起きない町の起きない人々

日本全国の田舎では今、町おこしが盛んに行われています。
町おこしとはその名の通り、廃れてしまった町を再生することで、何とか元気にさせようと、いろいろなところで、いろいろな人たちががんばっています。
私は個人的に全国各所へ出かけますし、最近ではいろいろなところの人たちから、「うちの町に来て講演をしてくれ。」などというお声もいただくようになりましたので、他の人よりは少しだけたくさん町おこしを見ていると思います。
その町おこしですが、大きく2つのタイプに分かれると思います。
1つはイベントをやって活性化しようとするタイプ。
もう1つは、特産品を作り出して活性化しようというタイプです。
まず、イベントをやって活性化しようというタイプですが、これは基本的には行政が主導するスタイルです。
役場が予算を取って、地元の人たちが実行委員会を作り、お祭りを開催するタイプです。
このタイプの町おこしで気を付けなければならないのは、自分たちだけで楽しむマスターベーション型のお祭りにならないこと。
町おこしというのは、あくまでも外部の人に町の存在を知ってもらうこと、そして外部から人に来てもらうことが前提であって、自分たちの町内会がうちわで楽しむ祭りは町おこしとは言わないのです。
ところが、意外とこのマスターベーションタイプの祭りが多い。
そして、このタイプの祭りは、最初はよいのですけど、数年やってくると、行政が予算化しているから、ただ毎年それを消化するためにやっているだけになってしまい、本来の町おこしからは程遠いものになってしまいます。
実行委員会の企画書がコピペでできているもんだから去年の部分がそのまんま残っていたりしたら、そういうイベントだと思ってください。
2つめの特産品を作る町おこしはどうでしょうか。
地方にはいろいろ素晴らしいものがありますから、その特産品を使って町おこしをすることは、外貨の獲得にもつながります。
でも、地元の人たちが陥りやすいのは、「俺たちの町にはコレがある。」という特産品と、都会のお客様が欲しがっているニーズが合致しないケースです。
自分たちにできることを追求することだけでは、商売は成り立ちませんから、お客様となる都会の人たちが何を求めているかを考えなければならないと思いますが、それができていない。
だからせっかく作っても、一向に売れず、在庫の山と化すのです。
町の中によそ者が定着していて、そこで育った人たちではわからないようなことを提案してくれるような組織が出来上がっていれば、都会人の嗜好に合わせた商品開発が可能ですが、よそ者を排除したり、自分たちだけで企画しているようでは、こちらも自己満足型の商品開発になるだけで、できた商品は売れずに在庫の山を抱えることになるのです。
その結果として、どちらのタイプの町おこしも、町おこしとして一番やっていけない名前ばかりの町おこしになってしまうのです。
例えば、「お祭りを企画して実行しました。」といって、その効果を検証しないことであったり、「特産品を作りました。」と作っただけで事業が完結したような状態になっていること。
ひどいところになると観光ポスターを作るまでが仕事で、出来上がったら「さあ、仕事は終わった。」と作ったポスターが束のまま倉庫に入っていたりするわけです。
特産品も「自分たちにはこれがある。」というだけで「売る」という前提で作られていませんから、本当に在庫の山になってしまい、腐ってしまってはもったいないから、お祭りやイベントなどで消費する羽目になるのです。
こうなると、「やりました。」というだけの、形だけのことになってしまい、町が起きたかどうかの検証が何もなされるまま、ただやっているだけのイベント事業や町おこしという名の無駄遣いになってしまいます。
そして、さらにいけないのが、「それではだめだから、よそ者の意見を聞いて、新しい町おこしのイベントをやりましょう。」という話になった時に、
「ダメだよ、うちらにはその時期は今まで何年もやってきた町おこしの祭りがあるんだから。」と効果が出ていない町おこし祭りを理由にして、新しいことを何もやらない、というか、新しいことが入り込めないようになってしまっているわけです。
そうなると本末転倒で、町おこしでもなんでもなく、ただ、「余計なことはやりたくない。」ということになるのです。
これは日本全国で見られる状況ですが、皆さんの町で、こういう目も当てられないところはありませんか?