ローカル線をブランド化する。

2009年6月に私がいすみ鉄道の社長に就任した時、いすみ鉄道のスタッフは戦々恐々としていたと思います。
「今度の社長は、いったい何をやるんだろう。また職場が引っ掻き回されるのかなあ。」
多分、そんな感じだった思います。
それまでの私は外国の航空会社で管理職をしていましたから、毎日コストコントロールとリストラの繰り返しが仕事のようなもので、経費節減と人減らしをやらせたらプロ中のプロというぐらいの実績がありました。
そして、そういう人が会社の立て直しを任されたわけですから、ちょうど日本航空が傾いて立て直しをどうするか議論が盛んな時期でもありましたから、私に立て直しを任せた人も、いすみ鉄道のスタッフの人たちも、航空会社と同じ方法でローカル線を立て直すんだろうなあと思っていたと思います。
でも、私はローカル線の社長として就任した時点で、コストカットや人減らしという、いわゆる伝家の宝刀を使う気は全くなくて、どうしたら「みんなでしあわせになれるか」を真剣に考えていたのです。
就任のあいさつで、私はいすみ鉄道のスタッフの前で、こう言いました。
「私はこの会社をブランド化します。皆さんが、『良い会社に勤めてるね』って言われるような会社にします。だから楽しくやりましょう。」
その時、今、売店の戦略担当でバシバシ仕事をしてくれている稲葉さんは下を向いていて、私の横にいた運輸課長の磯野さんが、ポカ~ンとした顔をしていたのをはっきりと覚えています。
きっと、「この人、何言ってるんだろう?????」という感じだったのでしょうね。
でも、私が「良い会社に勤めてるね。」と言われる会社にしようと思ったのは本心なんです。
なぜなら、それまでのいすみ鉄道は、「お前らの会社なんて赤字の垂れ流しじゃないか。」と町の人たちからことあるごとに言われていて、本当ならそれで腐ってしまうのだろうけど、でも、鉄道業だから気を抜くことなく一生懸命働いてきたのがいすみ鉄道のスタッフです。
「お前たちなんかいらないんだ。」と言われていたいすみ鉄道を、一生懸命守ってきた人たちなんです。
だから、私はそういう人たちが、今までの努力が報われるようにしなければならないと思いましたし、それまではいすみ鉄道で働いているということが恥ずかしくて口に出せない肩身の狭い思いをしてきた人たちが、「良い会社に勤めてるね。」って言われるような会社にしよう。そうすれば活力が出てきて、立派に再生できると考えたのです。
これは、通常の企業再生とは異なります。
通常、企業再生というのは、「コストを切り詰めながら売り上げを伸ばすこと。」と、「財務整理をしながら優良部門に積極投資すること。」というような相反することを同時にいくつも進めて行くのがセオリーですが、私は、そういう、いわゆるアメリカ型経済のやり方が、ローカル線という地域密着型の鉄道ビジネスには適応しないと思っていましたし、端的に言えば、そういうアメリカ型経済を適用するぐらいなら、その原則に忠実に従って、ローカル線なんて最初からやめてしまって、バスで十分なわけで、日本は長年そういうやり方をしてきて、今、ローカル線を廃止してバスにしたところはもちろんですが、それ以外の所でも全国的に地方がとても疲弊してしまったわけですから、アメリカ型経済は日本の田舎には適応しないのですが、どうしても「アメリカやヨーロッパが偉い」と思っている人たちが日本人の知識層にはたくさんいるようで、そういう「古い」考え方が今でももてはやされているんです。
何しろ、それまでの私はアメリカ型経済の考え方の真っただ中にいましたから、よくわかるのですが、日本の田舎というところは、そういう理屈だけではうまく機能しないところなんです。
つまり、東京や大阪などの大都市圏以外の、日本の8割以上の地域がアメリカ型経済ではうまくいかなくなっていて、だから、日本は地方から疲弊してしまったのです。

[:up:]就任した翌年、2010年のいすみ鉄道。菜の花の季節でも沿線ではカメラマンの姿は見られず、
[:down:]土休日でも、大原駅でさえシーンとしていました。後ろは当時の113系

さて、ローカル線をブランド化すると大見栄を切ったものの、はっきり言って私には勝算があったわけではありません。
ただ、前回もお話ししましたように、日本のローカル線問題は、過去40年間も同じことをやってきて未だに解決できていないのだから、今までのやり方では今後も解決できないのはわかりきっていて、だから今までと違うやり方をしなければだめなんですよ、という基本方針を立てて、それには「ブランド化する」のが一番良いのではないかと思ったのです。
今までのローカル線は
「私たちは廃止になってしまいます。だから乗りに来てください。」
とか、
「私たちは一生懸命増収の努力をしています。だからグッズを買ってください。」
などなど、だいたいこんな感じの「お願いビジネス」でしたが、こういうビジネスのスタイルを長年続けていると、お客さんの方は、
「特に用はないけど乗りに来てやったよ。」という感じになりますし、
「欲しくはないけど、かわいそうだから買ってやるよ。」的な態度になります。
そうすると、販売する側もだんだん気持ちが沈んで来て、みじめになるわけで、それが悪循環になっていくわけです。
ローカル線というのは、そこで働くスタッフの自己犠牲の上に成り立つものではありませんから、私は、ブランド化して、働く人間が胸を張って堂々と自分たちの商品を「お願いビジネス」ではない形で販売できるシステム作りが必要だと考えたわけです。
簡単に言えば、「乗りたくなるような列車を走らせること。」と、「思わず入りたくなるようなお店を作って」、「買いたくなるようなグッズを並べる」という、実に単純なことです。
では、ローカル線を商品として販売する場合、その商品というのは実際の所は何なんでしょうか。
これは、考えていただければすぐにお分かりいただけると思いますが、ローカル線であるいすみ鉄道の商品というのは、「座席」です。
この「座席」を何席提供できるかということが、商品供給力であって、それによって売り上げが決まります。
私が日本全国のローカル線を見て歩いて解ったことは、国鉄の赤字ローカル線を引き継いだ第3セクター鉄道は、だいたい20km~40kmぐらいの本線から分岐する枝線であって、そういうローカル線が、本来の地域輸送機関としての使命だけで経営が成り立つには最低でも沿線人口が8万人必要です。
10万人いれば心強いですが、そのぐらいの沿線規模だと、「車を置いて鉄道に乗ってください。」といった運動によって乗客増が図れれば自立できる可能性がありますが、いすみ鉄道沿線の人口は、大多喜町が1万人。いすみ市の中のいすみ鉄道沿線地域と合わせても約4万人しかいませんから、本来の地域交通機関としての輸送だけでは、もう自立経営できる環境にはないわけで、それでも4万人の人口の中で交通弱者といわれる人の割合は年々高くなるばかりですから、地域の足としては絶対必要で、そういう現状を踏まえたうえで、「ブランド化」して、都会の人たちにこの鉄道を知ってもらって、乗りに来てもらうことで存続できるのではないかと考えたのです。
聡明な読者の方でしたらすでにお分かりでしょうが、いすみ鉄道のような沿線事情のローカル線では、朝から晩まで全商品を完売しても黒字にはなりません。
つまり、朝から晩まで列車を満員にしたところで、客単価と商品数と回転率を考えても黒字にはならないのですから、そういう努力は徒労に終わることは戦う前からわかっているのです。
よく、いすみ鉄道のやっていることを見て、「観光鉄道じゃなくて、もっと地域の鉄道としてしっかり考えろ。」と言うような人がいますが、そういう人は、「百聞」の人たちで、「一見」していない。なぜなら、いすみ鉄道は土日に観光鉄道としてお金を稼いで、その稼いだお金で平日の通学や病院への行き帰りといった地域の足としての機能を守っているわけで、土日にはごったがえすような混雑でも、平日に来てみると、真昼間の列車にはお客さんが2~3人。日が暮れると乗客ゼロなんてこともあるわけで、わかったような意見を言う前に、裏付けとして土休日のいすみ鉄道と平日のいすみ鉄道を見比べてみれば、百聞は一見に如かずということを知ることになるのです。
そして、それでも列車を走らせるためには、現実問題としてさしあたってのキャッシュが必要ですから、40年間机上の空論で「ローカル線はこうあるべきだ。」などとイデオロギーの塊のようになっている壮年世代の考え方では、ローカル線は「早いとこやめてバスにした方が良い。」ということになってしまうのです。
(つづく)