1等・2等・3等車 その3

学生の頃、ヨーロッパを旅行していた時、パリの地下鉄に1等車と2等車があるのに気づきました。
車両をよく見ると、座席の色が違うだけで、1等も2等も何ら変わりありません。
それなのに、1等の切符は2等の5割増しで、不思議に思った私は、現地の人に聞いてみました。
「どうして、同じ車両なのに値段が違うのですか?」と。
すると、地元の人はこう答えました。
「2等の客車には乗りたくない人たちがいますから。」
つまり、同じ市民でも、自分はあいつらと同じ箱には乗りたくないという人たちがある程度の割合でいたのです。
当時のパリはジプシーや移民等で犯罪がとても多いところでしたので、自分の身を自分で守るためには、そういうことも必要だったのだと思います。
変わって、今の日本では、普通車が犯罪の巣窟であるということはありませんが、人々を見渡すと、ある一定の比率というものがあるように思います。
例えば、東海道新幹線には16両編成のうち3両がグリーン車です。
総武線快速、横須賀線は15両編成のうち2両がグリーン車です。
1編成のうちに何両のグリーン車を連結することが「ちょうどよい」のかは、会社とか、路線、目的地、時間帯などによってとても難しいところだと思います。
飛行機の場合も、例えば国際線のジャンボジェットならば、ファーストは18席、ビジネスは50席、エコノミーは300席など、だいたいこんな感じになっていますが、会社によってそれぞれ配分が異なります。
また、例えば成田からニューヨークへ行く路線と、ホノルルへ行く路線とでは路線の性格が異なりますので、同じ機種の飛行機でも、ニューヨークへ行く飛行機はファーストが30席にビジネスが100席で、そのかわりエコノミーが120席と少な目であるのに、逆にホノルルへ行く飛行機にはファーストがなく、わずかにビジネスがあるだけで残りはすべてエコノミーの座席だったりするものです。
まあ、こんな感じで鉄道も飛行機も、それぞれの需要に合わせて上級座席の配分を決めているのですが、私が興味深いと思うのは、そこに必ずクラスが存在するということで、例えば今のような不景気のどん底にあっても、グリーン車に乗る人もいれば、ファースト、ビジネスクラスで旅行する人もいるということです。
そしてそれが何となく社会の比率というか、配分になっているような気がするのです。
つまり、今のような不景気な時代にあっても、16両編成のうちの3両分の人は、グリーン車で旅行ができるわけで、子どものころから貧乏で、「今に見ていろ俺だって」と思ってきた私には、これが社会の構造になっているように見えるのです。
私がこういうことに興味を持ったのは中学生の時で、当時大学生だった友達のお兄さんが、アルバイトで東海道新幹線の車内販売をしていて、その人が、「新幹線のグリーン車というのは全然世界が違うんだぞ。すごいぞ。」と教えてくれたのがきっかけでした。
その後、高校生になって、私は当時の日本食堂の上野営業所にアルバイトとして採用してもらい、ひと夏食堂車のボーイと車内販売のアルバイトをしました。
昭和51年のことです。
当時はまだ、東北・上越新幹線開業前で、上野駅といえば特急全盛期。
私が乗務したのは「白山」(金沢行)、「とき」(新潟行)、「やまばと」(山形行)、「はつかり」(青森行)、「ひたち」(原ノ町行)などの特急列車でした。
車両はだいたい交直両用の485・489などで、「とき」はボンネットの181系。どの列車にも編成の中央に食堂車が連結されていて、その食堂車の控室をベースに前の方、後ろの方へとワゴンを押して車内販売をするのです。
そんな時、やはりグリーン車だけは雰囲気が違いました。
グリーン車の乗客には、まだ10代の私にも、「凄い人たちが乗っている。」と思わせる何かがあって、今の言葉でいえばオーラとでもいうのでしょうか、とにかくお客さんの雰囲気が違うのです。
特急列車ですから、指定席車、自由席車、グリーン車といろいろ連結されています。
その列車の中をワゴンを押して物を売り歩くと、各車両に乗っているお客さんの違いや雰囲気が本当によくわかるのです。
当時よく見かけたのが、自由席に座れないお客さんが食堂車にやってきて、席を陣取って「まずビール。」と注文します。
そして、その1本のビールをちびちび飲みながら、あとはせいぜいハム・チーズ程度を注文して、目的地に着くまで、とにかく食堂車の座席を占領し続けるわけです。
その反面、指定席やグリーン車のお客さんは、食堂車に来る目的が「食事」ですから、注文した料理を食べたら自分の車両に戻る。
そういう種類の異なるお客さんの姿を16歳ぐらいの私が見て、自由席の人に対しては「ああいう大人にはなりたくないな。」と思う反面、「グリーン車に乗れる人間になるためにはどうしたらよいだろうか。」などと考えるわけですから、人生勉強になったと思うのです。
以前にも書きましたが、当時はまだ階級のようなものが日本に残っていた時代でしたが、今の時代はグリーン車もビジネスクラスも、以前に比べたら気楽に乗れる良い時代になりました。
私は、若い皆さんに対して、「いつかグリーン車に乗ってやろう。」とか「ビジネスクラスに乗れる人間になりたい。」と思うことはよいことだと考えます。
これからの時代を生きていく若い人たちは、今は手が届かなくても、「いつかは乗ってやるぞ。」って考えて頑張っていけば、何も考えなかったり、最初からあきらめて時間を過ごすよりも、良い人生になると思います。
皆さん、頑張ってください。
意志あれば道は開ける。
世の中はそういう「構造」になっているのですから。
それともう一つ、私よりも年上の人たちに対して思うことがあります。
団塊の世代など、私よりも年上の世代の人たちは、昭和40年代はとにかく元気が良かった。
「皆平等であるべき」をスローガンにヘルメットをかぶって警察や政府とけんかをするぐらい元気が良かったわけです。
そういう人たちが今、60も半ばを過ぎて何をしているかといえば、退職金と年金で悠々自適の生活を送り、グリーン車やビジネスクラスに乗って旅行をしているのです。
若い人たちにとって見たら、こんな不平等で理不尽な時代はないというのに、自分たちは安全地帯で悠々自適な生活をしている。
だから、私は思うのです。「かつて世の中を変えようと元気だった青年たちはどこへ行ってしまったのか」と。
上野駅から在来線の特急列車の姿が消えてかなりの年月が経ちますが、そんな懐かしい特急列車とともに、元気が良かったお兄さんたちがいなくなってしまったのが、私にはとてもさみしい気がするのです。
そして、私にとって、それがまさしく「昭和」なのです。
(おわり)