新潟県は可能性に満ちている

4月1日の入社式の時に私は新入社員の皆さんに対して「これからは地方の時代です。地方で仕事をするのが主流になるので、新潟県は可能性に満ちています。」とお話をさせていただきました。

「地方の時代」というのはかなり以前から言われていまして、ある意味使い古された言葉でありますから、今さら何でそんなに臭い言葉を言うの? と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、過去にはそれぞれの時代にそれぞれのチャンスがあって、今、またそのチャンスが来ていると考えています。


▲入社式の様子を報じていただいた当日夕方の新潟のニュース番組。

新潟県はとてもよい所。
新潟県は可能性に満ちている。
新潟県には大きなチャンスがある。

私はこういうことをよく言いますが、それは地元に対するリップサービスだと思われる方もいらっしゃるでしょう。
第3セクターの社長だから地元にリップサービスをする。

まぁ、そう思われても仕方がないと思いますが、では、私の過去のブログを紐解いていただければお分かりになると思いますが、基本的には私は地域に対してリップサービスなどはしておりません。
ダメな地域はダメでありますし、地域がなぜ今のようになってしまったかを考えるときに、その地域に長年住んできた人たちがそういう状況を作り出してしまったというのがまぎれもない事実でありますから、やり方を変えるためには人を変えなければならない。
というのが持論であります。

では、なぜ、そんな私が「これからは地方の時代であり、新潟県は大きなチャンスがある。」と言うのかというと、その理由は「本心」だからです。
つまり私は心からそう思っているわけでして、だから、還暦過ぎの爺さんになってもわざわざ豪雪地帯に単身赴任でやって来て奮闘しているわけで、これが本心でなかったら自分を偽ってまで雪と格闘しながら鉄道を何とかしようなどとは思わないということは、多分皆様もご理解いただけるのではないでしょうか。

では、どういうところにその可能性があるのか。
今日は大事なお話をしようと思います。(爆笑)

今、時代は大きな転換点を迎えていると言われています。
コロナが2年以上も続き、その挙句の果てにウクライナで悲惨な戦争がはじまりました。
この2年間で私たち日本人は何を学んだのでしょうか?

今日のニュースでもやっていましたが、今、新車で自動車を買おうと思ったら半年待ちが当たり前です。その理由は電子部品が入らないから。
蛍光灯を取り換えようと思っても、カタログに載っているものの在庫がない。
湯沸かし器が故障したので修理をお願いしても何週間もかかる。
家電量販店へ行ってビデオカメラやデジカメのコーナーを見ても「入荷待ち」の札ばかり。
その理由は皆さんご存じのように、いろいろなパーツや部品が日本で作られていないから、コロナで海外の工場が止まってしまうと完成品にならないからです。

つまり、工業製品の製造が自分たちのコントロールできないところにあるということですね。
天変地異、政変、疫病など理由を問わず、パーツのサプライチェーンのどこかが止まってしまうと、品物が手に入らなくなるという現象がコロナで表面化しました。

そこへウクライナの戦争がはじまると、今度は小麦などの食料の原材料や天然ガスや石油などというエネルギーが手に入らなくなる可能性があることが現実味を帯びてきました。

ドイツの例を見ると顕著ですが、ロシアからの天然ガス供給にエネルギーを依存している。そのロシアが戦争を起こして、それに対して制裁を下すとどうなるか。
ドイツばかりでなくヨーロッパ全体がそういう構造になっているから、ロシアを非難すると自分たちの生活が不便になり苦しくなる。
フランスの大統領選にもそういうところが現れていると思いますが、日本も全く同じです。

でも、生活が不便になって苦しくなるだけではなくて、人命軽視で平気で戦争を始めるような共通の価値観を持っていない国に、自分たちの生命線である食糧やエネルギーを依存していて良いのでしょうか? という議論がそろそろ持ち上がってくることになると思います。

昭和の時代には戦争で食べ物がない時代を経験した大人たちが、食料だけは自給できる国にならなければ将来が危うい、というような議論をしていたことを記憶していますが、そういう大人たちが第一線を退いていくと、だんだんとその種の議論がなくなりました。

そんな時、1990年代前半に、気候変動で日本で米がとれないということが実際に起こりました。
当時すでにコンビニの時代になっていましたが、コンビニの店頭からお弁当やおにぎりが消えたのです。

その時各コンビニ企業はどうしたのかというと、東南アジアから緊急支援としてコメを輸入しました。
でも、東南アジアのコメはおにぎりやお弁当には使えません。
そこで、ジャンバラヤとかパエリアとかガパオとかカオマンガイとか、「???」という名前の料理がたくさん登場して、当時は「???」だったものが今ではすっかり定着したのですが、そうやって危機を乗り越えた日本人は、食料を、米でさえも輸入すればよいということを覚えました。

それから約30年、食料を国内で自給しようなどということを言う人たちが極めて少数派になりました。

例えばパプリカという野菜がありますが、あのパプリカは多くが韓国からの輸入品です。
なぜならパプリカは温室栽培をするのですが、7~8メートルの高さに成長する。それだけの高さの温室は台風が多い日本では不向きなので、韓国で生産しているということなのですが、パプリカはもちろん、バナナやパイナップルなどは外国からの輸入品に頼っても、いざ入ってこなくなった場合の影響は小さいですが、米や野菜類などはきちんと日本で生産できなければ、食料の安全保障にかかわると思いませんか?

日本人は国境を接しているロシアはもちろん、同じように国境を接している中国も情報統制をしたり人権が保障されていないなど、どうやら共通の価値観を有していない国であるということが今回のウクライナ戦争ではっきりわかったのですから、何とかしなければなりません。

ではなぜ、日本人は工業製品のパーツだけでなく食糧やエネルギーをそういうある意味危険な隣国に依存してきているのかというと、ひと言で申し上げると「安いから」です。
自分たちで作るより、外国の労働力で作ってもらった方が安いから、買った方が良いからです。

そういう考えで30年も50年もやって来て、今まではうまく行ってきました。
でも、これからも永遠にずっとそれで良いのでしょうか?
ロシアや中国は、これからも未来永劫、日本に安く売ってくれるのでしょうか?
あるいは、食料やエネルギーというものを共通の価値観を有していない隣国に依存していて良いのでしょうか?

ということを私たち日本人は気が付いてしまったのです。

今までは国と国とが友好関係を結んでいれば大丈夫だと思っていたかもしれませんが、外交というのはそんな事では通用しない。日本人は何と天然頭だったのかということが、国民誰の目にも見えるようになったというのが、コロナであり、ウクライナ戦争であると私は思います。

だから時代の転換点なのです。

だったら、どうしたらよいでしょうか。

今の時代はコメは北海道でも上質のものが取れるようになりましたが、その輸送を担うJR北海道が、「そんなものを輸送するのは俺たちの仕事ではない。」「割に合わないから線路を廃止しましょう。」と言っている。
いつまでも北海道が食料の生産基地で、北海道からの食糧を安定供給できるとは限らない。
まして北海道はロシアの目と鼻の先。
今後おそらく北方4島にはロシア軍の配備が進むであろうことを考えると、北海道に食糧を依存することは食料の安全保障にはならないのです。

そこで力を発揮するのが我が新潟県です。

新潟県は食料を大量に生産していますから、都会の食糧を賄うことができる。
「安いから輸入すればよい。」という都会の人たちの意識が変わり、「多少高くても国内で確保する。」ということになれば、国内生産に切り替えるムードになる。

食糧だけじゃなくて、例えば林業もそうですね。
東京の大企業はCO2をたくさん排出している。
そのCO2を新潟県の森林が吸収しているのですから、都会の大企業は新潟県の森林が吸収するCO2分を買い取ることができるわけで、都会の企業が新潟県の森林に対してお金を払う仕組みができれば、新潟県は森林に投資することができ、そこに雇用が生まれて、森林を永続的に維持することができるようになる。そうなればロシアから木材が入ってこなくなったとしてもきちんと国内生産で対応することができる。

今までは安いからという理由でロシアから木材を輸入する。
ところが多少割高でも自分たちの国で賄おうという考え方になれば、もちろん物価は上がりますが、外国からの輸入品が為替差損で値上がりすることを考えたら、国内需要で物価が上がることは、雇用や賃金の上昇につながりますから、一概に悪いことではなくなります。

小麦の価格が高騰する。
あるいは輸入が制限される。
そうなったら学校給食のパンだって満足にいきわたらなくなる可能性があります。
そんな時、新潟県から米粉を東京に送って子供たちの給食に使ってもらえば、小麦の不足分を補うことができます。

新潟の酒蔵では吟醸酒をたくさん作っていますが、あれは米を半分以上粉にして廃棄していますからね。

小池都知事に「東京都の学校給食は新潟県にお任せください。」と申し出れば、米の安定供給につながる。ということは、安定生産につながるわけで、作付面積の調整などで田んぼを遊ばせておく必要もなくなるし、地元での雇用にもつながる。

そういう時代がもうすぐそこまでやってきているのですから、首都圏という大消費地を控える新潟県には大きなチャンスがあると考えているのです。

その手始めに先日行ったのが私のふるさとである板橋区のハッピーロード商店街と上越市を結ぶ取り組みであって、上越市の野菜を板橋区の学校給食に安定供給できれば、新潟県は大きなお役に立てると考えているからです。

まぁ、このぐらいのことは新潟県の人たちはすでに考えて行動しているとは思いますが、もう一つ。

若い皆さんがほとんどの方がご存じないと思いますが、新潟県では石油も取れるのです。
新潟には昔から油田があって、石油や天然ガスが出るのです。
ただし、今はもうほとんどやっていません。

その理由はコストです。
産出量が少ないからコストがかかる。
だから買った方が安い。

そういう国の政策で、今は外国から石油や天然ガスを買っているのですが、新潟には油田があるのです。(実は千葉県も天然ガスの産地ですが)
これは大きなチャンスだと思いませんか。

私が「新潟県には大きな可能性がある。」と申し上げたのはこういう理由からで、だからリップサービスなどではなく「本心」なのであります。

あとはどうやってやるか、あるいはやらないかであって、多分今までのやり方を踏襲することしか能がない人たちなら無理だろうけど、新しいことにチャレンジする人たちならできるだろうなと思うわけでして、そういう新しいことにチャレンジする人たちがどれだけいるかなというのが、トキ鉄に対する扱い方を見ることで1つの判断基準になるのではないかと、私はひそかにWatchしているのであります。

つまり、土地に可能性はあるけれど、その可能性を活かせるかどうかは、そこに住んでいる人たちにかかっているわけでして、鉄道をどう利用できるかということが、「今あるものをどうやって有効活用して這い上がっていくか。」という現代の地域のテーマの象徴になると私は考えているからです。