峠を越える交通 その3

交通の所要時間というのは距離感を表すものです。
鉄道で1時間の距離は、だいたい感覚として身に沁みついているものです。
そして、その所要時間で、遠いとか近いとかを判断していますね。
つまり、交通を軸として、ひとつのメジャー(物差し)が存在するのです。
房総半島の交通を鉄道というメジャーを使って見てみます。
外房線で考えると、東京から近い順に、大網、茂原、上総一ノ宮、大原、御宿、勝浦、安房鴨川と並んでいます。
大多喜は、大原から乗り換えてさらに奥へと入りますから、鉄道での感覚的に言えば勝浦よりもさらに遠いところ。外房線の終点、安房鴨川と同じぐらいか、乗換という手間を考えると、さらに遠くに感じます。
これが、長年培われてきた交通時間軸を基にした距離感です。
東京育ちで勝浦のおばあちゃんの家に毎年出かけていた私の頭の中でも、房総半島の距離感はこんな感じです。
こういう鉄道時間地図的常識で見れば、確かに大多喜は東京から遠く、とても田舎で、不利な存在に思えるのですが、私は、今いる大多喜というところが、とても大きな可能性を秘めているように感じるのです。
それは2年後に開通予定の圏央道の存在です。
圏央道の市原南インターチェンジというのが、大多喜町から10数分のところにできるのです。
そうすると、東京から茂原、上総一ノ宮、大原、大多喜という順番だった距離感がひっくり返って、大多喜がアクアライン経由で木更津の次にやってくる。
つまり、大多喜は、一宮よりも、茂原よりも東京に近いところになるのです。
そして、その一番近いところが、今まで一番遠かった所なので、実際にはとても田舎の風景が残っているわけですから、東京や横浜などの人にとって見れば、タイムスリップしたように、突然、田舎の城下町にやってくることができるのです。
養老渓谷の温泉街などは、羽田空港から1時間かからない距離になるわけですから、私は養老渓谷温泉街は東京の奥座敷になることができると本気で考えています。
何しろ、羽田空港から1時間といえば、渋滞していれば新宿にも着きませんから、それだけの時間距離で大多喜に来ることができれば、何もゴルフばかりが目的じゃなくなるのです。
峠の向こうから、直接まっすぐに高速道路がやってくるのですから、南房総よりも、大多喜の方がはるかに東京から近くなる。
茂原よりも一ノ宮よりも東京に近くなるということは、茂原や一ノ宮の人たちの目が東京を向いていることを考えると、今まで背中側だった大多喜の方を向くということなのですから、これは21世紀の大革命と言えるのです。
だから、私は「いすみ鉄道へは車でいらしてください。」と言っているのです。
さあ、そう考えると、大多喜のみなさんもうかうかしてられませんね。
今まで背中側と思っていた峠の向こうから、高速道路が、東京が直接やってくるのですから。
いすみ鉄道を廃止にしてはいけない理由はこういうところにもあったのです。
私にとっては航空会社を辞める価値があったということなのです。
こう考えると大多喜は房総半島の中でも最高に可能性があるところ。
とにかく、一番田舎の雰囲気が残っている地域が、東京から一番近いところになるのですから、観光的にみればビッグチャンスの到来ですし、都会の人にはたいへん貴重で価値のある、田舎暮らしができる東京の通勤圏となるのです。
どうです、わくわくしませんか?
その大多喜を中心としたいすみ鉄道に、今まで大糸線まで行かなければ会えなかった昭和の国鉄形ディーゼルカーのキハ52が走っているわけですから、ファンの皆様にとってはこんなうれしいことはないはず。
まして、キハ52は国鉄を代表する一般型ディーゼルカーと言われた20系気動車の最後の生き残りですからね。
大多喜は房総半島の中で、今、一番ホットであるべき地域なのです。
これが私の考え方です。
でも、地元のおじいちゃんおばあちゃんたちは、そんなこと夢にも思っていないでしょうけどね。
人間誰しも、自分のことはなかなかわからないものですから。
ちなみにこの間、夕方の飛行機に乗るために、午後、大多喜から羽田に向かいました。
高滝湖の脇を抜けて、山越えをして、木更津東から高速に乗って、K察につかまらない程度のスピードで走って、羽田空港までの所要時間が55分。
圏央道が伸びたら、あと10分は短縮します。
羽田―大多喜45分ですよ。
海と、峠の常識が変わるのです。
(おわり)