何が正しいのかをどう判断するのか。

ロシア軍が罪もない民間人を虐殺していると報じられています。

昔からロシアは「嘘つき」で「泥棒」で「人殺しの国」と言われてきていましたから、民間人を殺すのは何の抵抗もないのでしょう。
もともとロシアの目的は領土の拡大ですから、そこにいる人民は邪魔なわけです。

そういうロシアを「あいつらは悪い国だ。」と西側は何とか戦争をやめさせたいと考えている。

では、ウクライナはどうなのか。

ロシア軍の攻撃に対して、ウクライナ軍は頑張っている。善戦していると伝えられていますが、善戦しているって何なのでしょうか。

つまり、攻めてきたロシア軍に対して防御という名目で攻撃しているわけです。

どういう攻撃かと言うと、民間人が小型の対戦車ミサイル砲を背負って撃っている。

ロシア軍としては侵攻していく途中で50台あった戦車が20台も30台もやられてしまって、残り10台、20台になったところで何とか攻略した。
そういう時に隠れていた民間人が白旗立ててたくさん出てくるけど、そいつらだって軍人じゃないけどいつ攻撃してくるかわからない。
つまりはゲリラ戦ですから、最前線のロシアの兵隊にとって見たら、すでに自分たちの仲間の多くが殺されているわけですから、恐怖以外の何物でもない。
もともとその領土は欲しいけど、人民は要らないという教育を受けていれば、当然のようにどんどん処刑していく。

こういうことが戦争であって、悲劇なのですから、どちらが正しくてどちらが悪だということは、一概には言えないと思います。

戦争のような例は極端な例かもしれませんが、私たちが生きていく上で、どちらが正しいかという判断を迫られることは時々あると思います。
あるいは、二者択一でなくても、何が正しいのかということを判断しなければならない場合もあるかもしれません。

そういう時に、皆さんは何を根拠に判断しますか?

ビジネスの世界でもそうですね。
会社と会社、あるいは組織と組織が取引やお付き合いを始めようとするときに、この相手とお付き合いするべきなのかどうか。
判断で迷うことがあると思います。

私は、そういう時の判断基準で、相手が自由にものが言える会社や組織であるかどうかが、いわゆる民主主義社会の根源ですから、大事だと考えています。

会社という組織が果たして民主主義的かどうかというと、必ずしもそうではありません。
会社は最終的には多数決で物事を決めるような組織ではありませんから、会社と民主主義は必ずしも同じではありませんが、でも、その最終決定に至るまでの過程においては、いろいろな意見が出て、いや、いろいろな意見を出せるような組織の形というのが大切であって、そういう意見を踏まえたうえで、最終的には責任のあるポジションの人が、ちょっと大げさな言い方をすれば、自分の命と引き換えに判断をすることになるのが会社という組織であって、つまり、思ったような結果が出せなければ責任あるポジションの人が責任を取るのが会社という組織なのです。

それぞれの担当部署があって、その担当部署ごとに役割や目標があって、その役割や目標を達成できなければ、その部門の長は能力がないとみなされますから、当然首のすげ替えがありますし、全体的に目標に達しなければ社長が首になります。

こういう点では会社というのは民主的ではないかもしれませんが、でも、その過程が透明であるかというのが私は大切であると考えています。

つまり、どういう人たちが、どういう議論を経て、最終的にどういう結論に至ったかということが、従業員からきちんと見えているか。
あるいは、その過程に従業員の意見がきちんと反映されているかどうか。
反映されていないとすれば、そういう組織の構造になっていたのかいないのか。
先方の会社や組織が、そういうところが見えるかどうかが、ビジネスの取引でお付き合いできる相手かどうかを判断する材料になると思います。

そう考えると、何が一番重要なのかは、私は情報発信だと思います。

考えていること、言いたいことがきちんと表明できるかどうか。
社内的にも社外的にもそういう風土になっているか。

今回、ロシアとウクライナを見ていると、ロシアは情報統制をしている。ウクライナは大統領自ら毎日のように世界に向けて情報発信している。
この違いは大きいと思います。

ロシアは大統領や権力中枢部に都合が良いことだけを報道して、あとは言論統制、情報統制している国です。
つまり、そういう国は基本的にお付き合いするかどうかを考える場合、できることならやめておいた方が良い国ということになります。

ウクライナは大統領自らがどんどん情報発信している。
報道関係者も入り込んで、現況を伝えている。

情報戦という点ではウクライナの方が有利になっていると私は思います。

それに対して、ロシアはウクライナの報道は嘘で、捏造されたものだと言っている。
なぜか?
多分、自分たちがそうだからでしょうね。
国民に対して権力者に都合の良い情報しか流さない国であれば、都合の悪いことは嘘をつくか捏造するしかありませんから。

戦争中の日本の「大本営発表」と同じですね。

あの当時、日本でも思ったことを自由に発言できない環境がありました。
父親から聞いた話ですが、赤狩りで学校の先生が憲兵警察に連れていかれた。
自分たちの担任の先生だったので、生徒も呼ばれて、どんなことを教えられていたのか憲兵警察から厳しく聞かれた。
先生とはそれっきり会ったことがない。

私が実際に父親から聞いた話ですが、父親が息子に嘘を言う理由はありませんから、多分本当の話だと思いますが、そうやって憲兵警察に連れていかれて、拷問を受けてそのまま命を落とした民間人もたくさんいたらしいですから、情報をコントロールしようとする組織や人は、信用しない方が良いと思うのであります。

国も組織も、切羽詰まってくると、そういうところに本性が見えるものです。
ロシアばかりではなく中国もそうですが、権力側に都合が悪くなりそうだと報道統制や情報統制をするような国は基本的には信用できない国ですから、お付き合いするとしてもある程度距離を置いた方が良い。

私はそう思います。

私自身もそうです。
13年もブログをやっているといろいろ言ってくる人たちがいます。
以前にも権力のある側から「余計なことを書くな。」「ブログはやめろ。」と言われたことがありますが、私はそういう人や組織は基本的には信用しないことにしております。

けっこういるんですよ。
今の時代にそういう人って。

私は前職の時も社長ブログだけでなく社員ブログというのをさせていました。
社員が自分の思ったことを発信できるコーナーです。
もちろん、当たり前のことですが、その内容に関して事前に検閲するような、決裁を求めるようなことはするべきではありません。

今もFacebookで同じ仕組みを作っています。
それぞれの担当職員が、思ったこと、感じたことを書いたり写真を付けたりして情報発信しています。
中には「そこまで書くか?」というようなこともありますが、そういう情報を待っている皆さんもいらっしゃるわけですから、向かう方向性が同じである限りは「どんどんやりなさい。」「やってみなさい。」と言っています。

でも、中にはそういうことを苦々しく思う人もいるでしょうから、そういうところにいろいろ見えてくるものがあるのではないかと考えています。

これも一つの判断基準なのであります。

皆さんも、何が正しいのかを判断する基準というのを持っておいた方が良いと思いますよ。


▲ファンの方が投稿してくれた今日の能生の桜。
3分咲きで60名ほどが集まったそうです。
先週30名、昨日は40名、そして今日は60名。

情報発信だけでお昼の15分間のために能生の駅にこれだけの人が集まるのですから、おもしろい時代ですね。

さて、来週は何名いらっしゃるかな?