秋田の会議

今日は秋田で会議に参加しました。

以前もお話ししましたのでご存じの方もいらっしゃると思いますが、私は秋田のローカル線を活性化させる会議のアドバイザーをさせていただいておりまして、今年3回目の秋田です。

県庁に入ると、憧れのあきたびじんがお出迎えです。
この写真、昔の写真とのことですが、どのぐらい昔かというと多分60年以上昔のようで、この方はアメリカに移住されて、年を取って秋田に戻られて、数年前にお亡くなりになられたそうですが、波乱万丈の人生だったのでしょう。
美人はつらいのです。

本日お会いしたのはこの方。
秋田県観光文化スポーツ部の石黒道人部長さんです。

秋田県庁では観光文化スポーツ部というところが交通政策を担っています。
観光に交通は欠かせないという点ではもっともだと思いますが、当然地域公共交通も含めてなわけで、お役所ですからいろいろ批判もあるのではないかと思いますが、おそらくしっかりとした「あきたびじょん」があるのでしょう。

数か月に1回ですが、私が秋田県のお仕事を引き受けるのには理由がありまして、まず第一は、秋田県ではすでに40年近く前から由利高原鉄道や秋田内陸縦貫鉄道といった第3セクター鉄道を運営してきていて、鉄道というものがどれだけ大変かをよく理解している。そういう中で、コロナをきっかけにJRがいろいろと存廃議論を持ちだしてきているというところですから、つまり、県としてずっとずっと頑張って鉄道を運営してきているにもかかわらず、JR相手に戦わなければならない状況というのは、見て見ぬふりはできませんし、全国共通の課題ですから、新潟県も他人事ではないからです。

もう一つの理由は、秋田県というのは少子高齢化など日本が将来的にシュリンクしていくだろうという問題の最先端を行っているからです。
ファクトとして、東北の中でも人口減少が激しく、厳しい状況にあります。
そういう「最先端」を行っているのが秋田県ですから、つまり、「秋田で起こっていることは近い将来には新潟でも起こる」ということですから、どういう対策が有効かを知る絶好のチャンスだからです。

昭和30年代から40年代にかけて、日本の企業はみんなアメリカへ視察に行きました。なぜなら当時はアメリカが最先端だったからで、「アメリカで起こっていることは将来日本でも起こる」といって、アメリカを勉強していたのです。

それと同じことが、今、日本国内でもあるわけですから、「最先端」で対策を立てて実行していることが、もしうまくいくとすれば、あるいは例えば失敗したとしても、いずれ新潟県の役に立つと考えることにしているのであります。

観光文化スポーツ部の石黒部長さんの部屋の前にはちゃんとこういうものが掲げられていました。
石黒さんは「社長さんにお会いするのは、実は2度目なんです。」とおっしゃられましたが、どうやら最初はこの時に別のお立場でしたが一度お会いしているのであります。
私にはちょっと鉄分多めだと感じましたが、それはもし次にお会いする機会があったら聞いてみようと思います。

2018年10月21日のブログ

さて、会議の方ですが、私が暴れなければつつがなく進むということで、10分ほど時間を余らせて終了。

主催者としては暴れて欲しかったようではありますが、運輸局の偉い人も来ているし、JRも秋田支社ばかりでなく盛岡支社の人も来ているし、マスコミもテレビカメラを構えているので、鼻くそほじっている姿を写されないように気を使っていたのであります。

でも、一応お仕事をいただいている身でありますし、各沿線市の担当者がいらっしゃってはいるものの、今一つ活力に欠けている雰囲気でしたし、暴れてほしいという空気も感じておりましたので私が申しあげたことは次の点です。

【あくまでも全国共通のこととして】
・今、鉄道をどうしようかと大騒ぎになっている地域というのは、40年近く前に国鉄からJRになるにあたって、廃止対象路線に指定されることなく、運よくJRになれた地域だ。

・当時、廃止対象路線にノミネートされた地域というのは、つまりその時点で禊(みそぎ)を済ませていた。そして、それ以来一生懸命自分たちの鉄道として第3セクターを運営してきた。ところが、JRとして残ることができた沿線というのは禊を済ませていない。それが今なのだ。

・国鉄の廃止対象路線の鉄道を引き継いだ地域というのは、鉄道が自分たちのものだというマイレール意識を持っている。それに対して、JRの沿線地域の皆さんは鉄道は他人事。「なんで、JRはちゃんとやらないのか?」と批判ばかりが多いように見受けられる。もう少し、自分事として取り組む姿勢と努力が必要だ。

・どんな商売も、基本原則は同じ。
例えばスーパーマーケットを考えた場合、スーパーマーケットの経営者が、「お客さん、あなたが買ってくれないから、うちは商売を続けられませんよ。だから閉店します。お客さん、あなたの責任ですよ。」という人はいない。
お客の側も「お前んとこの店で、しょうがないから買ってやるよ。」とか「別になくなったって関係ないし。」というようなお客はいない。
もしそうだとすれば、当然そのスーパーマーケットはなくなりますよね。

・鉄道会社と対話するということは専門知識が必要。それに対して、役所の担当者というのは数年でころころと変わる。これでは鉄道会社とまともに話をすることはできない。仕事のやり方を変えなければならないと思うが、やうしょはそれができる組織になっているか。

・地域需要はじり貧であるから、どうやったらお客様が増えるか。つまり需要を作り出さなければならないというのが交通ばかりでなく、地域の大きな課題。どこにお客様がいて、どうやったら自分のところに来ていただけるか。そういう潜在的な需要を掘り起こしてお客様を増やすということが、役所もJRもできる組織になっているか。

・ローカル鉄道の存廃問題というのは人間の体で言ったら、病気にかかってあとどれだけ生きられるかというのと同じで、時間が限られている。
病気の進行状況が進んでいるなら打たなければならない対策は「今までのやり方」とは別のものになるはずだ。10年間利用促進に取り組んできて効果が出ていないとすれば、その治療法でダラダラやっていく間に病気がさらに悪化して、やがてお亡くなりになるという認識を持つこと。

・100年以上前に建設されたということは、重機もない当時、先人たちが大変な思いをして作られたのが鉄道だ。その鉄道を「使い方がわからないから」という理由で、自分たちの代でお仕舞にするということでよいのか。
45年前に京都の市電が廃止になったが、今、京都の人たちは「市電があったら観光客にわかりやすかったろうに。」と廃止したことを後悔している。当時は「こんなものが走っているから渋滞を招く」なんて言っていましたが、当時、廃止を決定した人たちは今の世の人たちから見たら笑いものなんじゃないですか。

とまあ、こんなことを申し上げました。

(これだけ言えば十分か)

ということで、すでに上越に戻ってきておりますが、本日お世話になりました皆様方、ありがとうございました。

これからも一緒に頑張りましょう。

とはいえ、私としてはまだまだ言いたいことがありますので、この続きはDMMのオンラインサロンで書きたいと思います。

有料記事ですよ。

無料はここまでですので、悪しからず。

鳥塚亮のローカル鉄道オンラインサロン