神出鬼没の2014年

今日は3連休の初日。
皆様方はいかがお過ごしになられましたでしょうか?

私はちょっと近隣に乗り鉄しようと思っていましたが、架線凍結などで運転が不安定だという情報が入りましたので、家で寝てました。

朝はいつも通りに起きたのですが、なんとなく「寝ようかな」と思って、10時ごろにもう一度ベッドに入ったら、目が覚めたら15時過ぎでした。

まぁ、疲れているんしょう。
昼飯も食べずに寝てたんですね。

で、起きてもすることがないからハードディスクの中をのぞいてみたら、2014年の2月に大雪だったことがわかりました。

うん、確かにそうだった。

2月15日は大雪で千葉でも運転できない状況でしたね。

あの日は私は仕事で小海線の中込へ行っていて、帰りに佐久平から新幹線で東京に戻ったのですが、東京も大雪。
やっとのことで深夜までかかって大多喜へ戻りましたが、大多喜も大雪でした。

翌日は確かキハの運転日でしたが、外房線も高速道路も止まっているのに、沿線には人だかりで、たくさんのカメラマンが待ち構えていました。

「その情熱と行動力を仕事に発揮できたら出世するぞ。」

万難を排して撮影に来る皆様方を見るといつも思うのですが、それができたら苦労しませんよね。

それから10日ほど経過した2月下旬に私は江差に居ました。
江差線が廃止になるということで、最後の乗り鉄ですね。
江差線に乗ったのはこの時が確か3回目でしたが、これが最後でした。
予約していた駅弁。うまかった。
もう一度食べたいけど、どうなったかな?

江差線は函館-木古内-江差でしたが、廃止になった木古内-江差だけじゃなくて、函館から木古内の区間も並行在来線になるので、こちらも乗り収めでした。
この列車の若い運転士さんが私に声をかけて来てくれました。
「あれ? 鳥塚さんですよね? いつもブログ読んでます。」
「ありがとう」
と返事をしましたが、「しまった! 面が割れてる!」

今はどうしていらっしゃるかな?
頑張って乗務してるかな?

6月には長野新幹線に乗って妙高高原に来ました。
翌年の春にはここも並行在来線になるので、特急車両を使用した快速列車も乗り収めです。

この時は赤倉観光ホテルに泊まって、翌日は違う色の電車で長野へ戻りました。
今のしなの鉄道の区間しか乗りませんでしたが、実はトキ鉄のはねうまラインに乗ったのはそれまでの人生で覚えている限り10回ぐらいしか無くて、覚えている限りというのは、夜行列車で通過しているのは乗った回数に入らないということですが、直江津には何度か来ていて、並行在来線になる前の姿を記録しておこうと思っていました。


▲2012年9月 デカ目


▲2012年8月 はくたか


▲2015年1月

「はくたか」がなくなったらこういう融雪設備はどうなるのだろうか?
そんなことを考えながら撮った記憶があります。


▲2015年12月

でもって、トキ鉄になってからもやってきて、こういう列車もいずれ遅かれ早かれなくなるだろうなんて考えて写したのでありますが、片方は予想通りすぐになくなりましたが、もう片方は頑張ってますから私の予想も確率5割というところでしょうか。


予想と言えば、こんな電車に乗って大阪から一晩かけてやってきたことも。
「そのうちこの景色も見られなくなるだろう」と思って撮っておいたこの電車も、この線路も今は見られなくなりましたので、予想的中ですね。


この電車もすでに思い出の中でございます。

ということで、今日はHDの中から思い出を探してみましたが、私はなんだかんだ言って10年以上前からこの地域をうろうろと彷徨っていたんだなあと思うのであります。
まだ出会う前の皆様方は、この時は何をしていたのでしょうか?

若くてピチピチしたカワイ子ちゃんだったのかなあ?

まあ、そうでしょうね。

そういうことにしておきましょう。