一万円でどこまで行かれるか。

昭和30年代から50年以上も生きていると、時代と共に距離に対する考え方や距離感というものがずいぶん変化していることを感じます。
距離というのは、目的地までの物理的な長さだった時代がずいぶん長い間続きました。
明治5年(1872年)に鉄道が開業してから、おそらく100年以上の間、目的地までどれだけ物理的に離れているかということが、私たち人間の距離に対する常識だったと思います。
そういう時代には、例えば房総半島のような、東京という大消費地に近くて、温暖で、漁業や農業が盛んな地域は、それだけで他の地域から比べると優位でした。
ところが、昭和50年代に入ると、航空輸送が飛躍的に発展します。
すると、距離というものが、単にA地点からB地点まで、どれだけの長さがあるかということだけでなく、どれだけの時間で行くことができるかという感覚で判断することが始まりました。
つまり、バスで1時間と電車で1時間と新幹線で1時間と飛行機で1時間の距離が、ある意味で同じ距離感でとらえることができるようになりました。
東京駅からバスだと1時間で横浜ですが、電車だと小田原まで行ける。新幹線だと静岡だし、飛行機だと大阪です。
そう考えると、一概に物理的に遠いところだからといって、必ずしも遠いかというと、そうではないとみんなが思うようになりました。
そして、そのころから、房総半島はだんだんと人が来なくなりました。
昔は、東京の人にしてみれば、海へ行くといえば房総半島が当たり前でした。
なぜならば物理的距離が近かったからですが、交通手段にいろいろな選択肢ができるようになると、同じ2~3時間かかるなら、沖縄や南の島へ行った方がよいという人が増えてきましたし、レジャーそのものが海水浴だけではなくて、北海道へ行ったり、海外旅行へ行ったりと選択肢が増えましたので、房総半島は海水浴レジャーの目的地としての地位を失ったわけです。
地場産業も同じで、漁業や農業なども、輸送が発達すると、遠くても新鮮な商品が届くようになりましたから、近いということだけの優位性はなくなりました。
今までは同じ野菜でも、近い=新鮮 と考えられていたものが、遠くても新鮮なものが豊富に出回るようになると、日本全国の産地が競争相手になってしまったので、今までと同じような、近いという利点を売り物にするだけのやり方では商品の差別化ができず、思うような商売ができなくなったわけです。
そして、時代は平成へ入ると、今度は高速バスが台頭してきました。
高速バスは新幹線や飛行機に比べると時間的にはたくさんかかりますが、経済的にはずっと安いですよ。というマーケットです。
これが、経済的距離といえるもので、目的地までいくらで行かれるかということが、距離感の一つになったのです。
そしてさらにそれに追い打ちをかけるようにLCCと呼ばれる格安航空会社が登場しました。
それによって、経済的な距離と時間的な距離が、物理的にどれだけ遠くにあるかという旧来の距離感を払しょくしたと私は考えるようにしています。
たとえば、東京から1万円でどこまで行かれるかと考えて見ましょう。
新幹線では名古屋の手前、三河安城付近ですね。東北方面では白石蔵王。
物理的距離にして300kmぐらいです。
高速バスでは岡山や青森になりますから約700km。
ガソリン代を抜きにして高速道路の通行料だけで見ると自動車では京都、盛岡など500km圏内。
もっとも、高速バスは新幹線と比べると時間を捨てていますし、自動車では自分が運転するという労力を考慮してません。
で、飛行機はどうかというと、今までは東京発着便では離島を除き、普通運賃で1万円で乗れる路線はありませんでしたので、経済的な距離ではなく、時間的距離を優先するビジネスマンなど、「タイムイズマネー」の人たちが主に利用する手段でした。
ところが、LCCの台頭により、時間的優位性と経済的優位性の両方を得られるようになりましたから、これからの人たちにとってみれば、地図上の距離などというのは比較対象にならないわけです。
どういうことかと言うと、例えば東京から青森へ行く場合、18000円払って新幹線で行けば時間的には有利です。さらに時間を節約したい人は飛行機を利用していましたが、これだと片道3万円かかりますから経済的優位性が保てないわけです。
で、経済的優位性を最優先する人にしてみれば、時間は犠牲にしても良いから、10000円で行かれる高速バスを選択します。
そこに、もしLCCが飛び始めて、10000円で行かれるようになったとしたらどうでしょうか。
簡単に言えば、お金がある人は時間に追われる傾向がありますから、多少高くても飛行機で行くし、ふつうの人は新幹線。学生さんたちのように時間はあるけどお金を節約したい人は高速バスという、ある意味均衡が保たれていた時代が平成に入ってからの25年間だったと言えるのですが、LCCができてからはその常識が通じなくなりつつあるわけです。
つまり、10000円で飛行機で行かれるようになれば、経済性では新幹線に勝りますし、時間的には高速バスはもちろん新幹線よりも有利になります。
これからはまさにそういう時代がやってくるわけですから、私としては今さら新幹線待望論もあるまい、と思うわけです。
で、1万円で飛行機ではどこまで行かれるかというと、大阪、札幌、福岡はもちろん、沖縄だって行かれるようになりました。
特に割引率が高い便は早朝や深夜の発着もありますが、それだって高速バスに比べればなんてことはありませんから、これからの人たちはどんどん飛行機を利用するようになるわけです。
「そんなことは考えられないよ。」と言うあなたに聞きたいのですが、
「10年経ったらあなたはいくつですか? 20年経ったらいくつですか?」
「そしてその時に今10代、20代の人たちはいくつになっていますか?」
そう考えると、これからの人たちの常識が、世の中の常識になる日はそう遠くはないわけです。
ちなみに、26歳と21歳のうちの息子は、国内旅行をするときに新幹線という選択肢はありません。
私が鉄道ファンで、小さい時からいろいろなところへ列車で旅行へ連れて行って、家の中には鉄道のおもちゃや本があふれている我が家に育った息子なのに、新幹線という選択肢がない。
どうしてかというと、同じお金を払うなら、できるだけ遠くへ行きたいというのが彼らの考えだからで、1万円あったら沖縄でも北海道でも行かれるんだから、例えば「仙台へ牛タンを食べに行く。」というような明確な目的がない限り、LCCの飛行機が飛んでいるところが観光目的地としての選択肢なわけで、新幹線で行くところはすでに旅の目的地からは外れているのです。
仙台や新潟、愛知といった東京から飛行機で行くには近すぎるようなところは、LCCが入り込む余地がないと思われますが、だからといって安心していると、旅の候補地自体から外れてしまう可能性があるわけで、「新潟へ行くんだったら、沖縄の方が安いよ。」と言われる時代が来る。
かつて、東京から100km圏であれほど栄えていた房総半島が、今、夏でも列車に空席が見られるのと同じような事態が、今度は300km~500km程度の都市や観光地で見られるようになる。
世の中は、実際のところ、このような動きを見せつつあるわけで、そういう世の中になることを前提に考えたうえで、私はいすみ鉄道沿線の房総半島には最大の可能性があると公言しているわけですが、第3セクターの社長連中にもずいぶん異質の人種が増えてきましたので、由利高原鉄道の春田社長さんや、山形鉄道の野村社長さん、ひたちなか海浜鉄道の吉田社長さん、そして私の航空会社時代の大先輩である肥薩おれんじ鉄道の古木社長さんなどは、こういう物の見方や考え方をしているわけです。
これがローカル線のグローバル化で、地域に根差したローカル線であっても、グローバルな物の見方ができないようでは、特に観光鉄道化という観点ではリーダーシップを発揮できない時代がすぐそこまで来ていると思うのです。