時代の半歩先を行く

会社の中で若いスタッフと話をしていて驚いたこと。
30代前半で、鉄道に興味があるのに「国電」という言葉を知らない。
そうか、国鉄からJRになって早や四半世紀。
無理もないか。
国鉄時代、首都圏の近郊、例えば総武線なら千葉まで、中央線は高尾まで、常磐線は取手までといった近距離区間を「電車区間」、それよりも遠い木更津、成田、大月、土浦方面を「列車区間」または「汽車区間」と呼んで、乗車券の発売窓口も違っていました。
その電車区間を走る101系、103系、73系などの通勤電車を「国電」と呼んでいて、例えば、東北本線の特急列車が上野に到着する直前に、車内アナウンスでは「国電各線お乗換えです。」などと放送していました。
国電とはその名の通り国鉄電車。だからJRになって、国鉄じゃなくなったから、呼び名を変えようという話になりました。
国電と呼ばれていたころはラッシュアワーの混雑がひどく、「痛勤酷電」などと悪口を言われていましたからなおさらです。
そこで、一般に公募して、集まった候補を著名人や有識者が集まって会議を開いて決定した新しい呼び名が「E電」。
それまで「国電各線はお乗換えとなります。」と言っていた放送がある日を境に「E電各線はお乗換えとなります。」となりました。
今思えば、このあたりがJRの唯我独尊の始まりだったのかもしれませんが、「明日から国電ではなくE電になります。」と発表されてびっくりしたのが利用者の人たち。
「イーデンって何?」「そんなふざけた名前をどうして付けた!」と、世の中喧々諤々になりました。
今でこそ、EメールやEコマースなどといった言葉が当たり前のように使われるようになりましたが、当時は「間違った日本語の使い方」として一般人には受け入れられなかったのです。
このことは、私にとってもショックでした。
E電という言葉は、確かに耳触りで違和感がありましたが、当時の著名人や有識者が集まって決めた言葉で、エコノミーのE、東日本のE、電気のEなどそれなりの意味があると思いましたし、もう少し大事に育てても良いのではないかと考えたのですが、一般の人には受け入れられなかったのです。
20数年後には日常的に違和感なく使われる「E」が付く言葉も、当時としてはしっくりとこなかったのでしょう。
世に出るのが早すぎたのです。
今なら「E電車(イーデンシャ)」なんて、普通に受け入れられると思うのですが、当時としては世間の人が付いてこれないぐらい、おそらく時代の2歩も3歩も先を行ってしまっていたのだと思います。
こんなことがあって、私はビジネスを考えるときに、たとえそれがどんなに素晴らしいアイデアだと思っても、時代の2歩も3歩も先を行くような斬新なものはなかなかものにならないと思い、時代の「半歩先」、せいぜい1歩先を行くアイデアを実践するように心がけているのです。
その程度の斬新さであれば、一般の人に理解してもらえる「わかりやすさ」があると考えています。
さてさて、E電は定着しませんでしたが、国電も今では使われなくなりましたし、30代以下の人たちではわからないようです。
その国電の前の言い方は「省電」とか「省線」。これは昭和一けたの人たちの言葉。日本国有鉄道になる前の鉄道省時代の呼び名ですね。
私が子供の頃は、大人たちの多くは「省線」とか「省電」と呼んでいたことを思い出します。
昭和は遠くなりにけりですか。

[:up:]国電の代表選手はやっぱり103系。隣は貨物を引くEF15。 川口にて
乗車券の表記で「東京電環」という言葉も使われなくなってずいぶん経ちますから、若い皆さんには知らない方も多いでしょう。
今でいう「山手線内」という意味ですが、当時は普通に東京電環と呼んでいました。
発駅から50キロか100キロを超える区間の乗車券は2日以上有効で、そういう切符は東京駅を目的地として運賃計算されているものの、山手線内だったらどの駅で降りてもよかったのは今も同じですが、勝浦や鴨川あたりの人たちは、東京までの切符を買うときに、「東京電環まで1枚ください。」って言っていました。
言葉の変遷って面白いですよね。
古い言葉を守るのはもちろんですが、新しい言葉を生みだして使っていくのは、もっと楽しいことのように思うのは、おじさん的ではないかもしれませんが・・・

「とうきょうでんかんまで1枚ください!」 
今度言ってみてはいかがですか?