ローカル線は劣等生?

日本でのローカル線問題というのはもう45年も昔から国会で取り上げられています。
国鉄が分割民営化してJRになるときに、できるだけ新しい会社にはもって行きたくないからと、なんだかんだとルールを決めてみんな切り捨てた。
まるで国や地域が抱える「負の遺産」であるかのように。
言葉は悪いですが、お父ちゃんが新しく所帯を持つに当たって、その身をきれいにしなければならない。それにはお前のような連れ子がいたのでは足手まといになるからと、「一人で生きていくんだぞ。」とわずかながらのお金をもらって独立するように言われたのが第3セクター鉄道です。
生きていく術を持たない子供に当面のお金を渡したからといって、そう長くは持つまい、とお父ちゃんが思っていたかどうかは別として、今でも立派に生きている姿を見ると、「きっとお父ちゃんも褒めてくれるだろう。」と子どもとしては思いますが、実際にはどうもそうではないようで、
「よく頑張ってきたな。」とお父ちゃんは褒めてくれないと感じるのが劣等生の心理状態なのかもしれません。
「あいつはダメだ。」と言われるような生徒はどこの学校にもいると思いますが、40年以上「ダメだ、ダメだ」と言われてきた問題児がローカル線なのです。
でも、そのローカル線としてみたら、「ダメだ。」と決めつける方が「ダメ」なわけで、良いとこ取りしたお父ちゃんの新しい家庭は、誰がやってもうまくいくに決まっているわけですから、何とか見返してやりたい。
そう思って頑張っているわけです。
皆さんも経験あるでしょう。
学生時代に「あいつはダメだ。」と皆が思っていた奴が、卒業して何年かして再開してみると立派になっているってこと。
それには2つの理由があって、1つは、「ダメだ」と烙印を押されたことをバネにして本人が頑張ってきたこと。
もう1つは、「ダメだ」と言われてきたけれど、本当は「ダメ」じゃなかったのだとうこと。
先生や親など、周りの大人たちが「ダメ」と決めつけていただけであって、本当は「ダメ」じゃなかったというのが劣等生の本来の姿なのかもしれません。
皆さん、もうお分かりでしょう。
「ローカル線は劣等生」と40年以上も言われてきましたが、全然ダメじゃないんです。
劣等生なんかじゃないんですよ。
ただ、周りの大人たちがそれに気付かなかっただけ。
ローカル線があることが地域の財産であって、「ダメだ」と言われてきたローカル線でも、やり方によっては「儲かる線」に変えることができるのです。
「儲かる線」といってもお金ばかりが儲かるのではありません。
「儲」という字は、「信じる者」と書きますから、ローカル線を「儲かる線」にするということは、皆が心を一つにして集まって頑張ることだと私は信じています。
いすみ鉄道は鉄道を愛する人たちが心を一つにして活動に参加できる鉄道なのです。
話は大きくなりますが、日本では、この「心を一つにする」ということがだんだん希薄になってきていることと、大企業ばかりでなく国全体が行き詰ってきていることと深い関係があるような気がします。
日本人が長年にわたって「ダメだ」と思っていたローカル線に、この国の難局を打開するヒントとパワーが潜んでいるということを、少しでも多くの人が気づいてくれるようになれば、この国はきっと変わる。
「劣等生」と言われてきたローカル線が、実は未来を切り開くきっかけになると私は「信じて」いるのです。