旅行の動機

人間はなぜ旅行したがるのでしょうか?

 

年齢によって旅に出る動機は様々だと思いますが、ここはひとつ、いわゆる旅行需要というものを考えてみたいと思います。

 

日本人の場合、旅行の始まりは江戸時代のお伊勢参りや善光寺参り、熊野詣などの巡礼の旅が始まりだとされていますが、それは五街道などの街道の整備と、世の中が安定して人々が経済的に豊かになったことに起因します。

戦後、日本の世の中がよくなってくると、やはり旅行ブームが起きました。

昭和30年代に、「国民の健全なレクリエーションと健康増進のために、誰でも低廉で快適に利用できる」ことを目的に国民宿舎が全国各地に数多く建設されました。

 

昭和40年代後半の話ですが、国民宿舎は12食で3000円程度。観光地で温泉旅館に泊まるとだいたい50008000円ぐらい。駅前にある商人宿で30004000円ぐらいだったと記憶しています。でも、旅館というのは部屋や料理で値段が大きく違いますし、ともすれば仲居さんに心づけをわたさなければなりませんから、それが不明瞭感を伴っていて、予算が限られている貧乏旅行では明朗会計という点では不安なわけです。

同じころ、ユースホステルが12食で1500円程度と安かったんですが、家族旅行には不向きです。

つまりお父さんが家族連れで旅行に出かけようと思ったら、国民宿舎がちょうど手頃で安心感もあり、部屋も個室で鍵がかけられて、料理もそこそこのものが出されて明朗会計。親子34人の家族旅行にはぴったりだったんです。

 

私も鉄道旅行では国民宿舎は何度も利用しましたが、部屋はだいたい8畳から10畳一間に窓際に縁側がついていてイスとテーブルが置いてあるスタイル。エアコンなどはなくてトイレとお風呂は共同でした。

夕ご飯は食堂で食べるのですが、ご飯の時間に食堂へ行くと、テーブルごとに部屋番号がついて、だいたいどこのテーブルも同じ献立の料理が並んでいました。国民宿舎というのはお料理を売り物にしているところはほとんどなくて、たいていは大衆食堂の定食にお刺身などが1品追加された程度で、それが豪華に見えたんですね。

そこでお父さんがビールを飲んで、家族みんなで食事をしている姿が国民宿舎でした。

そして当時の日本人はそれで満足していたのです。

 

当時の日本人がどうしてトイレとお風呂が共同で、食堂でふつうの食事をするスタイルに満足していたか、それは当時の日本人の日々の生活が今とは比べ物にならないほど貧しかったからだと思います。私は都会の生活しか知りませんが、貧乏長屋や狭い戸建て住宅のようなところにみんなで住んでいて、お風呂は銭湯へ行く。もちろんエアコンなどはないから窓は開けっ放しで、路地を歩けばお膳に並んだ夕ご飯のおかずがわかりますし、お母さんが子供をしかりつける声も隣近所にみんな聞こえてくる。そういうところに住んでいる人たちが、いざ旅行に行きましょうと言ったって、当時は外国旅行など選択肢にありませんし、外国どころか北海道や沖縄など、飛行機に乗っていくところも選択肢にない。1泊か2泊で家族旅行へ行こうとすれば、東京からならさしずめ伊豆か房総か箱根か日光か水上あたりと相場が決まっているわけで、そういうところへ行って、国民宿舎に泊まれば、いつもと違う体験ができますから、それで満足だったというわけです。

 

要するに観光旅行というのは脱日常、非日常体験が目的ですから、長屋に住んで銭湯に通ってて、コロッケや芋の煮っ転がしが夕ご飯のおかずだった人たちにしてみたら、鉄筋の建物で、個室に泊まって、食堂で食べるようなご飯を食べることで大満足だったんです。長屋に住んでたというと貧乏人に聞こえますが、背伸びして一戸建てを買った人などはもっと喜んでいて、何に喜んでいたのかというと、共同の大浴場で足を延ばしてお風呂に入れることに喜んでいたのです。つまり、建売の一戸建ての狭いお風呂に足を曲げて入っている日常と違う体験ができたからなんですね。

 

では、国民宿舎はその後どうなっていったか。

かつて全国いたるところにあった国民宿舎も、今ではその数を大きく減らしました。

その理由は建物の老朽化がほとんどでしたが、国民宿舎というのは、たいていは役場かその関連団体が運営していましたから、サービスは今一つだし、第一工夫がない。世の中の流れについていくことができなかったというのが、その大きな理由です。逆に考えると、今でも営業している国民宿舎というのは、時代の流れや変革に的確に対応してきたところということになりますから、立派な経営者がいるということになりますね。

 

では、その時代の流れというのは一体何かと言いますと、私は簡潔に申し上げるならば、日本人の生活の向上だと思います。昭和30年代初頭に「国民の健全なレクリエーションと健康増進のために」建設された国民宿舎ですが、何を持って健康増進であり、何を持って快適かといえば、その基準となったのは当時の国民生活でありますから、時代が変わって国民生活が豊かになれば、昔の基準で建てられた建物や設備は当然陳腐化します。

今の生活でいえば、シャワートイレ、足を伸ばして入れるお風呂、エアコンが効いたリビングルームなどは当たり前です。

子供たちはたいてい自分の部屋を持っています。

そういう日常生活を送っている人たちが、共同の風呂やトイレ、狭い畳の部屋に満足するでしょうか。

ふだんから外食が当たり前。デパ地下やスーパーのお惣菜でプロが作ったものを食べている人たちが、田舎の定食屋のような献立を出されて満足するでしょうか。

そう考えれば、国民宿舎が廃れていった理由は簡単に理解できるのではないでしょうか。

つまり、旅行の動機は脱日常、非日常体験ではありますが、ふだんの生活よりも質を落とすことではありませんから、どう見ても陳腐な設備のところへは誰も行かなくなってしまったということなのです。

 

房総半島で、「昔は海水浴客があふれててすごかったんだぞ。」と言っているおじいさんたちは、こういう現状を踏まえたうえで、では今の時代に観光客に来ていただくためには、どうしたらよいのでしょうか、ということを考えていく必要があるのです。

 

(つづく)