ビジネスの大先輩

♪ ホホイのホイでもう一杯。
ワタナベのジュースの素です、もう一杯。 ♪
♪ 町にメロンがやってくる、シトロンソーダがやってくる。
シトロンシトロン、メロンの香り
春日井シトロンソーダ。 ♪
このフレーズを聞いて、すぐにメロディーが浮かんでくる方はいらっしゃいますか?
若い方、といっても50歳以下の方は、ほとんどご記憶にないでしょうね。
なぜなら、40年、いや50年近く前のCMソングだからです。
アンチタラコ世代かタラコ世代かを見分ける1つのエポックになるのがこのCMソング。
このCMはどちらも「粉ジュース」のCMで、アンチタラコ世代(今50歳以上)の当時のガキどもは、袋に入った粉ジュースを水で溶いて飲んでいて、それがジュースだと思っていたんです。
(いすみ鉄道でキハ52を首都圏色=タラコ色に塗ったのを称賛するか、許せないかがちょうど今50歳を境目に分かれることから、タラコ世代、アンチタラコ世代と名付けたことに由来します。)
その50歳以上のアンチタラコ世代がガキだったころは、日本はまだまだ貧しくて、今のような本物の果汁が入ったジュースなどは飲んだことがなくて、チクロと呼ばれる合成甘味料と着色料がたっぷりの粉ジュースを「最高の味」と思っていたんです。
つまり、こういうことです。
学校に行く前に、プラスチックの小さなポットに水道の水を入れ、冷蔵庫に冷やしておきます。
このプラスチックの小さなポットというのは、麦茶を冷やすためにだいたいどこの家でもありましたが、ミネラルウォーターなんてありませんから、それに水道の水だけ入れて冷やしておく。
学校から帰ってくると、コップに粉ジュースを入れて、その冷やしておいた水道の水で薄めて溶いて一気に飲み干す。
自販機もペットボトルも缶コーヒーもなかった時代。
これが最高のドリンクだったんです。
水がなくなると、粉ジュースの袋に舐めた指を突っ込んで、ジュースの粉が付いた指だけを舐めるんです。
そうすると、舌は緑とか赤に染まるというわけです。
今50歳以上のアンチタラコ世代はそれがジュースだと信じていたわけで、時々、金持ちの友達の家へ遊びに行くと、バヤリースオレンジか、タケダのプラッシーか何かを飲ませてもらって、「スゲーな!」と思ったものでした。(それだって果汁なんかほとんど入ってなかったでしょうけど。)
そういう貧乏人のガキの姿を見て、「こいつらに本物の100%オレンジジュースをガブガブ飲ませてあげたいな。」と思った人がいました。
関西のことは知りませんが、関東では肉といえばふつうは豚肉で、牛肉なんてそこら辺の肉屋では売ってませんでしたから、ひき肉以外の牛肉なんて食べたことがない。
アメリカのテレビを見ていると、ビーフステーキを食べているシーンをやっているけれど、ステーキってどんな味がするのか、大人たちは「ビフテキ、ビフテキ」って言ってるけど、味も食べ方も全く想像できませんでした。
そんな貧乏人のガキどもに、「牛肉を腹いっぱい食べさせてあげたいな。」と思った人がいました。
その人が会社で頑張って、高級品だった100%のオレンジジュースをスーパーマーケットでふつうに買えるようにしてくれて、牛肉もふつうに食卓に上るようにしてくれました。
オレンジも牛肉もアメリカではふつうの品物でしたが、日本では高級品だった。
なぜなら当時は、どちらも国の規制があって、輸入するときに高額の関税がかかりましたから、ふつうの物が日本に来るだけで高級品になっていた時代です。
今、NHKで「ごちそうさん」というドラマをやっていて、戦中戦後の貧しい生活が描写されていますが、私が子供のころも戦争が終わってせいぜい20年か25年ぐらいしかたっていませんでしたから、世の中は結構貧しくて、パン屋でパンの耳の切り落としを安く買ってきて、砂糖を溶いた牛乳に付けて食べたり、そのパンの耳を一口大に切って油で揚げて塩や砂糖をまぶしたものが子供のおやつでしたから、そういう時代に、アメリカの子供たちを見てきたその人は、日本の子どもたちにも100%のオレンジジュースをガブガブ飲ませたいと思ってくれて、牛肉をお腹いっぱい食べさせてあげたいと考えてくれたのです。
それがこの方。
元ダイエー社長の高木邦夫さんです。

高木さんは、実は私と同じ町にお住まいで、高木さんが3丁目、私が1丁目の距離で、毎月1~2回お会いして、お酒を飲みながら、いろいろビジネスのことを教えていただいたり、自分の信念で世の中を変えて行くことの大変さと、実現できた時のすばらしさを教えていただいています。
高木さんはいすみ鉄道で私がやっていることをよく見ていてくれて、いすみ鉄道にも乗りに来てくれていますし、いすみ鉄道を応援してくれている方なんです。
50歳より下のタラコ世代の方はお分かりにならないでしょうけど、プライベートブランドを作って、飲料メーカーのウーロン茶が2リットル300円していた時代に100円で飲めるようにしてくれたり、昔は土用の丑の日近くでしか食べられなかった高級品のうなぎの蒲焼を、長焼という形で輸入して、ダイエーの店頭で串に刺して蒲焼にすることで、1年中安価で食べられるようにしてくれたのも高木さんだし、家電製品が安く買えるような時代を作ってくれたのも、ワインがこれだけ日本に浸透し、日本人の食卓にふつうに並ぶようになったのも高木さんのおかげなんですね。
激動の昭和から平成にかけて、たいへんなこともたくさんありましたが、粉ジュースを最高の味だと思っていた貧乏なガキとしては、自分の後輩や子供たちの世代が何の疑いもなくオレンジジュースをガブガブ飲んで、牛肉をお腹いっぱい食べる姿を見て、高木さんのような信念を持って仕事をしてきてくれたたくさんの先輩の皆様方のおかげで、日本は良い時代になったなあと思うのです。
そして、その粉ジュースの時代にすでに走っていたキハ52とキハ28が今でも元気で走っているのですから、いすみ鉄道は素敵だと思いませんか。
それにしても酔っているとはいえ、この写真で見る私は昨年暮れにせっかく絞り込んだ体重が見事に復活してますね。
本日は私のビジネスの大先輩、お師匠さんのお話でした。
今度、粉ジュースのCMソングを歌える人だけ集めて、飲み会をやりましょうか。
歌えなくても、覚える気がある人は仲間に入れてあげて。
掛須団長とバス君と山ちゃんと三輪車の松葉さんと私が揃えば、昭和のCMソング選手権を開けますね。
国鉄形車両を話の中心にすれば、タラコもアンチタラコもみんな仲良しのいすみ鉄道です。