マーケットの成熟度を考える その2

いすみ鉄道沿線はいわゆる観光地と呼べるものは少ないところです。
大多喜は戦国武将である本多忠勝の居城でありその城下町ですが、観光地としての知名度は低く、本多忠勝といえば出身地や晩年を過ごした三重県や愛知県に負けています。
いすみ市も伊勢海老の漁獲量が日本で1~2位を争うほどでありながら、伊勢海老を銘打った観光では隣の御宿町に軍配が上がりますし、伊勢海老のプロデュースでは房総半島よりも伊豆半島の方が上手であることは誰の目にも明らかだと思います。
いすみ鉄道も、風光明媚な海岸線を走るわけでもなく、山の中を走ると言っても高さを競うような鉄橋を渡るわけでもありません。
沿線地域の風景は、取り立てて観光資源となるところでもなければ、わざわざ訪ねる価値があるとも思えないと言えるのです。
こういういすみ鉄道を取り巻く環境は、どんなに頑張ってみたところで変えられるはずはなく、つまり、沿線に海岸線が欲しいと言ってみても、日本で一番高い鉄橋が欲しいと望んでみてもかなわないのです。
自分が生まれた家庭を恨んでみても始まらないのと同じですね。
でも、そんな恵まれない環境にあるいすみ鉄道でも、存続させるためにはどのような環境に置かれているかにかかわらず、勝負を捨ててはいけません。
自分が置かれた環境を踏まえながらも、風光明媚で観光鉄道として定着している他の有名なローカル線に負けないような「何か」を作らなければならないのです。
ところが、そんないすみ鉄道にさらに追い打ちをかけたのが、お金がないという事実。
お金があればトロッコ列車も展望車両も、はては蒸気機関車だって走らせることができますが、いすみ鉄道だけでなく、自治体にも県にも国にもお金がない時代ですから、今更大きな設備投資もできません。
そこで苦肉の策として考えたのが「ここには何もないがあります。」という戦法。観光地でもないし風光明媚でもないことを逆手にとって、「何もありません。でも良いところですよ。」と言ってみたのです。
そうしたらこれが意外に反響を呼びました。
「何もないのがとてもいいですね。」と言ってくれる人が増え始めたのです。
そしてこういうことを言ってくれる人たちというのが昨日のブログでお話しした「ガイドブックに書かれていないようなところを探し求める旅人たち」なのです。
さらに、そういう人たちが重視するのが口コミ。同じ嗜好も持った仲間たちと情報を共有し、インターネット等で伝えあううちに、瞬く間にいすみ鉄道が観光地として全国に認知されるようになりました。
これが、いすみ鉄道というローカル線が現在展開しているビジネスで、「自分たちで探して歩くことに楽しみを見出す人々」がいすみ鉄道がターゲットとしているお客様のマーケットなのです。
ローカル線というのは収容力がありません。
1両編成の列車が1時間に1本トコトコ走っているだけですから、運べる人数はたかが知れています。
沿線の市町も観光地として成熟しているわけではありませんので、毎日毎日観光バスが列をなしてやってくるようになってもお相手をすることもできなければ食事を供することもできないわけです。
だから、「何もない」ということに価値を見出していただける少数派の人たちを相手にしたビジネス展開をしていくしかないわけです。
観光鉄道といっても、そのターゲットとするお客様の層をしっかりと絞り込まなければ、いすみ鉄道程度の規模の会社ではすべての人に満足していただくようなサービスを提供することができません。
ですから、いすみ鉄道は「里山を走る昭和の国鉄」と「争い事がなく自然の中でみんな仲良く暮らしているムーミン谷」をテーマとしてビジネス展開しているわけなのです。
いすみ鉄道は決して万人受けするところではありません。
一般の旅行者の嗜好にはなかなか受け入れられないところもあると思います。
「テレビでやってたから来てみたけれど、特に何があるわけでもなく面白くない。」という、要望ともクレームともつかぬご意見をおっしゃられる方もたくさんいらっしゃいます。
でも、私はそれでよいのではないかと考えています。
ガイドブックに載っているモデルコースをきっちりトレースして回ることが旅だと思っている人もいれば、その裏道を歩いてみたり、自分なりのお気に入りのポイントを探して歩くのが旅だと考えている人もいるからで、収容力の少ないローカル線としては後者をマーケットととらえていかなければ生き残る道はないと考えているからです。
どうぞ皆様、いすみ鉄道にお越しの際はあまり期待をしないでいらしてください。
社長が「何もないですよ。」と言っているのですから。
いすみ鉄道は昭和の雰囲気が残る静かで「何もない」街並みや田園風景が残っているだけで、こちらから一般的なお客様が喜ばれるような何かをしてあげることはできないのです。
ワンマン列車なんて乗り方もわからない。
車両はボロだし、スイカやパスモは使えない。
運転士は無愛想。
列車本数は少ないし、不便。
駅前に食べるところも満足になければ、観光客が喜ぶような施設もない。
列車に接続したバスがあるわけでもなく、
パンフレットだって充実していません。
いわゆる観光地ではないのですから、そういうことを望まれてもクレームされても 「そうですね」とお答えするしかありません。
でも、期待しないで来れば、その分、何か気に入ったものを見つけることができた時の喜びが大きくなるというもの。
そう、人間というのは相手に期待をすると幸せになれない仕組みになっているのです。
自分で自分なりの楽しみを見つけることができたとき、とても幸せになれる。
それがいすみ鉄道なのです。