長野県のブランド力

昨日今日と長野県にお邪魔しましたが、長野県というところは、実にブランド化が上手なところだと、私は常々思っています。

 

常々というのは、昨今ということではなくて、私が子供のころからそう思っていたのでありますが、東京生まれで東京育ちの私にとって見たら、埼玉、茨城、千葉といったところは昔から田舎臭いイメージがあって、これはあくまで私の主観でありますから、違うと思われる方は単にスルーしていただきたいと思いますが、私の地元を走っている東武東上線は「芋電車」と呼ばれていましたし、千葉方面へ行く京成電車や総武線、茨城方面へ行く常磐線などは、子供の目から見ると、明らかに乗っている人種が違うと思えるような電車でした。

埼玉、茨城が田舎だとすると、その先にある栃木や群馬はもっと田舎臭いところだったわけで、今でこそ「田舎ですねえ。」と都会人が言うのは一種の褒め言葉になっていますが、当時は「田舎」というと、なんだかバカにしたイメージだったのです。

 

当時というのは私が子供の頃の話ですが、「お前どこに住んでるんだ?」と大人たちから聞かれて、「板橋です。」と答えると、「ああ、板橋か。あそこは田舎だからなあ。昔は板橋村と言ったんだぞ。」とよくからかわれました。

これは昭和40年代の話ですから、当時の大人たちが「昔はなあ。」というのはだいたい戦前の話で、確かにその頃は板橋も豊島も村でしたし、渋谷には狐が出たなどと言う時代でしたから、まあ、東京の中でも田舎臭いところだったわけですが、30~40年前のことを「昔はなあ~。」と大人たちが言うのはいつの時代も同じだとすると、今、私たちが「昔は蒸気機関車が走っていて、両国からその汽車に乗って千葉へ行ったんだ。」というのも、だいたい同じタイムスケール感だということに驚くわけですが、その、昭和40年代当時から、私のイメージの中では、長野県というところは不思議と田舎臭さを感じないところだったんです。

 

もちろん、当時は千葉県や埼玉県にも蒸気機関車が走っていましたが、長野県にだって走っていて、つまりは同じように田舎としての素材は揃っていて、長野県には雪が積もる地域もありますから、本当だったらもっともっと田舎感満載のはずなのですが、私にとっての長野県は、それほど田舎という感じがしないのです。

 

その理由は、長野県のブランド力だと私は最近考えるようになりました。

東京の人が長野県と聞くと何をイメージするかというと、私たちの世代はまず八ヶ岳を望む野辺山高原です。

さわやかな高原は澄んだ空気と共に都会人の憧れの的でしたから、その高原で採れる高原野菜というのも、名前を聞いただけで、「おいしそうだなあ。」と感じましたし、当時出回り始めて間がなかったレタスだって、長野県の高原で採れたレタスと聞けば、それだけでありがたいものでしたし、おしゃれな感じがしたものです。

軽井沢もそうですね。避暑地として垢抜けた街並みは都会人の憧れの対象でしたし、木曽路や小諸といった場所は、国語の教科書にも出てくる藤村文学の代表的な場所で、文学をかじった若者たちの憧れでした。そういう目で見始めると、長野県で採れる果物も何となくイメージが良くなるもので、それは昭和40年代という「ブランド化」などという言葉がまだ一般に知れ渡る以前の段階で、既にそういう「ブランド化」を実に巧みに行っていたのが長野県だと私は思うのです。

 

同じように上手にブランド化を行って都会人の憧れの的になったのは北海道ですが、長野県に対するイメージも、北海道に抱くイメージに近いものがあるのかもしれません。

 

何度も申し上げますが、これはあくまでもイメージの問題ですから、違うと思う人は黙ってスルーしていただければよいと思いますが、そういうイメージで長野県を見ると、なんだかすべてが美しく見えてくるから不思議なんですね。

 

小海線の急な坂道を登ってくる蒸気機関車だって、当時は「高原のポニー」なんて呼ばれていたのですからね。

 

 

長野電鉄のポスターです。

 

ワインバレー列車。

 

なんだかおしゃれだと思いませんか?

 

これが長野県のブランド力だと私は思うのです。

 

 

45年前は高原のポニーでしたが、今はワインバレー列車。

 

これが長野ブランドだと私は思います。