今日は喝を入れました

昨日は横手市で北上線の活性化協議会が開催されました。

そして今日は同じ秋田県の鹿角市で花輪線の活性化協議会が開催されました。

なぜこのような会議が開催されるかというと、JRの経営指数の公開により、今後のローカル鉄道をどうしていくかという議論が始まったのは皆様ご記憶にあると思いますが、国はこの秋から「地域公共交通活性化法」というのを改正し、「自治体・公共交通事業者・地域の多様な主体等の地域の関係者の連携と協議を追加した」ことによります。

つまり、鉄道を廃止するかしないかという議論ではなく、地域として今後交通全体をどうしていくべきかというのをきちんとみんなで話し合いましょう。ということなのですが、秋田県ではその法律に基づいて、現在営業成績がよろしくない北上線と花輪線に危機感を覚え、岩手県と共に沿線自治体を巻き込んで鉄道の活性化をするために、私にいろいろとアドバイスをしてほしいというお仕事の依頼が来ましたので、時間を作って協力させていただいているのであります。

何しろ秋田県の事ではありますが、新潟県の事でもあり、全国の事でもありますからね。

JRはやりにくいと思いますよ。
あちらこちらに私が顔を出して、地域自治体にいろいろと入れ知恵をしていると思うでしょうから。

でも、狭義の話ではなく、お国のためなのであります。

さて、本日の会議は花輪線沿線の自治体の方々がお集まりいただきまして、それに国交省、JR盛岡支社、IGRいわて銀河鉄道、地元のバス会社などが加わった大きな会議でした。

席上で、各自治体から、こうしたらよい、ああしたらよいという具体策が示されました。

例えばこんな感じ
・撮影スポットを整備して撮影教室を行う。
・花輪線の認知度向上のため、SNSで情報発信を行う。
・写真コンテスト
・お祭りのイベントをフックとする。(盛岡さんさ祭り、花輪ばやし)
・イベント列車を走らせる。
・サイクルトレイン
・温泉とキップをセットにする
・大正浪漫、コスプレツアー
・スイッチバック体験
・居酒屋列車
・温泉と鉄道を連携したツアー作り
・情報発信の基地づくり
・秋田犬をクローズアップ
とまあ、このようにいろいろ出てきました。

今回の私の役割はアドバイザーとして講評をすること。

すべての発表を聞き終えて、「どれも素晴らしいアイデアですね。一生懸命頑張ってくださいね」ではお仕事になりませんから、かなり辛口で「喝」を入れさせていただきました。

まず、自分たちでできることと相手あっての事を区別することが必要ですね。
臨時列車を走らせるとか、観光列車、イベント列車を走らせるなんてことは、JRという相手あってのことですから、そう簡単ではありません。
行政がお金を積んで増便を依頼しているところは別として、全国どこでも相手あることで物事がスムーズに進んだ試しがありません。

私は北海道から鹿児島県まで、JRのローカル線を抱える県や自治体の方々からいろいろとご相談を受けまして、その度にいろいろとお話をさせていただいているのですが、全国共通で見受けられることがあって、それが協議会という組織が前に進まない原因になっていると感じています。

今日の会議も県の幹部の方や沿線自治体の課長級以上の方々がいらしてますので、ダメ出しをしても前に進みません。前に進めるためには皆様方が全国共通に抱えている問題点をどうやって払しょくするかということだと私は考えます。

一番大きな問題は、県や自治体の職員というのは2~3年ごとに担当がころころと代わるということです。

交通政策というのはプロの知識が必要です。
ところが2~3年ではプロは育ちません。
「交通担当は初めてなんです。一生懸命勉強しますのでよろしくお願いします。」そう言って毎年のようにいろいろな方からご挨拶をされますが、そういう人が「イベント列車をやりましょう」とか「観光列車を走らせたい」などというお話を鉄道会社にしたところで、ダイヤや車両運用、路線の特徴、車両基地の位置関係、乗務員割など細かな知識がなく、全くの素人ですから、鉄道会社から見たらお話にならないのです。

3セクの場合はそれでも向こうは株主様ですから、ある程度お相手させていただくことになりますが、JR相手だと太刀打ちできませんね。
「何言ってるんですか?」と笑われるだけです。

まぁ、会議に出てきているご担当の方は笑いはしませんが、私から見ても「何言ってるんだろうね?」というお話しですから、会社に持って帰ることすらしないと思います。

つまり行政の仕事というのは誰がやっても同じ仕事にならなければなりませんから、そういう金太郎飴的な仕事には利点もあれば弱点もあるわけで、交通もそうですが観光なども2~3年でわかったような顔ができる仕事ではありませんし、もしかしたらそういう仕事の仕組みが全国的に交通や観光がうまく行っているところが少ない原因なのかもしれません。

次に、今日の会議は花輪線沿線の自治体の方が出てきているわけですが、花輪線って100㎞あるんです。
その100㎞の沿線の会議で、地元の方が一人も出てきていない。
素人同然の行政マンが寄って集まって会議をしているけど、沿線に住んでいて毎日駅の掃除をしたり、子供たちの通学のお世話をしたり、そういう人がいるはずなんですけど、地元にどういう人たちがいてどういう活動をしているのかを把握できていない。
つまり、地域住民の代表として行政マンが出てきているけど、代表になっていない。だから、各種出された活性化策も、「では誰がやるんですか?」となると具体的に誰が何をするのかが無いんです。

例えばSNSで情報発信という話ですが、「誰がやるんですか、市役所の職員ですか?」と聞くと黙ってしまう。
「地域にブロガーとかインフルエンサーいますか?」と聞いても黙ってしまう。
もしかしたら移住者でインフルエンサーがいるかもしれません。安比とか八幡平であれば多分いると思いますよ。外人もいるかもしれません。
でも、全く把握できていないんです。

「撮影ポイントの整備、いいですね。あなた、鉄道写真撮ってます?」と聞いても黙ってしまうし、
「サイクルトレインいいですね。あなた趣味で自転車乗ってます?」と聞いても黙ってしまいます。

それじゃあお客様が何を求めてやってくるかという顧客心理や、旅行を商品として考えた場合の「購買動機」などわかるはずもありません。

そういう所が行政の弱点なんです。
どこに需要が隠れていて、どうしたらお客様に知っていただいて、実際にいらしていただいて、ご満足いただいて、またいらしていただくなんてことは「交通初めて」「観光素人」の人たちにはできないのです。

田舎の町にもローカル鉄道にももともと需要なんてないのです。
そのない需要をどうやって作り出すか。どうして集客をしてお金を集めるかなんてことは行政マンにはできないんです。

まずそこを自覚しなければなりません。

次に、では探してみたらラッキーにも地元にそういう人たちがいた。
となった場合、そういう人を仲間にまき込めるかどうか。

例えば私の友人の星賢孝さん。
只見線沿線で素晴らしい写真を撮って世界に情報発信して、彼の写真を見て世界中から只見線に観光客が来るようになったスーパーインフルエンサーです。
そういう人が自分たちの町にもし居たとしたらどうでしょうか。
上手に使えますか?
その人の持っている能力を引き出せますか?

星賢孝さん、知っている人はおわかりだと思いますが、偏屈ですよ。
一筋縄じゃ行かない。
なぜか。
素晴らしい感性を持っていて、人を引き付けるような写真を撮る人は、そういうものじゃありませんか。
いわゆる芸術家であり職人ですから、偏屈だし、使いづらいし、一筋縄じゃ行かない。

行政の皆さん、そういう人を上手に仲間に入れて、地域にプラスになるように道筋を付けなければなりませんし、それがお仕事です。
でも、難しいですよ。
第一、煙たいでしょう。
星さんよりもっとうるさいおばさんたちも何人もいますよ。
でも、只見線沿線ではそれができたのです。

私も経験上イヤというほどそういう扱いを受けてきていますから。
自分たちにできないことをやる人間
自分たちが解決できないことを解決する人間
煙たいんですよ。
第3セクター鉄道なんて地元の偉い人たちみんなが持てあましていた。
どうして良いかわからないまま、こんな状況にしてしまった。
そこへよそ者がふらりとやってきて。見る見るうちに業績回復。
ついでに地域まで盛り上げてしまった。

そうなると顔が潰されたと思うんですよ。
市長さんや議員さんなどは「あいつは俺たちのポジションを狙っているかもしれない。」などと警戒する。
情報発信は役場がやってるんだ!と言われたので、「では、役場のホームページのアクセス数はいくらですか?」と聞くと1日に350。
その同じ時に私のブログは1日2万ですからね。

自分たちにできないことをやられてしまうと皆さん顔が潰されたと思うし警戒する。

これがおそらく日本全国共通の行政が絡む地域の問題点です。

まぁ、新潟県の場合、社長の条件として「情報発信に長けていること」というのがありましたから、こうして発信していることで「あの野郎!」と言われたことはありませんが、地域によってはインフルエンサーを上手に使えないものなのです。

というようなお話を本日はさせていただきました。

では、私がなぜこんなことを敢えて申し上げたかというと、この花輪線の鹿角花輪駅(旧:陸中花輪駅)は今年で開業100年なんです。
大館の方から伸びて来て、花輪まで開通したのが1923年。
そして8年後に盛岡方面から伸びてきた線路とつながったという歴史があります。

百周年です。

めでたいです。

でも、この会議に出席していた沿線自治体の方々は誰も知らなかったんです。
百周年を。

花輪線の花輪駅が開業百周年ということを自治体の担当者は誰も知らない。
そういう人たちが、活性化協議会を作って、情報発信をしようなんてことを言うってこと自体が頓馬なんですよ。
だから出て来るアイデアのピントがずれている。
でも、そのピントがずれているということがわからない。

そういうことをお伝えする憎まれ役になること。
それが私のお仕事なのですから。

ただ、この沿線の人たちは県をまたいで横の連携が取れているということと、動きが早いという特徴が他の地域に比べてあるようですから、私は申し上げたのです。

花輪駅開業は1923年の11月です。
まだ3か月以上あります。
今からでも遅くはありませんね。
と。

こういうことは鉄道会社ではなく、地元から提案してお祝いをするのが筋だと私は思います。

なぜなら「祝賀」ですから、周囲からめでたいと祝ってもらうからです。
そうすることで、鉄道会社に対して「自分たちは無関心じゃありませんよ。」というメッセージを届けることになる。
JRのローカル線沿線の課題はそこからなのです。

ということで、花輪線が百年後とは言いませんが、120,150周年を迎えられますように、地元の皆様、一緒に頑張りましょう!

100年前の先人たちが満足な重機もない時代に、険しい地形に鉄道を完成させたんです。
そしてそれを運営してきた。
その鉄道を、使い方がわからないからという理由で、自分たちの時代にお仕舞いにしてしまうのですか?

だとしたら後の世に笑いものになりますよ。
平成から令和の時代の連中はバカだったなあって。

歴史に笑われてしまうのですから、何とか解決策を見つけなければならないと私は思います。
花輪線だけではありませんけど。

ということで、今から約30年前に撮影した花輪線の前面展望です。
列車はキハ58とキハ52の2両編成。
当時はまだまだ通勤通学客がいたことがわかりますね。
ダイジェスト版ですが、これも一つの記録なのであります。