昔の日本人 今の中国人

私が子供の頃、昭和40年代の日本人は、今思えば絶滅危惧種のような人が多かったと思います。
昭和40年代といえば、戦前の、昭和一けた生まれの人たちが40歳になるかならないかの頃ですから、今の私の年齢である50代の人たちは大正生まれで、60過ぎの人たちは明治生まれだったということになります。
特に、明治生まれの人たちは背筋をピンと伸ばして歩いていて、どこか毅然としていましたし、その下の大正生まれの人たちは、ちょうどその年代の人たちが思春期を迎えた頃に戦争で一番ひどい目にあった人たちだから、どこかシニカルで、世の中を斜めに見ている人が多かったし、私の親の年代である昭和一けたの人たちは、戦前の教育を受けていましたから、教育勅語の影響が残っていて、私の父なども論語を諳んじていましたし、一生懸命働くことが美徳であると思っていても、最近の(その当時の)世の中がイージーな方向に向かっているということを、自分の親の年代から抑圧されてきた反動かもしれませんが、楽しめるものは楽しんだ方が良いのではないか、という考えに傾き始めていたのだろうなあと、今、そのころの自分の親の年齢になってみて解るような気がします。
当時の日本人は、このように、明治、大正、昭和というそれぞれ特徴のある時代の人たちが大半を占めていましたから、子どもながらに、大人を使い分けるというか、自分の都合で、おじさんだったり、年上のいとこだったり、あるいはおばあちゃんだったりと、親に言っても聞いてもらえないようなことは、そういう年代差を利用して、遠回しに説得してもらっていたような気がします。
ところで、この、明治、大正、昭和という時代を経て、それぞれ生き抜いてきた日本人ではありましたが、共通することが一つありました。
それは、どの世代も食べるものに苦労していたということ。
戦争という時代を経て、とにかく食べるものがなかったことをそれぞれの時代が経験しているので、今思い出しても、食べ物を残すと、どの世代からも怒られた記憶があります。
昭和40年代というのは日本が大きく変化した時代で、日本人がその変化についていくのがやっとだった時代。
昭和45年に開催された大阪万博を境に、急速に豊かになって行った時代です。
豊かになって行ったとはどういうことかというと、例えば、喫茶店に入ると、テーブルの上に砂糖が砂糖壺という容器に入っておいてあるようになりました。
当時珍しかったグラニュー糖という砂糖なんですが、砂糖壺がコーヒーと一緒に運ばれてきていたのが、テーブルの上に置かれるようになったのです。
それが何で豊かになったしるしなのかというと、その前の時代なら、砂糖壺が置いてあると、お客が勝手にお水のグラスに砂糖を入れて、砂糖水にして飲んでしまいましたから、あっという間に砂糖が無くなる。
だから、砂糖壺はウエイトレスが管理していたのですが、それをテーブルに置いておくことができるようになったのです。
そして、しばらくすると、その砂糖壺が消えて、いつの間にか1つ1つ紙のパックに入った砂糖に変わっているわけです。
コーヒークリーム(地域によってはフレッシュと呼ばれる濃縮ミルク)も、コーヒーをテーブルに運んできたウエイトレスさんが、お客様に「ミルク入れます?」ってたずねて、「お願いします。」というと、分量も聞かず、ウエイトレスさんが勝手にカップに注いで「はい、どーぞ」とやっていたのが、いつの間にか、テーブルに真空パックされた小さなコーヒークリームが無造作に置いてあるようになりました。
これが、昭和40年代から50年代にかけて見られた変化なんですが、どうしてこれがそんなに大きな変化なのかというと、実は、これによって、お客様が好きなだけ砂糖でもクリームでも入れられるようになったということ。
その10年ほど前までは、砂糖などの甘いものやミルクは貴重品で、ありがたいものだったのが、工業製品として安価に供給できるようになったので、例えばコーヒークリームなど、2つでも3つでも、自分の好みに合わせて入れられるようになりました。
正確に言うと、自分の好みに合わせてというよりも、それまでミルクというものはお姉さんがちょっとだけカップに注いでくれるものだと思っていたコーヒーの飲み方が、自分で加減できるようになったことから、カスタマイズできるんだということを日本人が覚え始めた瞬間だったのです。
そのころの日本人は皆食べるものに苦労した経験がありましたから、中でも特におばさんたちの行動傾向といえば、だいたい、そういう砂糖やミルクが置いてあると、「あら、いいわねえ。」とごっそり掴んでカバンに入れて持って帰るというのが常で、大体どこの家に行っても、簡単に言えば「かっぱらってきた」砂糖やクリーム、紙ナプキンなどが揃っていたし、ひどいのになると郵便局や銀行のテーブルにあるボールペンなどもお持ち帰りの対象になっていました。
で、だいたいそういうことをやっていた年代というのは、今の60代半ば以降の人たち。
つまり、戦前から戦後に生まれた当時の30代か50代にかけての人たちで、それ以前の明治、大正生まれの人たちは、たぶん、自分たちも欲しかったんだろうけど、やらなかったのだと思います。
その時代から40年の歳月が流れて、今の日本人はどうかというと、スタンドコーヒーのお店で砂糖やミルク、紙ナプキンなど自由に置かれているけれど、今の若い人たちはそんなものを鷲掴みにしてごっそり持って帰る人などいませんよね。
そういう若い人たちの姿を見て、私は「偉いなあ」と思うのですが、でも、それって若い人たちが偉いんじゃなくて、世の中が豊かになって、皆さん食べるものに困らなくなってきたから、ガツガツしなくなったのだと思います。
つまり、これが「食満ちて礼節を知る。」ということなのではないでしょうか。
テレビやマスコミなどもそうですが、今、私たちは中国人をずいぶん批判しています。
中国人はどうしょうもなくて、中国人は諸悪の根源であるという報道が見られますし、大方の日本人はそういう見方になっています。
でも、私が子供の頃を思い出すに、日本でも工場のばい煙や自動車の排気ガスなどによる大気汚染は今と比べ物にならないほどひどく、校庭で運動ができない何てことも当たり前でしたし、自動車はクラクションを鳴らしながら交差点に先に入った方が勝ちでしたし、朝の通勤電車も整列乗車がきちんとできるようになったのも昭和40年代(関西では昭和50年代以降)でしたから、中国では、彼らが、昔私たちが歩んできた道の途中にいると考えれば、それほど中国人に目くじらを立てることはないんじゃないかと思うのです。
ただし、中国人は日本人の10倍以上いて数が半端じゃありませんから、そういう点では油断できないかもしれませんが、広大な国土にたくさんの人間が住んでいる事実は、それそのものが中国の弱点でありますから、日本は、数では叶わないものの、中国人の弱点を一つ一つ見つけ出して、それに対する対策を立てて行けば、経済的に追い越されたとしても、勝つ方法はいくらでもあると思うのです。
もう、あと数年で、戦闘機も沿岸警備隊の船の数も中国には太刀打ちできなくなります。憲法改正だとか自衛隊がどうだとか、日本国内が足踏みしている間に、中国が数をどんどん増やしている。これが石破さんが怖い顔をして説いている世の中の現実です。
でも、私は日本が中国に勝つ方法はいくらでもあると思ってます。
それは、中国人は自分の利益しか考えない人間の集まりであり、大局を見ることができないからで、そういう人間が10億人以上いるからです。
なにしろ、中国の最大の弱点は、その広大さと数の多さから、国の内部で統率がとれず、内部崩壊する危険性が大いにあるということ。
つまり、ガバナンスの問題で、テレビに出ている中国政府のスポークスマンが、いつも自信に満ちていて、ある意味高慢で、虚勢を張っているのは、自国民に対しての防御姿勢であるということに気づけば、次の手はいくらでも打てるということなんです。
皆さん、日本人は中国人をコントロールできると思いませんか?
そう考えて、この記事をお読みいただくと、また一つ新しい物の見方ができるのではないでしょうか。
日本だってサラダバーが今のように普及したのはせいぜいこの20年。
昭和の時代にサラダバーやったら、好きなだけ取って、喰い散らかすのが当たり前だったと思います。
マナー良く、ガツガツしないのは、やっぱり、昭和を知らない人たち。つまり、若い人たちなんです。
だから、団塊の世代以上の人たち、食べ物がない経験をしている人たちは、若い人を見習わなければならないのです。
この記事にあるようなうず高く盛られたサラダは、けっしてサラダバーのことではなく、日本が豊かになる過程で、しっかり自分たちだけでため込んで、その蓄積を今の世の中に出そうとしないおじさん、おばさん達と同じだということです。
そのために、次に続く若い世代の人たちの取り分がないわけですから。
はい、これが結論です。