自分が進むべき道

半世紀以上も人間をやっているといろいろなことに気が付きます。
特に会社である程度の仕事を任されてこなすようになると、自分の力ではどうしようもないことがあるのがわかり、行き詰ってしまうことがよくあります。
でも、時としてどう考えても不思議と思われる力が作用して道が開けることがあります。
航空会社で管理職をしていた時に、同僚のキャビンクルーがよく言っていました。
「私、クルーが第一志望じゃなかったんです。」
友達にクルーになりたい人がいて、一人じゃ不安だから一緒に受験してほしいと頼まれて受けただけなのに、私だけ受かっちゃった。
そんな人は一人二人ではありません。
どうしてもその仕事につきたいと考えていても、どんなになろうと努力していても自分にはかなわないことがあります。
でも、大して努力もしていないのに、スイスイとその道に進んで行かれることもある。
それが人から見たらうらやましがられることだったりするけど、自分にとってはありがたくもなんともないことだったり。
そんな時、私は、「これがもしかしたら自分が進む道かもしれない。」と思うことにしています。
私は子どものころから新幹線の運転士になりたかった。
どうしてもなりたかった。
でも、国鉄改革でその道さえ開けていなかったわけです。
そして、新幹線がダメなら飛行機だと考えた。(実に安易、というかわかりやすい。)
パイロットになろうと思って、お金を貯めて自分で資格を取った。
教官からは「お前は筋が良いから立派なパイロットになれる。」と太鼓判を押されたけど、いくら待っても、何年待っても採用がない。
今は不景気だと言われているけど、当時だって今以上に不景気だった。
そうこうしているうちに年齢制限の年がやってきて、パイロットの道もダメ。
仕方がないから、比較的給料が良かった学習塾に正社員として勤務したわけです。
学習塾に勤務すると今までとは未知の世界でこれがなかなか面白い。
私は比較的バカに近い方だったので、生徒がつまずく場所が良くわかるから、これが一生の仕事になるかなあ、と思って頑張っていたら、大韓航空の募集があって、地上勤務だけど、好きな飛行機の近くで働けると思って、軽い気持ちで受けたら受かっちゃったわけです。
たまたま日曜日に床屋さんへ行って、待合時間に朝日新聞を見ていたら、大韓航空の募集広告が出ていて、電話番号をソラで覚えて家に帰って翌日電話したわけです。
私の家では朝日新聞は取ってなかったので、床屋に行かなければ募集があることすらわからなかったし、やっと募集再会した航空業界なんて履歴書が殺到しているはずだから受かるなんて思ってもいなかったのですが、フタを開けてみるとまさか受かると思っていないのに受かっちゃった。
これが27歳の時。
そして、とにかくがむしゃらに働いて、汗水たらして働いた。
航空会社の人間なんて気取っているやつばかりだと思っていたけど、空港の仕事はそんな先入観など入社した日から吹っ飛ぶぐらい泥臭くて地味な仕事。
でも、女房も子供もいる身になっていたから、とにかく一生懸命働いて勉強もした。
そしたら英国航空のおじさんが、私の働いている姿を毎日見てくれていて、「おまえ、うちの会社に来い! 俺の後釜にしてやる。」と言って、気が付いたらBAにいたわけです。
これが30の時。
その後釜の仕事というのがクレーム処理。
でも、私は何でもやる覚悟ができていたから、どんなクレームにも対応した。
毎日毎日クレーム処理の仕事をしていたら、その中で、人間がクレームするにはいくつかのパターンがあることに気づき、それをパターンモデル化し、そのパターンごとのクレームに対処する方法を見つけたのです。
そしたらクレーム処理が怖くなくなって、反対に面白くなってきた。
職場のみんなが受けているクレームを、「俺に回せ」って全部引き受けて、他の航空会社の職員のクレームも引き受けて、成田空港で何でも引き受ける「よろず引受人」になっていたのです。
そしたら上司が、お前にはほかの仕事をやらせる、って言って、今度は時間管理能力が必要とされる運行管理の下っ端をやらされて、フライトプランと無線機を持って事務所からゲートまで走って、出発前の機長にサインをもらう仕事が始まり、とにかくがむしゃらに働いているうちに上に方になっていたのです。
「俺、新幹線の運転士になりたかったのに。」
40になるころには、不思議だなあ、と思っていました。
そのころ、同僚の女性に占いの研究をしている人がいて、鳥塚さん、手相見せて、って言われたので見てもらった。
「あっ、すごい。50歳になる前に、大きな変化がある。すごい変化が。」っていうから、
「おれ、この会社にずっといるつもりだし、仕事も面白いし、変化なんかないよ多分。新しい奥さんでも来るのかねえ。」って冷やかしたら、
「そうじゃなくて、仕事の上で、すごいことになる。」
そうか、じゃあロンドン本社へ行って社長にでもなるか、ハハハ って笑っていたら、49歳でいすみ鉄道の社長になったわけです。
不思議でしょう。人生って。
でも、一つだけ言えることは、自分がなりたい職業、目指している資格などは、本当に自分の進む道かどうかわからないということ。
意外と簡単に、今の自分の状況の中に、生まれてきた意味があるのかもしれません。
だから、その時のために忘れてはいけないのは、常に準備をしておくこと。
私の場合、新幹線の運転士になりたいと思っていても、英語の勉強だけはしていた。
国鉄に入るのに英語は必要ないけれど、これからの時代、絶対必要だと思っていた。
新幹線の運転士でも京都へ行く外人さんがいたら道案内ぐらいできるようにするべきだって思っていたのです。
航空会社に入ってからも、一生懸命仕事を覚えたし、大きな会社では必要ないけど、自分で有限会社を起こして経営を実践し、決算書を読むなどのスキルも身に着けていた。
そういうとこをいつも続けてきたから、「ハイ」ってチャンスのボールが目の前に投げられた時に、サッと受け取ることができたのです。
大学生は就活大変ですね。
うちの3男のバカ息子も10社、20社と受けて落ちまくっています。
でも、きっと道は開けますから、安心してください。
1~2年何て心配することありません。
私は新幹線の運転士にはなれなかったけど、紆余曲折の人生を歩みながら、とにかくその時々で一生懸命やってきたら、30年経って鉄道会社の社長をさせてもらえるようになったのですから。
今までの人生は、この日のための下積み準備期間だと思っています。
そのうち自分が生まれてきた意味が解るようになりますよ。
それが「気づき」です。
とにかく生きて前に進んでいくことです。