富の創造

今日は七夕

高田の町にもたくさんの笹が飾ってあって、そこにたくさんの願い事が掛けられています。

幼稚園のちびっ子たちの頭の中はいったいどうなっているんだろうか?
朝、駅へ向かう道すがら、いくつか眺めてみました。

現実的なものや、大きな野望を感じるものに混じって、「自衛隊員になって国を守りたい」とか、「警察官になりたい」なんてのもあってちょっとびっくり。
おもしろいなあ。

こうして見させていただいて気が付いたんです。
どの飾りも大きな可能性に満ち溢れている。
ということに。

この子たちが、夢を持って、将来を自分たちで作っていくんです。
公共心にあふれるものもあれば、利己的なものもありますけど、いいんですよ。
みんなで頑張って自分の夢に向かって行って、世の中が活発になればそこには「見えざる手」が働きますから、世の中が豊かになっていくんです。

「金貨でワインが買えるなら、ワインで金貨が手に入るはずだ。」

今から250年も前にイギリスの学者が気が付いたんです。
それまではヨーロッパが世界中に出かけて行って金銀、財宝を手に入れていきました。
現地人たちをだましたり略奪したり、あるいは植民化や奴隷にして、そこにあった金銀財宝を手に入れた。

なんのためかというと、富を手に入れるために。
金銀財宝があれば、何でも手に入りますから、それが富だと思っていたのです。
だから、他人の物を力ずくで奪っていく。つまり、戦争を繰り返していたのです。

その時代に、「金貨でワインが買えるなら、ワインで金貨が手に入るはずだ。」と言ったんです。

つまり、人々が欲しがるワインを生産すれば、お金が手に入るということです。

ということは、金銀財宝が富ではなくて、皆が欲しがるワインが富であり、そのワインを作ることがすなわち「富の創造」なのです。

では、ワインは何から作るかというと、ブドウですよね。
だから、農家はブドウを一生懸命作る。
でも、ブドウを作っただけではダメなんです。
ブドウをワインにすることが富の創造ですから、つまり、「どうやって付加価値を付けるか。」ということが求められるのです。

私が前職時代にやった伊勢海老列車というのがあります。
地域は伊勢海老の名産地で、漁師さんたちは獲れた伊勢海老を高い値段で出荷していました。
今はいくらか知りませんが、当時は1キロ7000~8000円ぐらいでした。
20~30キロも獲ってくれば大きなお金です。
みんな大漁を喜んでいました。

でも、実は、それでは富の創造になりません。

実際に伊勢海老を1キロ8000円で買った人たちはどうするでしょうか?
彼らは東京のレストランへ持って行っておいしく調理をする。
そうするとその伊勢海老が2万円にも3万円にもなるのです。
つまりどうやって原材料に付加価値を付けるか。
これが富の創造です。

だから私は、東京へなど持って行かないで地元で食べていただくシステムを作れば、それが付加価値ですから、地元に富が舞い降りて来ることになります。
そうすれば地域全体が豊かになると考えて、列車の中で伊勢海老を食べていただくシステムを作ったのです。
そうすることで地域にお金が回るようになりますからね。

今、日本の田舎はみんな疲弊してきています。
その理由は一言では言えませんが、では疲弊を止めるにはどうしたら良いのかということを考えると、出口は意外と一つのように思います。

それが富の創造です。

新潟県はおいしいものがたくさんあります。
この季節は特に野菜や魚など素晴らしい。
でも、それは原材料なんです。
その原材料にどうやって付加価値を付けるかが富の創造ができるかどうかということになります。

例えば、山の中の小さな畑でお爺さんやお婆さんが育てた不ぞろいの野菜。
そんなものは市場へ出しても流通にのせることはできません。
でも、もしかしたら、気に入った旅先で、その季節にしか味わえないごく少量生産の野菜に出会って、それを上手に見せてあげたら都会の人は大喜びをして大金を払ってくれるかもしれません。
都会の人は高級な肉も魚も要らないという人がたくさんいます。
そんなものは都会ではいつでも食べられますからね。
田舎に来なければ食べられないものを求めている。

だとしたら、その不ぞろいの野菜たちをプロデュースして都会の人や外国の人たちが喜ぶように付加価値を付けることができれば、そこに富の創造ができるということになるということはおわかりいただけるのではないでしょうか。

私の友人の長屋英章さんがシェフを務める白馬のオーベルジュ。
1泊60万円ですが、お客様の平均滞在日数は1週間。
来年まで予約が入っています。
出すお料理はジビエと野菜が中心です。
あとはどうやってプロデュースをするか。
つまり富の創造ですね。

ローカル鉄道も同じだと私は思います。
地元の人たちが見向きもしないものを、光り輝かせれば地域の宝になる。
私はかれこれ14年もそれをやってきているのです。

おかげさまで目を付けたところにちょっとスパイスをかければ宝物になる仕組みは作り上げることができました。
例えばおんぼろの電車を買って来て、ヘッドマークを取り付けて、昭和の旅の再現をするだけで、全国から観光客が押し寄せるようになるというのも私なりの富の創造です。
そして、それは地域に利益をもたらさなければなりません。
これが「見えざる手」が働くということだと考えます。
自分一人だけ、自分の会社だけが儲かればよいということは、世の中にはないからです。

その私の今の課題は、「富を創造する方法」をどうやってこの会社の財産にするかということ。
会社の中に置いていくには人に方法を伝授しなければなりません。

でも、60過ぎのお爺さんたちはダメです。
私が言ってることの半分も理解できない人が多いし、理解できたとしてもすぐに時間切れになりますから。
勘の鋭い若手プロパー社員に富の創造の方法を伝えることが急務なのです。

なぜなら私も60過ぎですからもうすぐ時間切れになるからです。

皆さんに間違えてほしくないことが一つあります。
それは、世の中で大切なのはお金ではないということです。
もちろん、お金は大事ですよ。
でも、それよりももっと大切なのは、お金を産み出すことができる力です。

今、お金が無くても、お金を産み出すことができる力があれば心配することはありません。
なぜなら、それが「富の創造」だからです。
そして、それができれば、将来にわたって会社も個人もちゃんとお金が回るようになるのです。

今日は七夕。
商店街に並ぶ子供たちの七夕飾りを見てそんなことを思いました。

未来は無限です。
自分の未来は自分で作る。
それが富の創造なのです。

皆さん、一緒に頑張りましょうね。

地域の将来を作ることが、この国を豊かにすることだと私は信じて、せっせせっせと毎日毎日、富の創造をしているのであります。

※特定の宗教、経典の話ではありませんのでご注意ください。