今日でまる1年です。

えちごトキめき鉄道の社長に就任してから今日でまる1年です。

早いものですね。

おかげさまで社内や地域の皆様方にも可愛がられておりまして感謝いたしております。
ありがとうございます。

公募の社長というのは即戦力の助っ人であるわけですから、常に何らかの形で結果を出していかないといけません。
結果というのは、一番良いのは経営の数値が改善していくことですが、地域社会におけるインフラ事業ではなかなかウルトラCのようなことはありません。
ましてコロナですからねえ。

そう思って、この1年間を振り返ってみたのですが、まず、昨年10月の鉄道の日関係のイベントは軒並み中止になりました。
各地で被害をもたらした台風のためです。
直江津のイベントも当然中止。
夏前から準備を重ねてきたにもかかわらず。

その後、線路が崩れまして、列車の運行に支障が出ました。
例の、長野の新幹線の車両基地が水没した台風の時です。

そしたらそろそろ年末というころには「減損会計」の話が出初めまして、「何だそれ? 聞いてないぞ。」
とは言え、受け入れなければならないことも事実ではありまして、粛々と進めていくうちにコロナで世の中がざわつき初め、2月に入ると団体旅行はみなキャンセル。2月中旬には学校の休校が始まり、3月には開業5周年記念イベントは全地域で中止に。

新学期始まってすぐに、緊急事態宣言。
自粛要請でゴールデンウィークはなし。
観光需要は蒸発してしまいました。

そして夏休みもお盆休みもダメ。
来週の4連休もダメダメ。

考えてみれば激動の1年間でしたね。

ということをどう捉えるかということが、まぁ、つまりは人生なのでありまして、就任早々ツイてないなあと思う人もいるかもしれませんが、私はなかなか経験できない貴重な経験させていただいていると思っています。

鉄道会社2社目になるにあたって、1社目の時はがむしゃらでしたが、さすがに2社目だし、還暦を迎えるのでありますから、まあ、それほど人生残された時間があるわけでもなく。というのも、人生百年時代などと言ってみたところで、夕日が沈まないだけの話でありますから、何もバリバリ活動できる時間が延びるわけでもなく、私の場合はまあせいぜい70ぐらいまでだろうなあと漠然と考えるわけでありますから、2社目になるにあたってはいろいろ考えたのであります。

そんな時に思い出したのが、昔、イギリスの会社にお世話になっていた時に本社から赴任してきたボスの話。
ボスと言っても私が40になるかならないかの時に彼は30代半ばでしたから、同年代かちょっと年下と言った感じの人だったんですが、日本に赴任してきてすぐ、お酒かなんかを飲んでいた時だったと思いますが、いろいろ話をしました。

私、聞いたんですよ。
「ぶっちゃけ、何年日本にいるの?」って。

というのも、そうやって海外の拠点に転勤してくる人材は、基本的には幹部候補生ですから出世コースなわけで、当時の日本は会社にとって最重要拠点の一つでもありましたので、「お前さん、出世するんだろう? いったい、どういうキャリアプランがあるんだ?」と、興味があったからです。

そうしたら彼はこういいました。

「俺たちはだいたい3年なんだ。1つのところに3年。
まず1年目は地域をよく知ること。
どういうビジネス環境があって、どういう人材がいて、なにができるか。何をやることが必要なのか。
そして2年目に結果を出す。
で、3年目は次に行くところを探すのさ。」

外資系という所は厳しいところで、本社から派遣されている人間が必ず本社に帰れるとは限りませんし、帰るときに必ずポジションアップしているとも限りません。次に行くところがなければ、行き場所がないのです。
まして、こんなコロナのようなことがあれば、ポジションそのものが各所で消滅していきますから、戻るところなどない。
日本の会社なら1回転勤して本社に戻ると課長になって、もう1回転勤して本社に戻ると部長になって、などということが当たり前かもしれませんが、少なくとも私のいた会社にはなかった。
だから、彼が言う「2年目に結果を出して、3年目は次に行くところを探す。」ということが、とてもよく理解できたものです。

というようなことを1年前、トキ鉄の社長に就任した時に思い出したのでありますが、つまり、この1年間で地ならしと言いますか、だいたい地域のことがわかってきたのではないかと思います。
そして、2年目は結果を出す年になるのです。

どうやって結果を出すのか?
コロナの時期ですから今までの延長線上にはありません。
だから、結果を出すと言っても容易なことではありませんが、少なくても考えられるのは減損会計処理で会計上ではありますが62億円という赤字決算を行ないましたが、まあ、これ以上ひどくなることはないでしょう。
コロナで今までの延長線上にないと言っても、つまりはゼロベースということでしょう。

だとしたら、それほど焦らなくても結果を出していくことはできると考えています。
でもそのためにはやらなければならないことがあります。
それは動くこと。
行動することです。

行動せずして結果なし。

ということで、今日から2年目ですが、行動の2年目。
具体的な結果を出していきたいと思います。

皆様、ご協力のほど、どうぞよろしくお願い申し上げます。


▲ちょうど一年前、就任した時の臨時株主総会。

とはいえ、2年目で結果を出すと言っても3年で辞めるわけではありませんよ。
それは30代のころの外資系航空会社の幹部候補生のお話ですから。
きちんとお断りしておかないと、「あいつ3年で辞めるらしいよ。」と言いふらす人たちがいそうですから。
言いふらすつもりではなくても、自粛警察のような人種が秘かに全国津々浦々に存在している国ですから危なくてしょうがない。

ということで申しあげておきます。
私は3年5年で自分から辞めるつもりはありません。
結果を出して、皆様方にお認めいただければ、この仕事を最後の仕事にしたいなあと考えております。
あくまでもお認めいただければの話ですが。

結果を出す。
取締役の任期2年ということは、つまりはそういうことなのであります。

決して余生を送るためのものではないのであります。

ちなみにその幹部候補生だった彼がその後どうしたかというと、中国へ行きました。
20年近く前の中国は黎明期。
これからビジネスが急激に拡大する予感があった時期です。
それまで香港線だけだったのが北京へ飛び始めて、上海へ飛び始めて、航空路線も見る見る拡大していきました。

「いいところ目を付けたね。」
「ここには大きなビジネスチャンスがあるからね。」

何年か後に上海であった時にそんなことを言っていた彼はそれからほどなくして会社を辞めてしまいました。
なんでも不動産関係の仕事をするとか。

今どうしてるんだろうなあ。
彼のことだから、きっと大きく成長しているに違いありません。
一つだけ言えることは、航空会社に残ってなくてよかったねえ、ということか。

もう彼も50台半ばですから残っていたら目も当てられない。

チャレンジする人生とは、こういうことなのだと思いますが、その点では私も同じかな。
ローカル線はお金にはならないけど、航空会社辞めてよかったなあと思うのは、彼と同じであります。

そろそろ何かお金になることもやらないとね。