竹島紀元さん お別れの会

 本日は都内飯田橋で開かれました竹島紀元さんのお別れの会に参列させていただきました。
竹島紀元さんと言っても若い方はご存じないかもしれませんが、鉄道ジャーナル社を立ち上げられ、雑誌「鉄道ジャーナル」を創刊され、長年編集長を務められた方で、列車ルポルタージュをはじめ、数々の名作を世に出された方です。
特に、函館本線のC62重連急行「ニセコ」を取材した「雪の行路」という映画が有名で、私たちの世代のバイブルのような、そんな貴重な資料となっている名作です。
C62重連が大騒ぎになっていた当時、私は小学校5年生でしたが、関係された皆様方にお会いできて、竹島編集長の偉大な功績を改めて感じることができました。


▲ご挨拶されるJR東海の須田寛相談役です。
数年前にお会いしたのですが、今回もご挨拶させていただきましたところ、「君は確か、航空会社にいたんだよね。全く別の畑出身でしたよね。」と覚えていただいておりました。
ありがとうございます。

▲こちらは送る言葉を述べられる初代JR九州社長の石井幸孝さん。
須田さんも石井さんも私の父と同じ年の昭和7年生まれ。
早くに父と別れた私にとっては偉大なる父親のような存在で、日本の鉄道業界に大きな足跡を残されていらっしゃいます。

▲竹島編集長のお弟子さんの荒川好夫カメラマンです。
C62重連「雪の行路」の撮影秘話をお話ししてくださいました。

▲鉄道写真家の桜井寛先生です。
ニュージーランドでSLを運転される竹島編集長の思い出話です。
桜井先生は私も前職時代から存じ上げていて、よくいすみ鉄道にもいらしていただいております。

▲中井精也先生と桜井寛先生。
会場の入口ではい、ポーズ!
「こういう場所では笑ってはいけないかなあ。」「いや、別にかまわないでしょう。」
今の鉄道写真業界を支えるお二人の無邪気な姿を見て、竹島編集長も安心されることでしょう。




▲会場の入口には竹島編集長撮影の写真が飾られていました。
どれも有名な写真ばかりです。




▲会場で上映された「雪の行路」
すっかり見入ってしまいました。

▲控室にて。石井初代JR九州社長と由利高原鉄道の春田社長。
私も一緒に石井元社長から鉄道経営のノウハウをアドバイスしていただきました。
ありがとうございました。

▲こちらは南正時先生と記念撮影。
今度11月にいすみ鉄道にいらしていただくご予約をいただきました。
南先生は今回の送る会の発起人のお一人で、大変ご活躍されました。
先生、本当にありがとうございました。
さて、今年2015年は寝台特急「ブルートレイン」が消えた年です。
実は、「ブルートレイン」という呼び名は鉄道ジャーナル誌で竹島編集長が名付け親だとされています。
そのブルートレインとともに、竹島編集長も旅立たれてしまったんですね。
数年後、今を振り返ってみた時に、鉄道を取り巻く大きな時代が一つ終わったということに気付くのだと思います。
気付いた時には遅かった、とならないようにするのが、私たちの役目なんですね。
竹島紀元編集長のご冥福をお祈り申し上げます。


▲ 私のライブラリーから、鉄道ジャーナル1968年4月号
竹島紀元編集長自ら取材された房総半島のお花列車のルポ「南房総のお花列車」
鉄道ジャーナルを愛読して育った身としては、自分の足で歩くという基本を私も続けていきたいと考えています。