがそうなってる。
まして、航空会社なんかに勤めていると、「四の五の言わずにさっさと飛行機を出せ!」という仕事でしたから、とにかく毎日毎日仕事を完結させなければならない。
それが当たり前なんですね。

そういう私がローカル線の再生とか地方創生とかに手を出して、一番感じるのが「めんどくせえ」ってこと。

過去の経緯とか、いや、それはそうじゃないとか、そんなことがいっぱいあって物事が先に進まない。
ローカル線ばかりじゃなくて、これ、日本の田舎、全国共通事項。

でもって、多分地元の人たちも「めんどくさい」はずです。
なぜなら自分には別に仕事があって生活がありますから、ローカル鉄道とか地域の活性化とか、ひいては地域の未来への存続何てことは関係ないし、めんどくさい。

で、どうするかというと、関わらないようにする。解決しようとしない。
これが多分田舎の全国共通事項。

めんどくさいからやめておこう。
めんどくさいから見ないことにしておこう。
めんどくさいから先送りにする。

田舎はこうなんでしょう。

でも、江戸っ子にとっては、めんどくせえから、さっさとやっちまおう。

だから、基本的にかみ合わない。

で、もともとこちらは短気ですから、いちいち待っててもらちが開かないものはさっさと自分でやっちまう。

これが「べらんめえ」ですよ。
悔しかったらお前さんもやってみろ!

そういう風に直接面と向かって言ってるわけじゃありませんが、多分東京の人間がやって来て物事を進めようとするとそう見える。
今までの経緯とか、しきたりとか、そういうのが枕詞についている地域は重鎮たちが仕切っていて、その重鎮たちにしてみたらよそ者が勝手にふるまうことが許せない。
まして、その重鎮たちにとっては、今までの経緯というのはある意味触れてほしくない部分でもありまして、「なんで今頃そんなことを蒸し返すのか。」って人もたくさんいますからね。そしてそういう人が地域の権力を握っているというのが地方の現実ですから、たぶん私のことは煙たいし「しゃらくせえ」のであります。

でも、私はもともとべらんめえでありますから、いちいち気にしない。
相手の顔色を見て生きてきた人間でもありませんから、ストレート、ど真ん中で勝負なんです。

そうすると、相手はどうなるか?
直球ど真ん中で勝負を挑まれたら、打てない方が負けでしょう。
でも打ち返せない。
なぜなら田舎の重鎮の方々なんて、今のこのDXの時代に、「インターネットができない」とか言い出しますから、そもそもバッターボックスに立つだけの実力すらないお方がほとんどですから、直球ど真ん中の絶好球を投げられて打てないとなると大恥をかくわけですから、困ったもんなんですよ。私の存在が。

というのが前職で経験してきたこと。

だからピッチャー交代となって、自分たちの都合の良い人間をマウンドに立たせて、バッティングピッチャーよろしくへなちょこボールを投げさせて、カーン、カーンとヒットを飛ばして喜んでいる。
これが地方の現状でしょう。

つまり自己満足ですね。

投げるピッチャーもしゃらくせえ、てやんでえの人間じゃなければ、「さっさとやってお仕舞い。」の世界を知りませんから、まぁ、そういうことなのでしょう。
相手を喜ばせて長く仕事にありつければそれに越したことはありませんから。

かく言う私も冬になると満足に歩けなくなるようになってきた。
つまり、そろそろ7回の裏あたりで人生のバッテリーの残量も投げる球数もなくなってきたわけでありますから、いつまでも大雪と格闘しているわけにはいきません。

てやんでえ、しゃらくせえ、さったとやっちまいな。

と、今、3月以降の仕掛けを次から次にいろいろ考えて段取りをつけて、仕事の量とスピードをさらに加速させようと目論んでいるのであります。

となると、地元の重鎮たちが消えるのが早いか
それとも私が消えるのが早いか。

ということになってくると思いますが、

たぶん私だろうな。

江戸っ子は莫迦で短気ですから、めんどくさいことはサッサと片付けてしまいたい。
それが片付かないとなると、サッサと見切りをつけてお仕舞いにしてしまわないと。

何しろこう見えても各地から引く手あまたなものですから、自分の時間と自分自身を高く売れるところに持って行くことが、お国の将来にも役立つと信じているわけでして。

やっぱ、次は暖かいところがいいな。

「えっ、またどこかへ行くのですか?」

てやんでえ、バカヤロー、のカミさんに見切りを付けられないようにしないと。

まぁ、その時はその時だ。

4年も一人暮らしをやってると、お互いにそんなもんですから。

と、窓の外の雪景色を見て、徒然なるままに心に浮かんだよしなしごとをそこはかとなく書き綴ってみたのであります。