お墓について考える。 その2

昔から会社の寿命は30年と言われます。

その理由は、30年も経てば世の中が変わるからであり、つまりは世の中の主役である生きている人間が世代交代して入れ替わりますから、昔ながらの方法で商売をしていたら生き残れませんよ、ということであり、この春30周年を迎えるJRだって、あちらこちらでほころびが見え始めているわけですから、来春30周年のいすみ鉄道だって、今のままではいずれ消えてなくなりますよ、ということなのですが、30年経てば人が入れ替わるということは、つまり親の世代と自分たちの世代で考え方が変わりますよ、ということなのです。

 

お墓の話も全く同じで、仏教では三回忌、七回忌とやってきて、三十三回忌でとりあえず供養が一段落するのは、そのぐらい経つと、今度は子供たちの世代が鬼籍に入りますから、供養の世界も世代交代するわけです。

 

こういうことを言うと叱られるかもしれませんが、私が考えるに、仏教というのは(もちろん神道もそうですが)、実によくできたフランチャイズで、修行を積んで本山から許可をいただくと、それぞれの地元へ戻ってお寺を開くことができて、そのお寺の地域にはそれぞれのお客様がいらっしゃるわけです。そして、そのお客様、つまり檀家様ですが、ある一定の数の檀家様がいらっしゃれば、単位期間あたりある一定の数の葬儀が出ます。葬儀があれば、初七日、四十九日、一周忌、三回忌、七回忌、十三回忌、そして三十三回忌まで、ある一定の法要がありますから、そのお寺が維持していかれるわけで、檀家さん以外にも、ご利益を求めてそのお寺にお詣りをしていただく方々が増えれば、お寺の経営も良くなっていくシステムなのです。

 

これはフランチャイズに加盟して、お店を開いて経営が成り立つかどうかというのと全く同じで、ある一定数の人口がある地域や、国道沿いなどある一定の通過客が見込めるところであれば、売り上げを予測できますし、経営が成り立つというものです。お寺の場合は、では、その檀家さんの数がある一定数あればという、ある一定数とはいったいどのぐらいなのかというと、地域特性などがありますので一概には言えませんが、だいたい300件から400件の檀家さんが必要と言われていて、まあ、300件あれば、年に10数件の葬儀が出ますし、それに伴って三回忌、七回忌などの各種法要を行えば、お寺は継続して仕事を得ることができて、維持していかれるという計算になるようです。

ところが、近年は少子高齢化に伴う人口減が進んでいますから、特に田舎では檀家さんの数が急速に減って来ていて、お寺が維持できなくなって廃寺になるところが増えています。

廃寺になるということは、先祖代々続くお墓だって維持できなくなるということですが、これはローカル線問題と全く同じような構造があると私は考えています。

人口が減って利用者がいなくなるのと同時に、マイカーや高速バスが発達して列車に乗らなくなる。これは、お墓参りを始めとする宗教行事に興味が無くなってお寺そのものに行かなくなるということと同じで、人口減少とダブルパンチでお寺の経営を成り立たなくしています。

 

では、そういう時はどうするのか。

これもローカル線と同じように、地元の人口が少ない分、外からお客様を連れてくるというのが手っ取り早い立て直しの方法ですから、私は数年前から国吉駅の近くにある出雲大社を宣伝することで有名にして、お参り客を増やし、そのお参りにいらしていただいたお客様の落としていただくお賽銭などの収益で将来的に維持管理していこうという考え方ですが、おかげさまでわずか3年ほどで元日の初詣に3千人が訪れるようになりました。

 

ではなぜ、地元の人たちが今まで見向きもしなかった神社がわずか数年で人があふれる観光の名所になったかといえば、これはローカル線と全く同じなのです。ローカル線だって、地元の人たちは「こんなもの要らないよ。廃止しよう。」と言っていたものが、わずか数年で観光鉄道になる。これは、一言でいえば、都会人が求めているものが田舎にあるということで、そのことを田舎の人は気づかないか、気づいていてもいろいろなしがらみで、いざ動き出すことができないまま、廃止されたり朽ち果ててきたというのが実情なんです。

 

そこで、お墓の話に戻るのですが、お墓というのは、都会人の、それもこれからの人たちにとって見たら、維持管理していくことができるのかどうか、不安になります。特に少子化の時代ですから、子供がいない夫婦や、いても一人っ子のような家庭で、自分たちのお墓を将来的にどうやって維持管理していくのか、本家の跡取以外の人だったら、当然そう考えると思うのです。

まして、維持管理というのは、将来的な出費も伴うわけですから、自分がいなくなった後、どうやってお参りしてもらおうか、維持管理は誰がやるのかというと、都会の人は誰もがみんな悩むところであるわけです。

そして、田舎は田舎で、人がいなくなって檀家さんがいなくなる。檀家さんの数が減って行けば、当然お寺そのものの維持管理も難しくなってくるという現状があって、都会と田舎でそれぞれ悩んでいることを合わせて考えてみたら、もしかしたらその機にビジネスマッチングできる需要があるのではないか。そうすれば、都会人も将来的な悩みが解消できるし、田舎もお寺やお墓が維持していくことができる。ローカル線と同じように、地域にとっても都会人にとっても、どちらにもプラスになる使い方があるのではないかと、田舎にいて、そんなことを考えるようになってきたのです。

 

(つづく)