お客様と一緒に年をとる仕事

子どもの頃、私が住んでいた板橋の商店街に古いパーマ屋さんがありました。
パーマ屋(ヘアサロン、美容院ではなく、昭和はパーマ屋)さんといえば、当時でもしゃれた店づくりと最新のカット技術で女性の心をつかむのが商売のやり方でしたが、その古いパーマ屋さんは、70代のおばあさんが1人やっていて、店のつくりは古くてどう見てもじゃれた店の印象はなく、お店の中も、外から見る限り、貼ってあるポスターや髪のモデルの写真も古く、野暮ったい感じがして、よくまあ、こんな店でやっているな、と思いました。
あるとき、母に、そのことを訪ねたことがあります。
「なんであんなに古い作りで、パーマ屋さんが商売になるのか」と。
母の答えはこうでした。
「お客さんというのは、若い人ばかりでないから、年配のお客さんが安心して入れる店というのも必要なのです。」
よく見ると、当時まだけっこういた和服を着たおばあさんなどで、いつもお店は繁盛していました。
直接お店の中に入って確かめたわけではないのですが、きっと、美容師のおばあさんと、お客のおばあさんが、昔の歌手の話や、戦争の話などをしながら、髪を切っているお店の中では、戦前や戦後の歌が有線から流れていたのかもしれません。
結局、その美容院は経営者のおばあさんが80いくつで仕事ができなくなるまで、そこそこ流行っていましたから、それなりの需要にこたえていたのだと思います。
今、いすみ鉄道でキハ52を走らせていて、ふと、このパーマ屋さんの商売を思い出すことがあります。
そうです、いすみ鉄道でキハ52を走らせるのも、お客さまと一緒に年をとっていく商売だなあ、と思うのです。
キハ52は昭和40年製。
国鉄時代からずっと越美北線や大糸線などのローカル線で働いてきて、いま、いすみ鉄道で第2の人生を送っている車両ですが、そのキハ52に会いに来てくれるお客さまは、自分の人生のどこかでキハ52と接していて、気に入って、魅せられて、追いかけて、を繰り返しながら大人になってきた人たちですから、皆さんそれぞれの人生にキハ52という物差しを重ねて見ているのでしょう。
もちろん私の場合も同じ。
キハ52をはじめとする20系気動車は、蒸気機関車の写真を撮りに行く時の移動手段として、当たり前に乗っていた車両。
だから、撮影対象でも趣味の対象でもなかったけれど、蒸気機関車も旧型客車の列車も10系気動車も、み~んな無くなってしまって、ふと気が付くと、キハ52が残っている。
「お前さん、よくぞ元気でいてくれたなあ。」という感じです。
だから、いすみ鉄道に来てくれるお客さまとは全く別のところで、別々の人生を歩んできたけれど、キハ52という物差しをあてて見てみると、それぞれの人生で共通点がいっぱいあって、知らない人でも、初めて会った人でも、昔からの友達のようになれるのだと思います。
不思議ですよね。
だけど、これがお客さまと一緒に年をとっていく商売ということ。
今までも、これからも、ずっとずっとキハ52や国鉄形車両と人生を共にしてきたお客さま方と、友達のような会話をしながら歩んでいけたら幸せだなあ、と思うのです。
そして、昭和の鉄道車両は40代~50代のお父さんたちだけのものではなく、10代~20代の昭和を知らない若者たちにとっても、新鮮に見えると思います。
お父さんたちの年代の人々は、今の若者が逆立ちしても経験することができない時代を経験してきていることが、キハ52を通じて若い人たちにもわかるから、今更のように自分の親父を尊敬のまなざしで見ることになるかもしれません。
もちろん、60代以上のおじいさんたちにしても、堂々と「懐かしい」と言えるのですから、うれしいはずです。
こうして、鉄道車両を通じて、幅広い年代の皆さまが、仲良く一緒に年をとっていくのも、ローカル線ビジネスだと私は考えています。
だから、できるだけ長く、キハ52を走らせなければならないのです。
私自身、鉄道ファンで良かったと思える瞬間ですね。

[:up:]1979年夏 大糸線のデコボコ列車 簗場付近
前からキハ26、キハ17、キハユニ26。
すごいね、今、こんな列車が走っていたら涙ものです。でも、当時はかろうじて写した1枚。ほとんど感激もなかったのです。

簗場駅の木造駅舎。こんな駅も田舎ではふつうだったのです。