観光戦略について その3

「台湾と姉妹鉄道締結してるんだから、中国語の車内アナウンスぐらいなければだめだろう。」
この間、こんな意見をされるお客様がいらっしゃいました。
日本人のおじさんです。
皆さんはどう思われますか?
そりゃあ、あった方が良いとたいていの人は思いますよね。
でも、本当にそうでしょうか。
前回申し上げましたが、いすみ鉄道のような田舎の観光鉄道や観光地は、ゴールデンルートに組み入れてもらうような戦略を立てるのは正しくありません。
毎日観光バスが何十台もやってきて、中国人が何百人もやってきたら、ご飯はどうします? トイレはどうします? 泊まるところはどうします?
地域に受け入れ準備ができていない段階では、そういう戦略は取るべきではありません。
いすみ鉄道のような受入れキャパの小さい鉄道は、FIT(Foerign Individual Tourist)と呼ばれる外国人個人客をターゲットにした戦略を立てることが、まずやることで、それで経験を積んでいくうちに、鉄道も地域も受け入れ態勢が整って、団体客が来ても大丈夫になっていくものだからです。
では、団体客ではなくて個人客とはどのようなお客様なのでしょうか。
前回も書きましたが、東京オリンピックを契機に日本人もパスポートを取って海外旅行へ出かけることが許されるようになりましたが、昭和40年代の日本人は、外国へ行くということがどういうことか理解できない人たちばかりでしたから、皆さん必ず旅行会社が主催する添乗員付きの団体旅行へ申し込んでいました。
今では信じられませんが、海外旅行へ行くということは、旅行会社の店頭にあるパンフレットを見て、自分に合ったコース、日程、予算のツアーを探すところから始まります。
旅行会社のカウンターで現金を払って申し込みが完了すると、旅行会社が出国カードに和文タイプで自分の名前とパスポートナンバーを打ち込んでくれて、それを持って、いざ出発です。
ところが、このカードに氏名や番号を打ち込むのも旅行会社の大きな収入源で、数千円が加算されるわけですが、海外旅行へ行く人たちは出入国カードや税関申告書が何かもしらず、どうして良いかわからない人たちがほとんどでしたから、「せっかくだからお願いしましょう。」と、旅行代金にプラスして払っていたんです。
海外旅行へ行ったことがない人は、そういうお客様なんですね。
右も左もわからないから旅行会社任せで、添乗員さんが掲げる旗の後ろをぞろぞろと歩いていくのが海外旅行だったんです。
ところが、昭和50年代も半ばになると、「地球の歩き方」などというガイドブックが登場し、旅行会社に頼らずに、個人で航空券を手配して、個人で旅行するスタイルの旅行者がチラホラ見られるようになりました。
私などはまさしくこの世代で、大学の掲示板に格安航空券の表示を見つけ、そこに電話して航空券を手配して、バックパックでヨーロッパを旅したものですが、添乗員付きの団体旅行をしたのが第一世代だとすれば、個人で切符を手配して、自分で行きあたりばったりの旅をするのが第2世代と言えるでしょう。
そして、最初は団体旅行で海外へ行っていた人の中からも、何度も海外へ行っているうちに、個人旅行を始める人たちが出てくるのです。
最近ではインターネットでいろいろ調べることができるようになりましたから、そうやって情報を集めた人たちは、いちいち旅行会社に頼らずとも、自分の行きたいところへ、行きたいようにいく時代になりました。これが第3世代だと私は考えています。
FITと呼ばれる外国人個人旅行者というのは、まさしくこのカテゴリーに当てはまる人たちで、何度も日本へ来ているうちに、定番のゴールデンルートでは飽き足らず、自分で情報を集め、自分でガイドブックに載っていないような田舎の町を歩き始める人たちなのです。
そして、何度も日本へやってくる人たちというのは、日本が気に入って、日本を好きになった人たちということですから、外国人など見たことがない田舎の町の人たちが、最初に接する外国人としてはふさわしいと私は考えるのです。
さて、話を冒頭に戻しましょう。
「台湾と姉妹鉄道締結してるんだから、中国語の車内アナウンスぐらいしなければだめだろう。」
こういわれた日本人のおじさんは、どういう人だと思いますか?
私が思うには、このおじさんは、団体旅行で外国へ行っているタイプのおじさんだと思います。
団体旅行で外国へ行けば、ホテルのフロントだって片言の日本語を話すスタッフがいるところに泊まります。
レストランのメニューだって、日本語で書かれているところへ行くでしょうね。
右も左もわからない日本人にとって見たら、スタッフが日本語を話せたり、メニューが日本語だったりすることは、とてもありがたいサービスで、団体旅行の人たちは、それが当然のサービスだと思っているのです。
でもFITの観光客たちは、何度も日本へ来て、ゴールデンルートでは飽き足らず、日本の田舎のローカル線にわざわざ乗りに来る人たちです。だから、私は中国語や英語のアナウンスは必要ないと考えています。
私はヨーロッパの航空会社に勤務していました。
だから何十回もヨーロッパへ出かけています。
海外旅行へ何度も行っている人たちが何を求めているか。
例えばイギリスへ何度も出かけている人たちはロンドンの中心街や有名観光地は見飽きていますから、ロンドンを出てイギリスの田舎町を旅したがります。
例えば、ピーターラビットの故郷を訪ねて、ローカル列車に乗車して、家族でやっている小さなB&Bに宿泊して、イギリスの田舎町の気分を味わいたいわけですが、そのローカル列車の中で、「毎度ご乗車ありがとうございます。」と日本語のアナウンスが流れていたらどう思うでしょうか。
小さなB&Bに宿泊したら、フロントのお父さんが「どこからきたの?」と日本語で聞いてきたとしたら、部屋に日本語の案内がかかれていたとしたら、どう思うでしょうか?
フランスの片田舎を旅していて、知る人ぞ知る隠れ家のようなレストランを訪ねて、ドアを開けた瞬間に「いらっしゃいませ。」と日本語で言われて、日本語のメニューが出てきたら、その旅行者はどんな気持ちになるでしょうか。
「そうじゃないんだよなあ。」
せっかくこんな田舎の町までやってきたのに、と、がっかりするんじゃないでしょうか。
これが何度も外国旅行へ行っている個人旅行者が求めているものと、外国に不慣れな団体旅行者が求めているものの違いです。
何度もその国へ行くということは、その国が気に入っているということです。
定番のコースを離れて、どんどん田舎の町を歩くということは、日本人のいないところへ行きたいわけだし、日本語なんて見たくもないと思うのです。せっかく田舎を旅をしているのに、日本人に出会うと少々がっかりするものです。
海外に来ている、外国の田舎を旅するというのは、そういうものなのです。
そして、いすみ鉄道はFIT、つまり個人旅行者をターゲットにしているのですから、私はいすみ鉄道のローカル列車の中で、中国語や英語の案内表示や車内アナウンスはするべきではないと考えています。
そういうことが実は本当のサービスなんです。
でも、団体旅行でしか海外へ行ったことがない人たちから見たら、「なんて不親切な鉄道なんだ。」ということになるのです。
ご理解いただけましたでしょうか?
ターゲットをどこに設定するかで、お客様が求めるものが違いますから、提供するサービスも変わるということで、ある種のお客様にとって見たら、何もしないことがサービスになることだってある、ということ。
これが「戦略」なんですね。
(つづく)