10年前に私が夜行列車を始めた理由

先週末、24日から25日にかけて、127系電車を使用した「令和の普通夜行列車」を運転しました。
今、観光急行が検査のために運休中ですが、それに代わる企画として実施したもので、
「ロングシートの車両で夜行をやってどうするの?」
「そんな列車に高いお金を払って誰が乗るの?」
というご意見を多くいただいておりましたが、ふたを開けてみると満席でございました。

「そんなことやってどうするの?」という人はいつの時代にも、どこの場所にもいるもので、私はそういう人を唐変木と呼んでいるということは前にお話ししましたが、それは古い車両が持つ価値や、朝から晩まで乗り続けることや、汽車の中で一晩過ごすという価値をわからない人たちだからですが、自分がわからないからと言って売れないと決めつけることはやめた方が良いと思います。

もっとも、私だって、例えば競馬とかパチンコ、麻雀、あるいはサッカーやマラソンなどは全く理解できませんから、そういう人たちから見たら私は唐変木でしょうし、他にもいろいろなジャンルの世界がありますから、人は誰でも自分が得意とするジャンル以外では唐変木なのでありますが、株式会社というところはお金を稼いでいかなければならないという否定できない使命がありますから、お客様に対して商品供給をしなければならないということは歴然とした事実であって、そういうことが理解できない唐変木は、すくなくとも株式会社には向いていないということになりますね。

では、私がなぜ夜行列車を始めたかということをお話いたしましょう。

実は私が初めて夜行列車をやったのは今からちょうど10年前の2014年2月15日。
国鉄形のキハ2両を使って行ったのが始まりです。(写真はその時のもの)

当時はブルートレイン「あけぼの」がなくなると大騒ぎの時代でしたが、私が夜行列車をやると発表したら、「あいつは何を考えているんだ?」「馬鹿じゃないか?」と大騒ぎになりました。
26kmあまりの距離を行ったり来たりするだけで朝まで列車に乗るというのが私が考えた夜行列車ですから、当時の世の中の常識的には大騒ぎするのも無理もないことでしたが、大騒ぎした人たちから見たら私は唐変木以外の何物でもなく、私から見たら大騒ぎをしていた人たちが唐変木に見えたのです。

もちろんふたを開けてみたら満席の大人気になりましたので、その後定番化して稼ぎ頭になりましたことは皆様ご存じの通りですが、成功したら成功したで今度は「社長はマニアだから」などとさんざん言われたことを思い出します。
でも、私が夜行列車を始めたにはきちんとした2つの理由がありました。

【理由その1】

車庫で寝ている時間帯を活用する。

昼間働いた車両は夜車庫で寝ています。
その時間帯をうまく活用すれば、もうひと稼ぎできるのではないか。
そんなことを考えました。

ヒントとなったのは飛行機です。

航空会社では昼間働いた飛行機が夜空港で休んでいます。
まだ羽田空港が今のように国際線24時間空港になる前の時代、成田空港でもそうでしたが、発着できる時間帯が限られていましたので、夜は飛行機は駐機場で休んでいるのです。

そんな飛行機を利用して「もうひと稼ぎさせよう」と飛ばしていたのがグアム,サイパン便で、成田を21時過ぎに出て行って、片道3時間ほどのグアム、サイパンを往復して成田に朝の7時ごろに戻ってくるという便がありました。

私はこの考え方にヒントを得て、夜車庫に停まっている列車をもうひと稼ぎさせた方が良いのではないかと考えたのです。
これなら、今あるものを活用するだけですから、売り上げを上げるために余計な設備投資は不要ですからね。

その後、「ナイトタイムエコノミー」などという言葉が生まれましたし、今でもピーチ航空では昼間国内線で飛んでいた機体を、夜中の間、韓国のソウルを1往復させてもうひと稼ぎするような便を飛ばしていますが、つまり、10年前に私はそう考えて夜行列車を始めたのです。

【理由その2】

田舎というのはリソースが限られます。
例えば、500円で駅弁を100個作ってくれと言われてもなかなか対応できるものではありません。
だったら5000円のお料理を10人分作るのはどうでしょうか?
これなら少ない人員や小さな設備でも可能ですよね。

レストラン列車などはこの考え方を基本としていますが、鉄道も同じで、例えば1人1000円の1日乗車券で乗ってくれる観光客を100人集めてくれと言われてもなかなか難しい。
団体貸切なども、一生懸命外回りの営業をしたとしても、そう簡単に申し込んでいただけるものでもありません。
だったら、1万円のお客様を10名集めるのはどうでしょうか。
これならできるかもしれません。

つまり、田舎というところは、ローカル線もそうですが、リソースが限られていますから薄利多売は向いていないんです。
でも、できるだけ高いお金を払っていただけるお客様を少人数集めるのであればできるのではないか。
ローカル鉄道会社も例えば350円ぐらいの区間にご乗車いただいて、「おい、この間お前のところの電車に乗ってやったよ。」なんて言われるような商売じゃしょうがありません。
牛丼屋で牛丼食べたお客に、あとになって恩着せがましく「お前のところで牛丼食べてやったよ」なんて言われるような商売では、働いている方が嫌になってしまいますからね。

つまり、車庫で寝ている時間帯の車両を有効活用して、できるだけ付加価値が高い高額商品を提供するというのが、私が考えた田舎のローカル鉄道が行うに適している商売であって、それを初めて実践したのが今から10年前の2014年2月15日ということなのです。

こうして市場に向けた商品展開方針が決まったら、あとは、どういう商品を作って、いくらで、誰に、どうやって販売するか。そして、どうしたら買っていただいたお客様にご満足いただいて、もう一度買っていただけるか。つまりリピーターになっていただけるかという商品戦略と販売戦略を考えていくことになるわけですが、ローカル鉄道の場合は、そうやってお客様になっていただければ、直接的に地域にもお金が落ちますし、間接的には地域の宣伝にもなります。
そうすることができれば、地域の皆様方は日々の交通機関として乗る機会が減っても、「鉄道は必要だ」と思っていただけますし、それがローカル鉄道の生きる道だと、私は今から15年前の2009年にこの世界に飛び込んだ時にそう考えて、この15年間ずっとそれを実践してきているのです。

当然ですが、この夜行企画が当たりまして、その後、あちらこちらのローカル鉄道で、目的地へ行くために乗るのではなく、乗ることそのものが目的という夜行列車が走り始めたのですが、そういう使い方をすれば、寝ている間にお金が稼げますよという商品展開なのであります。

マニアであるということは、ある意味顧客心理を的確に見抜くことができるということでありますし、あとはビジネスとしてのきちんとした商品展開ができれば、当然ではありますが、顧客心理をグサッと鷲づかみにできるということですが、この手の商品はそのどちらが欠けても実現はしないものです。

そのための私のポリシーは「自分でやる」ということですから、夜行列車の対応も可能な限りお客様の前に立って、自分で直接お客様に接することにしているのです。そうすればお客様が何を求めているのかということが授業料を払うことなく手に入れることができるのですから、やたら勉強家でいろいろなセミナーに片っ端から出席するような経営者の皆様方には、まずは現場に出てお客様と接することをお勧めいたします。

偉くなると部下に命じて自分は机に座って報告を受けることが仕事だと思っている人も多いと思いますが、それはそれで仕事のスタイルとしては否定するものではありません。
でも、赤字の会社を何とか立て直さなければならないという時には、それじゃあお話にならないのです。

なぜなら、幹部は方向性を示して、自分の背中を見せてやり方を示していかなければならないからで、ローカル線の生き残りなどという前例がないことをやるときには、机に座って報告を受けているだけじゃ問題は解決はしないからです。
デスクで指示して解決するのであれば、その会社は、そうなっていないからで、今、そうなっているということは、そのやり方ではダメなのですから。


2009年7月。
私はこの駅に降り立ちました。
駅前商店街の洋品店の吉田社長さんが、「鳥塚さん、いったいどうやってこの鉄道を立て直すんですか?」と私に聞きました。

「吉田さん、ここにはお金がたくさん落ちてますね。」
私はそう答えました。

吉田社長さんはポカンという顔をしていました。
何しろ、駅はシ~ンと静まり返っていて、人っ子一人いなかったんですから。


翌年、この同じ場所がこれだけ人であふれかえる場所になりました。

駅前商店街の吉田社長が「最初に鳥塚さんにお会いした時にここにはお金が落ちていますと言われましたね。私はあの時、『この人は一体何を言っているのだろうか』と思いましたが、今、はっきりとわかりました。」
そう言われました。

おもしろかったですよ。
だって、当時は何言ってるの?と思われた「お金が落ちている」という言葉も、今では「地域にお金を落とす」とか「落ちているお金を拾いに行く」なんてふつうに使われるようになったじゃないですか。

吉田さん、元気かな?
たまには会いたいな。
今夜はそんなことを思います。

私の戦略はまだまだ続くのでありますが、こんな私を必要としているところがあれば、私は日本全国どこへでも行きますので、ご遠慮なくどうぞお声をおかけくださいまし。
今時メールもないですから、Facebookのメッセンジャーなら一番早くお返事を差し上げますよ。

2014年2月16日のブログ 「夜行列車を運転しました。」 
(アーカイブスはフォーマットが変わったため、改行などが削除されてしまいました。ちょっと読みづらいですがお付き合いください。)