電電公社と国鉄

電電公社は今のNTT。国鉄はJRですね。

どちらも最初は国営でした。

国営から公共企業体になって最後に民営化されたのですが、1980年代以降、国際的に見ても民営化は時代の流れで、ではどうして民営化されたかと言えば、国営の場合は業務改善が進まず、いつまでも効率の悪い状態が続きますから、当然のように赤字になって、何とかしなければならなくなったのが、特に国鉄の場合はそうだったわけで、そこに過激な労働運動が加味されましたから、簡単に言うと国としては縁を切りたかったのです。

だから一番最初に国鉄がやり玉に挙げられたわけですが、でも、国が発展してインフラというものがある程度完成してくると、いつまでも国がやっているのはどうなんでしょうかという意見が出てくるのも当然で、その後に続いて電電公社が民営化されましたし、専売公社も道路公団も空港公団も民営化されました。

もともと国民の財産であった各種のインフラを、民間会社として誕生した新しい会社が引き受けて、国がやっているよりもさらに良質なサービスを提供することで、国民の生活の利便性を向上しようという企業目的のもとで、今それぞれの会社ががんばっているわけですが、本来の意味でのインフラって何だろうかと私はこのところよく考えるのです。

 

日本とロシアの関係が改善されて、経済交流が活発になる気配が見えてきていますが、サハリンから北海道へ海底トンネルを建設しようという話があるようです。そうなれば北海道が物流の一大拠点になる可能性があるわけで、今の「さいはて」が「入口」になるのですから経済的にも大きな効果が期待できます。期待できるというよりも、全く違った形で発展することは明らかだと思います。

では、海底トンネルが開通してロシアから貨物列車が稚内に到着したとして、現状を考えるとその時に宗谷本線が残っているかどうかが甚だ疑問です。なぜならJR北海道は赤字を理由に線路の維持管理をやめたがっているからで、だとしたらインフラって何なのだろうか?と思うのです。

北海道の鉄道は先人たちが大変な苦労をして開通させたものです。それを民間会社とはいえ、民間とは全く意識が異なる無能な経営者が、自分の会社が赤字だというだけで、あくまでも国民の財産であるインフラを勝手に捨ててしまうということが起きるのは、国鉄を民営化したときの目的とは大きくかけ離れてきているのではないでしょうか。

 

これに対して電電公社の人たちは、「通信」というのがなんであるかということを実によく理解していると私は感じています。

その証拠は、国民の財産であるインフラというものを広く社会に開放しているからです。自分の競争相手である他の企業に、インフラである回線を開放して、今やいろいろな事業者が共通に利用している。その結果としてこれだけ携帯電話が普及し、インターネットが普及して、実に活発になっているのです。

国鉄は自分たちの線路は自分たちのものだと、他の企業に開放することをやっていません。それでうまく行っているのなら良いですけど、うまく行っていないところもあるわけで、そういうところでは何と言っているかというと、「皆さんが利用しないから赤字です。」と平気で言っている。そして、「もうできませんから、やめます。廃止します。」となるのですから、私はそういう経営は無責任であり無能だと思うのです。

 

若い人たちは知らないでしょうが、国鉄時代の時刻表を見ると新幹線に食堂車が連結されていたのがわかります。

その食堂車の表示をよく見ると、帝国ホテル列車食堂、都ホテル食堂、日本食堂、聚楽など数社が書かれています。

これは何かというと、新幹線の食堂車を国鉄がホテルやレストランへ開放して、それぞれの民間事業者が食堂車を運営していたのです。そうすることで列車食堂というものが切磋琢磨していった時期があったのです。

民営化後は自分たちの関連事業者のみに営業させますから当然切磋琢磨されない。だからだんだん客離れが起きて行き、最後は座席にした方が儲かるからということで食堂車を廃止してしまいました。

こういうことの繰り返しで、客離れが起きて、誰も乗らなくなるわけですが、そうなると「皆さんが利用しないから廃止します。」と平気でいうのですから、この点においてははっきり言って国鉄時代よりも無能なのです。

 

私は、電電公社が自分たちの回線を他の事業者に開放しているのと同じように、国鉄の線路の上をいろんな会社の特急列車や寝台列車が走ってしかるべきだと考えています。

JTBや日本旅行が車両を所有して、オリジナルの列車を走らせる。それが時刻表に表示されて、利用者が選択できるようになる。そうなれば自然と切磋琢磨されるわけで、活性化するのです。

廃止にする前に、まずそういうことをやってみる必要があるのではないでしょうか。

 

これが私が考える上下分離であって、だから地元の行政が下部を負担するのではなくて、電電公社が回線の維持管理をやるように、JRが下の部分の線路の維持管理をしっかりやって、上の部分、つまり、走る列車をいろいろな事業者がそれぞれ特徴がある列車を走らせることをやれば、JR北海道の問題などいとも簡単に解決すると考えているのです。

 

まあ、その時、今の経営陣や現場の職員の雇用が維持されるかどうかはわかりませんけどね。

だって、そのぐらいの緊張感を持って働いていただかなければなりませんから。

給料だけたっぷりもらって、できるだけ楽をしようとか、余計なことはやらないなどという考え方は、民間会社では通用しないのですから。

 

▲時刻表の矢印のところに食堂車、ビュッフェを営業するレストランが書かれていました。

BT:ビュッフェ東京、日食:日本食堂、都:都ホテル、帝国:帝国ホテルです。

▲時刻表のピンクのページです。

▲ビュフェとうきょう、都ホテル列車食堂のメニューと値段

▲日本食堂、帝国ホテル列車食堂はこんな感じです。

1985年の時刻表ですが、今から30年も前に都ホテルや帝国ホテル列車食堂のビーフステーキが3500円もしていたのがわかります。

そう考えると国鉄関連会社の日本食堂は庶民的というか、手を抜いているというか。

それでも2000円と1600円ですからね。

私はカレーライスしか注文できませんでした。

確か800円ぐらいだったかな。それでも街中の倍以上でしたからかなり奮発した記憶があります。

3500円の昼飯なんて、今でも食べられませんけどね。(汗)

▲開業間もない上越新幹線。

こちらはビュッフェ(スタンド式の簡易食堂車)ですのでこの価格。

日本食堂と聚楽が担当していました。

 

このように国鉄時代末期はサービス改善にそれなりのことをやっていたのが理解できます。

利用する側も時刻表とメニューを見ながら、どの列車に乗ろうかと考えることが楽しみだったのです。

 

東京ー大阪間の新幹線を全日空がオリジナル車両を走らせて、航空機をJRが飛ばすぐらいのことをやらなければ、切磋琢磨しないし活性化などないのです。

 

 

あくまでも持論ですから、気に食わない方は単にスルーしていただければ結構です。

いちいちクレームレターもらってもお返事などいたしませぬ。

 

 

※機関車大好きと旅行の歴史の続きは後日掲載します。